06.激昂
講義を全て終えて、夕方頃に大学を後にした。
特に急がなきゃいけないわけじゃなかったし俺はゆっくり屋敷へ向かった。
今日の夕食は何を作ろうか。
固形物も食べられそうだし肉でも焼いてスタミナでもつけるか。
新鮮な肉を手に入れるために俺は少し寄り道をすることにした。
「いらっしゃい」
「そこのお肉をお願い」
行きつけのお店で肉を注文して買って帰る。そしてついでとばかりに服屋にも寄ってみた。
また日が落ちているのを見ながら俺は屋敷への道を辿った。道中、仮面を被ることも忘れずに。
屋敷の前に来て俺はふと気配を感じた。
エメだろうか?
わからなかったがまぁいいかと無視して屋敷に入った。
真っすぐ厨房に入り買ってきたばかりの肉を下処理していた。
上手そうな肉をもっと美味しくするために色々と仕込んでいく。
「ふん♪ふふ~ん♪」
知らず鼻歌を歌いながら俺は夕食の支度をすませた。
「よし。持って行こ」
おぼんに本日のスペシャル肉料理をのせていつものように地下に下って行った。
少しひんやりする地下に行けば、相変わらずダガードは静かに座していた。
「こんばんは。ごはん持って来たわ」
ダガードは何も言わなかった。
ただ呆れを含んでいるのはその瞳の陰りでわかった。
空になっている食器を片しながら代わりに夕食を牢屋に突っ込む。
俺はおぼんに食器を片付けるとすぐに地下を出た。
いつものように食器を洗いをすませて、急ぎお湯を沸かした。
何をするって決まってるぜ。
大きい桶を用意し俺は一度それを持って地下へと出向く。
「……」
桶を持ってきた俺にダガードは無言で訴えかけてきた。なにをしていると。
しかし俺は無視して桶を置いて、地下室を出て厨房へ向かう。
沸いたお湯をバケツに入れて気合を入れて持ち運ぶ。
「う、おも」
そして忘れずにタオル数枚も肩にかけて地下へとゆっくり慎重に降りていった。
「はぁ~重かったぁ」
大きな桶の横に持ってきたバケツを下ろす。
俺はそれだけでクタクタになり大きな息をついて座り込んだ。
「なんだ?」
流石に奇怪な俺の動きにダガードは重苦しい口調で聞いてきた。
あ、ごはんは食べ終わってるわ。
ちらりと確認しつつ仮面の下で細く笑みを浮かべた。
「なにって決まってるじゃない。
貴方っていつからお風呂入ってないの??」
「……」
俺の言葉でピンっと来たのか嫌そうな顔をされた。
「お湯とタオルを用意したから拭きなさいな」
牢屋のカギとか俺は持ってないしできることはこれくらいだ。
食べ終わった食器を片付けつつ、鉄格子の近くにお湯の入った桶を寄せる。
そしてこっちに来いと俺は手招くとかなり変な顔をされた。
こいつ話さない代わりに顔によく出るヤツである。
桶にタオルを染みわたらせて絞りながら俺は言う。
「上半身脱いで。背中は拭いてあげるから」
「はぁ」
ほら早くと急かせば、かなり大きめのわざとらしいため息をつかれた。
ふんっだがここまで来たら俺が梃子でも動かないのはわかっただろう?
じぃっと見つめれば諦めたように服を脱ぎだした。
ローブのような黒いマント?を脱ぎ、上の服もするするはだけた。
お、おう……すごい傷だ。
大小さまざまな傷痕がある体を見てちょっと腰が引けた。
しかし痛んでいるようではないので生々しい傷痕を気にしないように努めた。
鉄格子に近づきダガードが背中を見せたので俺は暖かいタオルで拭くことにした。
「熱くない?」
「あぁ」
短い返事でダガードは答えた。
俺は何度もタオルを濡らしては背中を綺麗に拭き上げた。
広い背中は傷痕が広がっているが、時間が経てば治るようなものもある。
「傷跡ひどいわね。でもそのうち薄くなると思う。
今は痛くないでしょうけど……痛かったわよね……」
何も答えない。
それもそうだろう。俺は大変失礼なことを言ってるしな。
でも何でか少しでも慰めにならないかなと思って言ってしまった。
「はい。後は自分でやってね」
背中を拭き終わり、俺は暖かい絞ったタオルを手渡した。
少し離れてダガードが体を拭いているのを見ていた。
酷い傷ばっかりじゃないけど。
何か厳しい訓練でも受けたのだろうか。それとも荒事で?
