03.再会は遠く
疲れ果てて、少し休むだけのつもりでソファに寝ていた。
秘書である女がやかましいが、相手するほどの体力もなかった。
深く寝入っていたが、そこで小さな手の感触を感じていた。
……ん?なんだ?
触れているのに遠慮がちなその小さな手。
懐かしい気がしてまどろみの中に私はたゆたっていた。
何時までもそうしていたかったが、ソファの軋む音が聞こえた。
「……?」
現実に引き戻されて、私はゆっくりと目を開けた。
赤い夕日の光が差し込み部屋はぼんやりと薄暗い。
そんな部屋に、見知らぬ誰かが寝ていた私のソファに座っていた。
ストロベリーブロンドの髪を頭の高い位置で結んだ女の子。
私は息を吸うのも忘れて見入っていた。
もしフリージアが成長したら、こうなっているだろうと想像した姿があった。
「……ア」
フリージア?
擦れて出た声に彼女は振り返った。
透き通る程の紫の瞳が見開いて、私を見つめていたのだ。
一気に私は夢の中から抜け出して彼女の瞳に引きずり込まれた。
その時の湧き出した感情を彼女に聞かせたらきっと驚くだろう。
先ほどの出来事を思い出しながら、私は良い所を邪魔した男子学生を捕まえつつ口封じをしながら笑った。
男子学生は恐怖に絶叫していたが。
それにしても何時もの事だが、フリージアは変わらず鈍くて愛おしい。
「さて、これでよし」
お仕置きを済ませた私はすぐさま自分の研究室に戻った。
待つと言っていたから、彼女は私が帰るまで待ち続けるだろう。
そこが可愛く、そして律儀なことだと感心する。
しかしこのまま帰らなかったら、フリージアは待ち疲れて帰るだろう。
だが怒らない。急な仕事だったのでしょ?っと言うに決まっている。
「まったく……」
物分かりが良すぎるのが玉に傷だ。
もっと我がままを言って、私を困らせたらどうだと言いたくなる。
フリージアが願えば、私はいつだってすべてを受け入れるのに。
私は自室へ戻り、部屋の奥へと進んだ。
待っているフリージアを探すが、その姿はなく首を傾げた。
「フリージア?」
ソファに近づいてみると、そこには気持ちよさそうに眠る姿があった。
呆れながらも、昔と変わらない様子にほっとする。
「わかっているのか。さっき私たちはキスしてたかもしれないんだぞ」
無防備にも程がある。もう16歳だろう?
ストロベリーブロンドの髪を弄びながらその寝顔を見つめる。
「……仕方ない子だ」
白い彼女の肌は眩しく、小生意気な唇は寝息を立てる。
幼い彼女の身体を見下ろして、真新しい制服姿を堪能する。
よく似合っている。
制服を見てここまで胸が高鳴るとは思わなかった。
どうしてくれるフリージア。お前のせいで私は変態の仲間入りだ。
キシッとソファが私の重みで軋む。
ソファに乗り上げた私はフリージアの上に覆いかぶさった。
「起きない君が悪い」
寝息を立てるその可愛い唇を私はゆっくりと奪った。
ぷにっとした柔らかい感触と、フリージアの匂いにクラっとした。
啄めば小さく声を鳴らし、吐く息はどこか艶めかしい。
「ん、……」
フリージアの身体を割って入り体を密着させる。
思っている以上に女の子の身体になっていて、それにドキッとした。
まぁこれ以上のことはするつもりないが。
ちゅっと柔らかい頬にキスをしながら抱きしめる。寝心地が悪そうにフリージアは身じろぐが起きはしない。
「……心配になるな、これは」
一度寝たら起きないタイプだったか……。
不安を抱えながら私はフリージアの感触を楽しんでいたのだが。
「へ、変態がおる」
口元を押さえ青ざめた顔をし、こちらを覗き込むビィシャ・フロレンスがいた。
「……誰が変態だ」
地を這うような声にビィシャ・フロレンスは鼻で笑った。
「ではロリコンじゃったか」
……。……フリージア限定だ。
私はフリージアを開放し、今度から部屋のカギは掛けることを固く誓った。
うぅ硬い。なんか硬い。
寝心地の悪さで俺は意識が戻った。
いつの間にか寝ていたみたいだ。ん?やっぱり、枕が硬い。
寝ぼけたまま硬い枕を触ると、頭上からクスクスとした笑い声が聞こえた。
「ぅ…きーる?」
「あぁおはようフリージア」
寝転んだまま俺の顔を上げながら、楽しそうに笑うキールを見た。
ん?真上にキールが……?あ、うん?
