神様の部屋
そこは、普通の女の子の部屋だった。
白を基調とした家具が並んでいるが、小物やぬいぐるみなどによって、女の子らしさが表れている。
突然の出来事に、私の頭が追いついていない。
さっきまで、学校に向かう電車に乗っていたのだ。
満員電車でおじさんの生温かい体温を感じていたのに、いまは石けんの良い香りがしそうな空間にいる。
どうして、と思って私は部屋を見渡した。
すると、白いソファの上に女の子が横になっているのに気づいた。
私と同年代ぐらいだろうか、白いワンピースを着ていて、顔よりも大きなクッションを枕にしている。
「……当たるものだったのか」
女の子はこちらをちらっと見てつぶやくと、身体を起こした。
よく見ると、その手にはタブレット端末のようなものを持っている。
あの――そう声をかけようとするが、音が発せられない。
違和感を覚えて、自分の身体を見下ろすと、私はよくわからない白く光る球体だった。
部屋の床から浮いていて、ふよふよと漂っているようだ。
え? 本当にわからない。何これ。
お洒落なフロアランプみたいになっているけれど、これはどうしたことだろうか。
「ちょっと待て、いま生成するから」
ソファに座り直した女の子は、真剣な表情でタブレット端末をのぞき込む。
その顔は、どこかのアイドルグループに所属していてもおかしくないと思うほどに整っていた。
あまり頓着していなさそうな黒髪ショートも、逆に愛嬌を感じさせるスパイスになっている。
端的に言えば、めちゃくちゃ可愛い。持ち帰りたい。
「笹瀬佐々菜――サ行が多くて舌噛みそうだな……サナにしよう」
「しよう、って人の名前を――」
あ、声が出る。
そう思って、自分の身体を見ると、服を着ていなかった。
素っ裸、すっぽんぽん、生まれたままの姿。
私はスッと手で胸を隠し、その場にしゃがみ込んだ。
女の子は、全裸の人間が部屋にいることなどお構いなしのようで、タブレット端末をいじっている。
「十六歳。身長は百五十六センチ、体重は四十六キロ」
私のこと……なのかな。
たぶん、話の流れを考えると、私の身長やら体重やらのことを言っているのだろう。
それにしても、夢でも見ているのだろうか。
見知らぬ女の子の部屋に、裸で座っているという夢。
……いや、夢ではない。
それは、腕から伝わってくる自分の体温や、床のカーペットの感触などから理解できる。
ただ、あまりにも不可解だから、現実として受け入れられないのだ。
「スリーサイズは、八十八、五十六、八十四――大きいな」
タブレット端末から私に視線を移しながら、女の子はつぶやいた。
女同士ではあるが、なんだか恥ずかしくなって胸を押さえている腕の力が増す。
「……生意気だから、私と同じにしてやる」
女の子はそう言って、タブレット端末を操作している手をすっと横に動かした。
すると、私の腕に感じていた圧力がするすると弱くなっていく。
そっと胸元をのぞくと、胸がけっこう小さくなっていた。
……やっぱり、夢なのかもしれない。
「顔は……素で可愛いな、このままにしよう」
呆然としている私を横目に、女の子はなんだか楽しそうである。
「髪の毛だけ、合うようにするか」
そう言いながら、女の子がまたもやタブレット端末を操作すると、急に背中がくすぐったくなった。
背中を見やると、肩ぐらいまでのミディアムだった髪の毛が、座っていて床に着くか着かないかぐらいの長さになっていた。
さらに、髪の色が赤――というよりは紅――に変わっていた。
毛先にいくほど鮮やかになっていくように、グラデーションされている。
「いや、これは可愛いけど……」
「おお、気に入ってくれたか」
私が思わずつぶやいた言葉に反応して、女の子は嬉しそうにこちらを向いた。
うん、仕組みはわからないけれども、この女の子が私をすっぽんぽんにしたり胸をぺったんこにしたりしたのは間違いないだろう。
「あの、服を……」
私がおねだりしてみると、女の子は、いま気づいたといった様子で、タブレット端末を操作した。
「ごめんごめん、転生ガチャが当たるなんて初めてだから、慣れていないんだ」
女の子が言い終わるときには、私の身体は女の子が着ているものと同じ、白いワンピースに包まれていた。
あと、同じものなのかどうかはわからないが、下着も身に着けている感触がある。
それにしても、転生ガチャ? なんだろう、それ。