何にしても……あの指輪がやっぱり気になる。
上半身裸になったダガードの首には俺の指輪があった。
気になる。でもなんでかちょっと怖くて聞けないのはなぜ??
ぼんやりと眺めていたらダガードの手が止まった。
そして俺を見下ろすとズボンに手を掛けて言った。
「見たいのか」
「……」
ナニをとは言わねぇけど。
それ俺じゃなかったらセクハラだからな?
イケメンでも露出狂は犯罪だから……。
「見たって何も思わないわよ」
なにせ昔は俺にもついてたし。
けどフリージアに変なもんは見せられねぇよな。
俺は背を向けてひらひらと手を振って地下室へ出た。
そして準備してあった紙袋を手にし中身を確認。
厨房に置き去りにしていた紙袋の中身を広げてみる。
適当に道中で買っていた黒い服があった。
目測で見た限りだからサイズが合ってるのかわからんが。
俺も元男だ。あのくらいのサイズ感であればこの位の大きさだろう。
ダガードが全身を拭き終わるだろう頃に地下に行くことにした。
厨房から見える空はすっかり暗く、星が瞬いていた。
「拭き終わった??」
ちらっと見てみると上半身裸のままのダガードがいた。
髪も濡れているようで頭も洗ったのか?
鉄格子越しにやるとは……気持ち悪かったんだな。
乾いたタオルを鉄格子の隙間から入れつつ服も一緒に入れた。
バサバサと牢屋の中に落ちる服やタオルを見てダガードは俺を見た。
「これは?」
「服よ。せっかくさっぱりしたのに汚れた服とか嫌じゃない?」
ダガードは乾いたタオルで頭を拭きながら俺をじっと見ていた。
いや目で語るのやめろ。わからん。
「サイズ。大丈夫だと思うけど?」
そして何も言わずに袖を通しはじめた。
動きやすい服装を選んでみたが正解のようだ。
伸縮性があるから多少のサイズの違いがあれど着れなくもないだろう。
「あら、似合ってるわ」
怖い目つきだがそれを抜けばイケメンなのだこの男。
ちょっとワイルドなその面差しは、正直言って腹正しい。
アウトローって感じ?女子が好きそう。
そして俺の服のチョイスも相まってかっこよく決まってしまった。
袖を通すまで見守って、俺は汚れた桶の水をバケツに戻した。
重いそれをまた持ち上げて、俺はまた地下室を上がり捨てに行った。
バケツは適当な所に置いて、桶や食器を取りに戻った。
その時、またなにかの気配を感じたような気がした。
「……?」
不可解に思いながら、俺は地下の廊下を下る。
牢屋に戻るとすっかり身ぎれいになったダガードがいた。
「これで衛生面もばっちりね」
俺は胸を張って自分を褒めた。
ダガードも元気になったことだしエメに報告しよう。
仮面の下でニコニコと笑っているとダガードは俺を見下ろしていた。
背の高い男は、背の低い俺を簡単に見下ろしてしまう。
「ん?」
「なぜ親切にする」
怖い目ではあるが真剣であった。
俺は赤と銀の色の目を見ながら答えた。
「貴方がジークフリードのことを教えてくれたからよ」
やっぱりちょっとだけジークの名前を出すと反応を示す。
「それに約束したからには、ちゃんと守らなきゃ」
待つという約束は守らなかったけど……。
ちらりとダガードの首にかかった指輪が見え隠れする。
俺は無意識にそれに触ろうとして両手を伸ばしていた。
その時。
背後から足音と共に何か大きな力を感じた。
「殺すな!!」
珍しくダガードが焦ったような声を張り上げていた。
「えっ」
続いて驚いたような男の声も聞こえた。
しかし俺がはっきりと意識があったのはここまでだった。
ガンっと後頭部に強い衝撃を受けた。
その衝撃で足腰の力を失い、そのまま冷たい地下の床に倒れ込んだ。
ぐにゃりと歪む世界と赤と銀の瞳が俺を見ていた。
「ダガード無事?」
「あぁ、だが……」
誰かが、助けに、きた?