俺が枕だと思っていたものは、キールの膝だった。
ソファに座るキールに俺が枕にして寝ていたみたいな体勢。
「……うん?」
「寝ぼけているのか?」
むにーっと俺の頬を伸ばし遊ぶキールを眺めつつ、眠る前のことを思い出そうとした。
しかしそれはもう大きすぎるため息が聞こえてきたことにより思考が停止した。
「おぬしら……イチャつくのは他所でやっておくれ」
「イチャ?ん、ビィシャ先輩??」
呆れかえってソファの横にある椅子に腰かけている姿を発見。
俺は起き上がりビィシャ先輩を凝視した。
「どうしてここに先輩が?それに私……どうしてキールを枕にしてるの?」
訳が分からな過ぎて、頭がついてこないよ!
「わしはな少し心配になったからのう、様子を見に来たんじゃ。
あと枕にしたんじゃない。そこのフィッシャー先生が自ら枕になったのじゃ」
はぁやれやれっとビィシャ先輩は疲れたように言う。
「え?あぁそうなの……キール。変なことしちゃダメよ」
「私の座る場所がなかったんだ仕方ないだろう?」
真面目な顔をして言うものだから、俺はそうだったのかと納得する。
座る場所がないから邪魔な俺をどかしたいけど、悪いと思って枕になってくれたのか?
「……はぁ?まぁ、そーなんだ??」
いや、なんかやっぱおかしくない?
おいでもまて俺、なんかそこを追及してはいけない気がする!!
この話題はパンドラの箱な気がする!
俺は深く考えないようにした。それが自分の為だ。うん。
「えっとそれで、はっそうだ私てばすっかり用事を忘れていたわ」
がばっと起き上がり、俺はキールのお願いっと拝んだ。
「キールにお願いがあるの」
「なんだ?」
「キールが所持する特殊?なポーション瓶を譲ってほしいの」
お願いっとちらちらとキールの顔色を伺う。
キールは俺を少し見つめてから、ビィシャ先輩の方へ視線を向けた。
「いくつ欲しい」
「……、おぬし。甘すぎるのではないか?」
「何か問題でも?」
「いや、おぬしがそれでいいのなら何もいわんよ」
心底感心したようにビィシャ先輩は頷き、うーんと悩んでいた。
「そうじゃな10個ほしいのう」
「わかった。納品は3日後に、どこに配達する?」
「フリージアの家でよい」
「わかった。フリージア住所を教えてくれ」
キールから紙とペンを渡され、俺は現住所を書く。
住所が記された紙とペンをキールに渡しながら見上げた。
「いいの?大事な瓶でしょう」
「あぁ。フリージアが気にすることじゃない」
「……ならいいけど」
頼んだ身であるが、本当にいいのかなぁ?とか思うが……。
「本当に気にすることじゃない。
でも気になるようなら、昔のように私の髪をたまに結いにきてほしい」
白く長い髪を持ち上げながらキール笑った。
「えぇ、それくらいなら……」
「気が向いたらでいい。学生の本分は勉強だからな」
「うん。ありがとう」
いつになく優しいキールに俺は嬉しくて笑った。
すると強めに頭を撫でられて、キールはソファから立ち上がった。
むしろ向きのまま俺とビィシャ先輩に声をかけた。
「さて二人ともそろそろ日も暮れるから早く帰りなさい」
「おぉそうじゃな。女性の一人歩きは危ないからのう」
「あ、そうね。それじゃぁ帰ろうかしら」
俺とビィシャ先輩は頷き合って、キールを見た。
「またねキール」
「あぁ、また」
「それじゃぁ納品の件。よろしくお願いするのじゃ」
振り返ったキールはいつものすまし顔で不敵に笑っていた。
「わかっている。だからそろそろ帰れ」
「うむフリージア帰ろうぞ」
「はい。それじゃぁ……さようならキール先生」
手を振りながら俺とビィシャ先輩はキールの部屋を後にした。
人気のない廊下を歩きながら俺は強烈な視線を受けていた。
「なんでしょう先輩」
「……忠告したいことがあってのう」
「はぁなんですか」
立ち止まったビィシャ先輩は俺を見上げた。
「男は皆、狼じゃからの。昔馴染みだからと油断せぬようにな」
……えっえぇ~?