「私と同じ服が着られるなんて、光栄なことなんだからな」
薄い胸を張りながら、女の子は微笑む。
普通のワンピースじゃないかな、とも思ったが、よく見ると細かい刺繍が施されていて、可愛い。
「ありがとうございます」
服を着せてもらったので、私は立ち上がって女の子にぺこりとお辞儀をした。
紅い髪の束が、さらりと顔の横に流れる。
「うむうむ、まあ座れ」
女の子は、ソファの空いているところをぽんぽんとたたいた。
おそるおそる、私は部屋の中を歩いて、女の子の隣にぽすんと座る。
「そうか……説明しなければいけないのだな」
女の子は眉間にしわを寄せながら、なにやら考えているようだ。
その端整な顔は、しかめっ面でも可愛い。
このなぞなぞな状況を説明してくれるらしいので、私は可愛い横顔を鑑賞しながら、おとなしく待つことにする。
「まず、お前は元の世界で死に、魂が解放された」
「え……?」
思わずに、声が漏れる。
死んだ、ってこの子はいま言ったよね。
「そんなわけ……」
否定しようと思ったが、この部屋での不思議体験の数々が、私の言葉を奪っていった。
胸も奪われたし。いや、別に大きいのが自慢だったわけではないが。
「……どうして、私は死んだの?」
「ごめんな。他の世界での出来事は、私にはわからないんだ」
私の質問に、女の子は残念そうに首を振りながら答える。
「そう……」
たぶん、本当に私は死んだのだろう。
何も――電車に乗っていたというところまでしか――覚えていないから、いまいち実感が湧かないが。
お母さんやお父さんにも、もう会えないのか。
そう思った瞬間に、涙が一筋すうっと頬を流れるのを感じた。
……いや、これ以上考えるのは止めておこう。
死んでしまったというのが本当ならば、悲しんでいても仕方がないのだ。
女の子は、意外にも私の様子を気遣ってくれているようだ。
「……うん、大丈夫。話を続けて」
涙の跡を手でさっと拭ってから、私は女の子に顔を向ける。
覚悟を決めて、どんな現実でも受け止めよう、と思った。
女の子は少し微笑み、続きを話し始める。
「解放された魂は、この転生ガチャに収容されて、プレイヤーに引かれるのを待つんだ」
そう言って、女の子は持っていたタブレット端末の画面を私に見せる。
そこには、転生ガチャとポップな字体で書かれたガチャガチャの筐体が、一定のリズムでぴょんぴょんと跳ねていた。
私はあまりゲームをやらないからはっきりとは言えないが、それはゲーム画面のようであった。
「いや、これがまじで当たらないんだ。アイピアを創ってから二千年ぐらい経つかな。その間、一度も当たったことはなかった。本当にくそげーだ。もう、この百年ぐらいは惰性で引いてて――」
「ちょ……ちょっと待って?」
少しずつ興奮していきながら話す女の子を、私は手を挙げて制止する。
なんだ? 人が真剣に話を聞こうとしていたのに、この子はふざけているのかしら。
「ああ、ごめんごめん。やっとアイピアに手が加えられると思うと、意外にも私はわくわくしてきているようだ」
私の制止に対して、女の子は素直に謝った。
どうやら、冗談とかではないらしい。
女の子は、自分の小さな胸に手を当てて、落ち着こうと深呼吸をしている。
「わかった。じゃあ、私が質問する形式にするのはどう?」
女の子は、うんうんそれがいいと頷くことで、私の意見への同意を示した。
えーと、聞きたいことはいろいろある。
しかし、何から聞いたら理解しやすいか、見当もつかない。
「うーん、とりあえず……これは?」
私は、タブレット端末の画面を指さして、聞いてみた。
先ほどまで跳ねていた筐体は、いまは寝転んでくつろいでいるような姿勢を取っている。
「これは、転生ガチャだ」
女の子が画面を指でちょんちょんと触ると、ガチャガチャの筐体はぴょんと跳ね起きて、また一定のリズムを刻み始めた。
「この中に、人間の魂が入っているの?」
「そうだ。正確に言えば、人間も含めた動物や植物、魔物や妖怪、ありとあらゆる生き物の魂だ」
この小さなタブレット端末の中に、よくもそれだけ詰まっているものだ。
いや、実際は別のところに魂が集められて、この端末で管理しているということだろうか。
……そもそも、魂がどうたらという時点で理解の範疇を超えているので、悩むだけ無駄か。
あれ? いま、魔物とか言った?