ダガードの仲間だろうか。赤毛の男がおぼろげに見えた。
倒れ伏す俺を見ていたようだが、無視するように牢屋に手をかけていた。
ガチャンと何かが開く音。
二人分の足音に、騒がしくなる上の階での騒動。
うるさい。うるさくてたまらなかった。
「なにこの子」
「……何も知らない一般人だ」
二人の会話がやけに鮮明に脳に入っていた。
「そんな子が此処にいるわけないじゃないか」
「俺だってそう思っていた」
「まぁダガードが言うんだから信用はするけど」
親しい間柄なのか、ダガードの声は少し明るい。
「でも拘束した方がいいね」
「いや、そんな暇はなさそうだ」
「おっと……お出ましだね」
地下室は複数の人の気配に満ちていた。
それから人が争う音が続いて、いつしか音はしなくなった。
ダガードも赤毛の男もいなくなっていた。
俺は意識がだんだんと霞んでいく。
殴られたのかわからないが、意識を保てない。
そのまま俺は痛みと共に意識を失った。
どのくらい意識を失っていたのかはわからない。
気づくと俺は冷たい地下で横たわっていた。
痛む後頭部を抑えながら起き上がった。
「いったぁ……」
仮面は外れてない。不幸中の幸いか?
身元がバレなかったのはありがたいが、なんでこんな目に。
「はぁ……」
深呼吸してとりあえず痛みを逃がす。
とりあえず痛みの方も治まってきたんで俺は立ち上がる。
「う、うわ」
そして地下の床に転がる男たちを発見。
意識を失っているのか、それともこと切れているのかはわからない。
俺はそれらを見ないように横をすり抜けると地下を脱出した。
いや、だから俺ってば何に巻き込まれてんだ。
今更になって後悔している。
物騒な事に自ら突っ込んでしまった。
地下から出ると、やはりというか人がまた倒れている。
そこもそろ~りと抜けて玄関までたどり着いた。
「あ、れ」
ガチャガチャとドアノブを回すが開かない。
押しても叩いても、玄関の扉は開きそうもなかった。
「嘘だろ」
何か魔術的なものが働いてるに違いない。
これに関しては素人ではあるが、魔法を掛けている本人を探し解除してもらわなければ出れないのは明白。
くそぅ……。
俺は未だに人の争う音がする2階の天井を見た。
行くしかないのかと怖くなりながら、覚悟を決めて二階に上がった。
どうやら屋敷の中で一番広い部屋で何やらしてるらしい。
そっとその部屋の扉が開いていたので覗き見ることにした。
そこには目を疑う光景が広がっている。
地に伏すエメの姿と、遠巻きでありながら戦闘体勢を見せるダガードたち。
「おのれ……」
憎悪を含む恐ろしいエメの声が響く。
「かえせ、それは私の、私のだあ」
エメはビィシャが持つ赤い本に手を伸ばしていた。
そう。そこにはビィシャやシンシア。クレメンスやアンジュリーゼがいた。
俺の目は可笑しくなったのかと思ったが違った。
「これは元々わしのじゃ。返してもらった」
「キィイイイイ!!」
嫉妬に狂った女のように喚き散らすエメ。
美しい顔を歪めて、ビィシャを睨みつけていた。
そしてふらふらと立ち上がると、人外の速さでビィシャに近づいた。
ビィシャに突進してくるエメをクレメンスが庇う。
「なんでそんな女をおおおおお」
さらに激昂したエメはクレメンスに襲い掛かる。
しかしガラ空きになった背中にダガードが炎の魔法を放った。
普通ならエメの身体は燃え上がるはずだったが、何かに守られるようにガードされた。
それを見たアンジュリーゼは手をかざし何やら呪文を唱えた。
するとエメの身体を取り巻くように美しい光で拘束された。
それを見たシンシアがダガードに強化魔法を付与している。
「これでおしまいだ」
鋭いダガードの声が響き渡ると、引導を渡すように光の魔法を繰り出しエメはもがきだした。
「ぎゃああああ」
化け物のような雄たけびを上げながら、エメは気を失うように地面に倒れる。
「うぅ、あと少し……あとすこし、なのに」
そう言ってエメは倒れたまま動かなくなった。
ぴくりとも動かない素振りにアンジュリーゼ達は顔を合わせていた。
「これで何もかも終わったのじゃな」
ビィシャがほっと胸を撫でおろしていた。
その言葉を皮切りにシンシアは目に涙を為ながらダガードに抱き着いていた。
ちりっと胸の奥がくすぶる。
クレメンスはビィシャの肩を抱いた。
アンジュリーゼはダガードに近づき、二人にしかわからないような表情で対峙した。
ちりちりと胸を焦がす痛みが俺を蝕む。
「やったのね。私たち」