「魔物って?」
「お前の世界にはいなかったか? 魔物――魔性を持つ生き物で、悪魔とか吸血鬼とかとかその他もろもろだ」
……とりあえず、私の世界のファンタジーは、私の世界だけでファンタジーだったようだ。
私の質問に事もなげに答えた女の子の様子を見る限り、そうなのだろう。
「……私は、このガチャガチャで引かれたってこと?」
跳ねるのに疲れたのだろうか、ガチャガチャの筐体はまたくつろごうとしている。
「ああ、人間のような知能が高い生物は、私にとっては、当たりだ」
隣にいる私を眺めて、女の子は嬉しそうに微笑む。
近距離で美少女の笑顔が炸裂したため、私はその眩しさに一瞬ひるんだ。
「――っと、百年引き続けて、初めて当たったのよね?」
百年という単位はいまいちぴんとこないが、私、十六年しか生きていないし。あ、もう死んだのか。
「うん? それは違うぞ。私は、二千年前にアイピアを創った」
女の子はタブレット端末を操作して、転生ガチャが映っていた画面とは別の画面を私に見せる。
その画面の左上には、ポップな字体で『つくってあそぼう~神々の庭~』と描かれていて、画面の残りには大きく地球が表示させられている。
……いや、よく見ると地球ではない。
大陸の形が、まるっきり違っていた。
「転生ガチャは一日に一回だけ引くことができるから、毎日引くんだ。でも、出てくるのは植物や微生物ばかり。たまにブタさんやらウサギさんやらの小動物。まあ……はじめは、良かったんだ。アイピアでは、人間たちと魔物たちがバランスよく分布し合って、これからどうなっていくのかがわからなくて、ドキドキしたから」
女の子は、また饒舌になっていく。
私は、もう何からつっこめばいいのか、皆目さっぱり見当もつかないので、黙っていることにした。
「だんだんと、人間側が優勢になってきて――お前たち人間はすごいな、魔物たちのが基本ステータスは高いのに、知能でその劣勢をカバーするんだ――人間たちが大国を築き上げ、ひっそりと魔物たちは影に紛れて暮らしていく……っていう流れになると思ったんだ。でも、人間たちはなぜか人間同士で争い始めた。その隙に、魔物たちにとっ捕まってぱくぱくごっくんだ」
私は戦争の時代を知らないから、何とも言いがたいけど、人間ってそういうものなのだろうか。
「ワンサイドゲームは見ていても面白くないだろう? だからてこ入れしたかったんだが、転生ガチャは当たらない。あーあ、この世界は失敗だったか、と思いながら、この百年は惰性で転生ガチャを引いていた――っていう話だ」
女の子は話を終えて、私の次の質問を待っているようだ。
今までの話を統合すると、あまり良い予感はしないのだけれども。
「えーと……あなたは、神様っていうこと?」
私が女の子を指さすと、女の子はこくっと頷く。
小動物みたいで可愛い。
「これは、あなたがつくったの?」
今度は地球みたいな惑星の映った画面を指さして聞くと、女の子は同じように頷く。
誇らしげな――俗に言う、どや顔だ――様子が、可愛い。
「……私の世界も、誰かがつくったものだった?」
「そうだな、数億を超える神々が『つくあそ』で遊んでいるからな。その一つだろう」
衝撃の事実だ。
神が世界を創ったというような話なんてものはファンタジーだと思っていたが、私たちは文字通りに手のひらの上で転がされていたのか。
でも、この子は、自分の創った世界にてこ入れできないとも言っていた。
「自分が創った世界なのに、手を加えられないの?」
「そうなんだよ、利用規約で、直接手を加えることは禁止されているんだ」
私の質問に、女の子は肩をすくめながら答える。
本当に不満だ、というような様子ではなく、困ったものね、ぐらいのニュアンスだ。
「それ、面白いの?」
つい、思ったことがそのまま口をついてしまった。
しかし、転生ガチャというものだって、二千年も当たりが出ないなんて――いや、私には二千年の長さなんて想像もできないが――どれだけの確率なんだろう。
私の疑問に、女の子は痛いところを突かれてしまったというような顔を浮かべる。
「まあ、私たちは神だから、何でも思い通りになっちゃうんだよ。神のみぞ知るを体感できるから、『つくあそ』は人気なんだろうなぁ……」
そう言って女の子は遠い目をして、それを楽しむ過去の自分を懐かしんでいるようだった。
というか『つくあそ』って、語呂悪すぎじゃないかしら。
私がそんなことを考えていると、女の子は思い出から戻ってきていて、私を見てにやりと笑った。
「プレイヤーに唯一許された手段が、転生ガチャで引いた魂による世界への介入だ」
女の子はタブレット端末を操作して、ある画面を私に見せる。
そこには、紅い髪で白いワンピースを着た女の子が映っていた。私だ。
ゲームの画面よろしく、名前やらステータスやらが描いてある。
「やっぱり……転生ってことは、私をこの世界に……?」
「私の世界――アイピアに転生できるなんて、光栄なことだぞ。しかも人間は初めてだ」
女の子はその貧相な胸を反らせて、威厳がたっぷりあるかのように私に言う。
いや、初めてなのは、あなたの運がよくなかったからではないだろうか。
「でも、人類は滅亡しているのよね?」
「……ああ、私の言い方がよくなかったな。人間たちは、生き残っている」
そうなのか、よかった――人間が私だけだったら、すぐにぱくぱくごっくんされてお終いになっていたところだろう。
「魔物たちにとっては、人間の恐怖や畏怖が糧になるから、必要な分だけを奴隷なり家畜なりとして支配している。まあ、文字通りに人間を糧にしているやつもいるみたいだがな」
……奴隷や家畜って、ほとんど負けが確定しているような状況だと思うのだけれど。
「えーと……いつから、そんな状況なの?」
「確か、百五十年ぐらい前からだ」
ということは、この子は五十年間は諦めずに転生ガチャの当たりを願っていたのか。
神様の時間の感覚は、想像もつかない。
「……魔物たちに対抗できるような人間はいないの?」
勇者とか魔法使いとか、ファンタジーだったらそういう存在がいてもいいだろう。
「そうだな、レベルが高くて強い人間は、百五十年前に魔物たちが率先して倒してしまった。いま、人類は全盛期の十分の一ぐらいの数になっているはずだ」
……そんなの、どうしようもないのではないか?