アンジュリーゼがダガードを見上げほほ笑んだ。
それに答えるようにダガードは力強く頷くと、彼女の顔は甘くとろける。
シンシアは二人の様子にそっとダガードから離れた。
少しだけ寂しそうな顔であったが、それでも晴れやかな顔つきだった。
そんな和気あいあいの中、俺は目撃した。
音もなく気配もなく立ち上がるエメを。
はっとした俺はすぐにでも出ていこうと思った。
しかしそんな時間もなく、エメは一本のナイフを手にアンジュリーゼ目掛けて走り出した。
「おまえさえ、いなければ!」
言うや否や。エメはアンジュリーゼを刺したように見えた。
しかしエメとアンジュリーゼの間にダガードがいて代わりに……。
全身から血の気が引いた。俺の身体はガタガタと震える。
ダガー、……。
「ジークフリード!!」
シンシアの叫び声が木霊する。
次の瞬間、再び詠唱を始めたアンジュリーゼがエメの最後の力をも奪った。
エメとダガードは同じく地面に倒れた。
「ジーク!」
アンジュリーゼが急いでダガードを起こす。
「怪我は!?」
「……まぁなんとか」
ざっくりと開いた手のひらを見せながらダガードは少し笑った。
急いで治療をするアンジュリーゼをダガードは優しい目で眺めた。
俺は。
俺は、震えていた身体に再び力が戻ってきていた。
引いた血は元通り体を巡回する。
治療する二人のわき目でクレメンスとビィシャがエメを拘束していた。
シンシアは心配そうにダガードに近寄り傍にいた。
「無茶をしないで。貴方に何かあったら私……」
息を詰まらせながら治療するアンジュリーゼにダガードはほほ笑んだ。
ぱり、ぱりっと心の中の何かが剥がれ落ちていく音がする。
「心配かけたな」
「ううん。今まで無事で本当によかった。
ね、シンシア。気が気じゃなかったのよ私たち」
「そうよ!ずっとずっと心配したんだから」
いつにないシンシアの様子にダガードは驚いた顔をした。
そして傷ついていない手の方でシンシアの柔らかい髪の毛に触れた。
「すまない」
「っ……ううん。またこうして会えて嬉しいわ」
涙を流すシンシアはしかし嬉しそうに顔は綻んでいた。
アンジュリーゼはその様子に微笑みながらダガードの治療を終えた。
「もう大丈夫のはずよ」
「あぁ助かった」
立ち上がったダガードは改めてエメを見ていた。
拘束され身動きができない彼女を見下ろして小さく呟いた。
「… ……仇は討った」
ダガードを見守る皆の視線は辛く悲しいものであった。
全ての終結を物語る風景が俺の目の前に存在していた。
「……」
扉の隙間から見えた光景に俺は……。
そのまま扉を押し広げて、ズカズカと部屋の中へ入った。
「誰じゃ!?」
「まだ残党が?」
騒ぐビィシャ先輩とクレメンス様。
そして警戒を怠ってなかったアンジュリーゼ嬢が戦闘態勢に入った。
シンシアは後方に下がり支援の動きを見せていた。
しかし一人だけ俺の姿を見て、ただ眺めている奴がいた。
ダガードだ。
俺の姿を視認すると肩の力を抜き、黙って見ていた。
そんなダガードに俺は無遠慮に近づいた。
ダガード以外のみんなは警戒したがダガードが腕を上げて止めた。
ありがてぇなぁ。
仮面の中で俺は笑った。
そしてダガードの前に躍り出て、見上げた。
「起きたのか」
「……」
見下ろしてきたダガードは付き物が落ちたような瞳だった。
無言で見上げて、俺はすっと素早く腕を振りかぶり。
ばちんっと力の限りひっぱたいたのだ。
勢いをつけて放った平手は予想外だったのか無防備な状態のダガードを一歩後退させた。
轟く破裂音に一同がびっくりして目を見開いている。
「てめぇ」
俺の声は地獄の閻魔さまのように低い。
「ふざけんじゃねぇよ」
いつものフリージアの言葉遣いなんて忘れ去っていた。
肩を震わす俺にダガードは瞬きを繰り返した。
視界の端でシンシアが口元を抑えていたが、ハッとしたようにおののいていた。
そして何かに気づいたかのように呟いた。
「お、お姉さま……?」
シンシアの呟きは小さいものだった。
しかし静まり返っていた場には、大きく響き渡ることになった。
その言葉でハッとするのはアンジュリーゼ以外の人たち。
「なんじゃと……」
絶句するビィシャは確かめるように俺を見た。
仮面の中で不敵な笑みを浮かべて、そして仮面を脱ぎ捨てた。
からんっと地面に転がった仮面は虚しい。
息を飲む一同を捉えながら、あえて見てなかったジークの顔を見上げた。
赤と銀の瞳が疑わしげに揺れていた。
「フリージア?」
その名前を、呼ぶな!!!