サッカーだったら一人は残るけど、野球だったら一人分にも満たない。
それこそ、ゲームにならないだろう。
「サナ、お前だけが頼りだ――アイピアに降り立ち、人間たちを救ってやってくれ」
えーと……サナっていうのは私のことよね。
百五十年も奴隷状態なのを助けたら、まさしく救世主だとは思うが。
「私、普通の女の子だから、そんなことできないよ」
平和な世界で、ただの高校生をしていた人間に、そんな役回りができるはずがない。
「ふふふ、安心しろ。二千年の間で貯まりに貯まったポイントを使って、お前のレベルを上げておいてやる」
二千年間貯め続けたポイント……なんだか期待できそうだけど。
よく行くパン屋さんのポイントカードは、一か月で三百円引きしてもらえるぐらいのポイントが貯まる。
一年貯めると三千六百円、二年で七千二百円だから……二千年の間、そのパン屋に通い続けたら七百二十万円だけお得になる。
うーん、期待できるのかできないのか、よくわからないな。
「でも、それができるなら、なんか小動物とかにポイントを使ってレベルを上げて、魔物退治させたりできなかったの?」
絶対に、私よりもブタさんの方が強いと思う。
ブタと戦って勝ちなさい、と言われても私が勝っている想像はつかない。
「元々知能が低い生き物だと、レベルがいくら高くても、基本的には本能に従う行動しかしないんだ」
妖怪とかって、強くなると知性を持ったりした気がするけど、そういうわけにはいかないようだ。
「まあ、実は何度か試してはみたんだが、どちらかと言えば人間に被害が出てしまってな……」
あらら、ミイラ取りがミイラになるようなことか。
強いブタさんがいたら、確かにそれはもう魔物みたいな存在だろう。
「私のレベルを上げてくれるって言っても……その、アイピア? そこにいる魔物たちは、どのくらいのレベルなの?」
「うーん、一番強いのは魔王だが、レベルは八十から九十ぐらいだな」
まおー、と思わず声なき声がつぶやいただろう。
しかし、レベル九十なんて、ほぼ最大値ではないだろうか。
私は無理むりと首を振りながら、女の子に異議を唱える。
「何度も言うけど、私、普通にそこら辺にいる女の子だよ? いくらレベルを高くしてくれるからって、そんな魔物と戦ったりなんてできないよ」
魔王レベル九十と、女子高生レベル百、どっちが強いと思うだろうか。
……なんか女子高生の方が強そうに思えてしまうかもしれない。
普通の女子高生はレベル百にならないからな。
いやいや、自分のことだからわかる。
もしレベルがめちゃくちゃ高かったとしても、私はレベル九十の魔王に絶対勝てない!
「でも、私はお前に託すしかないんだぁ」
タブレット端末を片手で器用に持ちながら、女の子は私にしなだれかかってくる。
胸は当たらないが、小さいから。
隣に座ったときから微かに香ってきてはいたが、くっつかれるとすごい、もうすごい。
女の子は、その可愛さで私を籠絡しようとしてくる。
「……私のレベルは、どのくらいまで上がるの?」
私は、美少女の色仕掛けに屈した、簡単に。
「人間のような高い知能を持つ生物のレベルを上げるのは初めてだから、やってみないとわからないな」
私の肩に小さな頭を軽く載せたまま、女の子はタブレット端末を操作する。
せめてレベル九十は超えていてもらわないと、困る。
「どうせ使うことのないポイントだ。全部つぎ込んでやろう」
そう言った女の子は、私のステータス画面の上方にあるバーをぐいーっと動かした。
女の子の指の動きに合わせて、私のレベル表示が上がっていって、五百八で止まった。
「おお、高レベルになるほど上がらなくなるものだが……喜べ、サナ。お前は、アイピアで神として崇められても、不思議ではないかもしれないな」
「一番強い魔王がレベル九十で、私は五百八だもんね……」
いや、実際はよくわからないが、数字の上では圧倒的なのだと、あまりゲームをやらない私でも理解できる。
というか、レベルって百が最大値じゃないのね。
「これで、おそらく何が起きようとも、生命を脅かされることはないと思うぞ」
女の子は、私に寄りかかっていた身体を起こしながら言う。
温もりが離れてしまって、少し名残惜しい。
「……わかった、百歩譲って、私がアイピアに転生するのはよしとしましょう」