口から俺の名前が出た瞬間、俺は怒りで前が見えなくなった。
視界にちらつく指輪に俺は苛立って鷲掴み、引きちぎっていた。
ありえないくらい手が痛かったような気がしたが、感覚も鈍ったようだ。
「な、にを」
首をさすり驚きの顔に満ちた表情のままダガードは俺を凝視する。
俺はこの手に戻った指輪を見た。こんなもの。
真っ赤になった手の平にあった指輪は小さく紫の宝珠があった。
「私の顔すら覚えてないくせに」
路地裏で会ったあの日。
俺の顔を見てもジークが気が付くことはなかった。
それは俺もだ。
馬鹿みたい。
俺はずっと幻影を追っていたに過ぎなかったわけだ。
そこにいたのに。
馬鹿じゃねぇの。なに本人にジークのこと聞いてんだよ。
ぽたぽたと赤い水が手のひらで流れた。
俺は冷静にそれを眺めながら別の手でポケットを漁った。
そして懐中時計を取り出す。
白く獅子の彫刻が入ったそれはジークから貰ったものだった。
「フリージア、違う俺は」
名前を呼ばれるたびに、胸がナイフで切りつけられているようだ。
「いいえ貴方は正しいわ。間違ったことなんてしてない」
俺は悲痛を耐える表情をするジークを見上げていた。
「……愚かだったのは、私」
ジークから視線を外し俺はシンシアを見た。
「あ、あぁ……お姉さま。私はただ」
俺を守ろうとしてくれたんだろうとは思う。
なんの力のない俺を巻き込みたくなくて、心苦しくも黙っていたのだろう。
でも。
「もういいの。なにも聞きたくない」
ショックを受けたようにシンシアは押し黙った。
それぞれの顔を俺は見回すと、一人だけ状況が把握できていないアンジュリーゼがいた。
彼女はぼそっと呟いた。
「……こんなシナリオ私は知らない」
目の前の光景を信じられないと言いたげに彼女は驚いていた。
ビィシャ先輩たちは何も言わずに、ただ俺を見ていた。
「どうして、ここに」
ジークが白い顔をして何事か言いたそうにしていた。
だが俺はどうでも良くて、心が死んだように冷たく凍えていた。
手に持っていた指輪と懐中時計を地面に放り投げた。
転がっていく指輪や懐中時計をジークは目で追っていた。
「ただ会いたいが為に」
そう、ただ会って話をして。また楽しく……。
「どうしているんだろうって」
待つ日々は長かった。けれど絶対に来てくれるとも思っていた。
「何をしてるんだろうってね」
会えない日々で色々と空想した。
学業が忙しいのかな?それとも誰か良い人でも出来たのかな?
遠い空を見て、何故かじくじくと胸が痛かったことを覚えている。
だから、帰ってこないのかな。
「ね?愚かでしょう?」
俺は今までに見せたことも無い、とびっきりの笑顔でそう言った。
なぜ待ち続けたのか。
なぜジークのことばかり思い起こしたのか。
なぜ、無茶してまで大学に来たのか。
なぜ今ここに立っているのか。
その答えの先には、 があったからだ。
あぁ逃げ出さなければと言う気持ちだけが心を占める。
俺が俺であるために。
「さようなら」
誰に言った言葉だろうか。
俺にもわからなかったが、俺はくるりと背を向けた。
引き留めようとする視線を背中に受けながらも歩き出した。
そのうち、俺は駆け出していた。
バタバタと音を立てて屋敷の中を走り、玄関の扉を開け放った。
暗い夜空と街頭が道を照らしていた。
満点の星空が覗いたが、それを見る余裕は俺にはなかった。
駆け出した俺は今更に手と後頭部の痛みを感じた。
痛くて。痛くて仕方がなかった。
それはきっと胸の痛み以上だったに違ない。
痛い。痛い。
「ハァ……ハァ……いて」
走りすぎて肺まで痛いぜ。は、はは。
は、ははは。
あの頃のジークに会いたい。