なんか偉そうに言ってしまったけれども、もし拒否をしたら、私はどうなるのだろうか。
ずっとこの部屋で女の子と一緒にいられるというならば、やぶさかではないのだが。
「おお、頼むぞ。私を楽しませてくれ」
女の子は私の太ももをばしばしとたたきながら、嬉しそうに言う。
「ひとつだけ――人の胸を、勝手に減らさないでよ。元に戻しなさいよ」
別に大きかったことにこだわりがあったわけではないけれども、理不尽に失うのはちょっと嫌なのだ。
私は、女の子が持っている端末の画面の、スリーサイズのステータスに手を伸ばす。
「もうポイントは残っていないから、無理だな」
私の手から逃れるように、女の子はタブレット端末をさささっと操作して、私のステータス画面から地球っぽい惑星――アイピアという名前らしい――が映っていたタイトル画面に戻してしまった。
「ちなみに、ウエストのサイズだったら、ポイントを使用しないで大きくすることもできるが……」
私がじと目で非難の視線を送っていたら、そんなことを言われた。
とても恐ろしい脅迫だ、従うほかない。
「……黙っていけばいいんでしょ、わかりました」
「ふふふ、別に成長が止まるわけではない。神である私とは違って、その貧弱な身体も、いつかはナイスバディになれるかもしれないぞ」
いや、あなたが貧弱にしたんでしょうが。
そう思ったが、言っても無駄だと悟ったので、何も言わずにいることにする。
「で? 私はどうすればいいの?」
ソファから立ち上がり、女の子の方を向く。
こうして見ると、普通の――めちゃくちゃ可愛い――女の子だ、神様には見えない。
「アイピアに落とすから、後は上手くやってくれ」
ずいぶん投げやりなのね、と思ったが、やはり声には出さない。
「街の近くとかに落としてやれればいいんだが、そういった干渉をすることもできないから、完全にランダムだ」
大雪山とか火山口とか魔王城の目の前とかだったらごめんな、と女の子は言いながら、タブレット端末をいじる。
「まあ……運が悪くなければ、そんなところには当たらないでしょ」
私は何の気なしにそう言ったのだが、よく考えたら不安になってきた。
この子は運が悪いから、二千年も転生ガチャが当たらなかったのではないのだろうか?
この場合は、私の運と女の子の運、どちらが採用されるのだろうか。
「よし、準備ができたぞ」
私の心配をよそに、準備ができてしまったらしい。
ええい、ままよ。
きっと何とかなるだろう。
「えーと……神様? あなたの名前は?」
死んでしまった私を引き当ててくれて、人類が滅亡しかけている世界に転生させてくれるやつの名前を、よく覚えておかなければならない。
女の子は立ち上がり、私の隣に並ぶ。
少し私を見上げるようにして、女の子は微笑む。
「アイリだ、女神アイリ」
タブレット端末を持っていない方の手を、アイリ――女神様らしい、そのわりにはちんちくりんだけれど――は私に差し出しながら言う。
「人間は握手をしたら、契約が成立するんだろ?」
どこから仕入れた知識なのかわからないが、いまの場合は適切なのかもしれない。
私は、アイリを楽しませるために、人類を助けに行くのだから。
「まあ、そうね……よろしく」
私がアイリの手を握り返すと、アイリは女神らしい笑みを見せてくれた。
おお……もう少し、ここに居たくなる笑顔だ。
「アイリだから、アイピアって名前なのかしら? 安易じゃない?」
アイリの笑顔に照れてしまったのをごまかすように、私は茶化した。
私の言葉に気を悪くした様子もなく、アイリはくすくすと笑った。
「サナ」
はい、と私は返事をさせられてしまう。
急に真剣な表情で、名前を呼ばれたからだ。
「私を楽しませることが、第一ではある。しかし、あくまでも、これはお前の人生だ。お前が楽しんで、さらにアイピアを好きになってくれれば、それ以上のことはない」
私が頷くと、アイリも満足そうに頷いた。
なんか、上手く言えないけど……この女の子は本当に女神なんだな、と思った。
「じゃあ、いくぞ」
アイリがそう言って、タブレット端末に指を置いた瞬間、私の目の前は真っ暗になっていく。
「女神の祝福は、あなたとともに……その旅に、神のご加護があらんことを――」
アイリのやわらかく優しい響きの声が遠くに聞こえる。
私の意識は、女神の声の余韻と同時に、途切れてしまった。