なにその忠告、もしかして……なんか見られてた?
かぁあっと恥ずかしくなった俺の顔は真っ赤になっただろう。
「……その反応。まさか既にエロ講師から何かさたのか!?」
「なっなにもされてないです!」
未遂っあれは未遂だから!!
あわあわしながら俺は何度も頭を振って否定した。
「うーむ。そういうことにしとおくがのう。しかし注意は怠らぬようにな?」
「は、はぁぃ」
心に刻んでおきます……俺、男だけど。
校門前で俺と先輩は別れ、夕日に沈む街中を歩いていく。
もうすぐ日が沈み、辺りは真っ暗になっていくだろう。
今日は寄り道をせずに真っすぐ家に帰ろうと思っていた。
いつもの家までの帰り道。
今日は珍しく通行人もいなく、自身の足音が妙に大きく響いていた。
そんな静けさの中で言い争うような声が耳に届いた。
「……!……ぁ……」
ふと路地裏から聞こえる男の野太い声に俺は足を止める。
「ど、うしよ」
よく耳をすませていると言い争う声というか、一方的に追い詰められているような声だ。
周りには誰もいない。日も沈みかかっている。
冷や汗をかきながら俺はしばらく黙って路地裏をじっと見ていた。
さすがに……無防備に路地裏に突入する気にはなれなかった。
どうしようと人を呼ぶべきか考えていると突如と男子学生が路地から飛び出してきた。
「きゃっ」
どんっと路地裏からきた男子学生は血相を変えて前方にいた俺にぶつかった。
「どけ!」
焦る男子学生は逃げるように俺を突き飛ばし無様に転んだ俺を放って逃げて行った。
いってぇ……野郎!か弱い女の子になんてことを!?
心配するんじゃなかった。くそぉ。
「はぁ……」
と言うか何から逃げて?
俺は立ち上がりながら路地裏に視線を向けた。
「!」
そこには闇に紛れるように立つ大柄な男がいた。
黒い服に身を纏い顔を隠すようにフードをかぶっていた。
全身の血の気が引いた。
フードの隙間から見えた銀と赤の瞳が俺をじっと見ていた。
「……チッ」
小さく男が舌打ちをした。
目の前にいる俺に興味がないように辺りを確認し、男子学生が逃げて行った方向に視線を向ける。
な、んだこの男……。
痛んだ黒い服で全身を覆い、唯一色があるとすれば恐ろしい赤と銀の瞳のみ。
不意にのっそりと動いた男に俺は驚いて、一歩下がった。
「っ……」
男の所業を観察しながら俺は逃げるようにまた一歩下がった。
ちらりと男が俺を見るが、横目で確認するだけで逃げた男子学生の方へと歩き出す。
俺のすぐ横を通りすぎ、黙ったまま歩き去ってゆく。
あ、れ……?
通り過ぎたその刹那、俺は見おぼえたあるものを捉えた。
一瞬見えた男の胸元のネックレスの先についていた……指輪を。
小さい指輪の台座には紫の宝石がはめられていた。
その紫の宝石にはひまわりの文様が浮かび上がっていたように見えた。
どうして……?
男が去った方に視線を向けたが、そこには誰もいなかった。
バクバクと心臓は鼓動を鳴らして俺はその場にへたり込んだ。
一目見たその時から男から死の香りがした。
荒んだ瞳は何物をも映してなく、感情の一切が抜け落ちているように思えた。
「なぜ……?」
そんな男が、どうしてあの指輪を持っている?
あれはジークにあげた……俺の指輪。
恐ろしい考えが浮かび、それを振り切るように俺は首を振った。
そんなわけない。
ジークの瞳は金と銀のオッドアイだ……あの男とは違う。
思い出の中にいるジークフリードを思い出す。
眩しい笑顔を見せる姿と、優しさに満ちた瞳があった。
では、どうして……?
「ジーク……」
俺は今までの事を思い出して驚いた。
そうだジークの所在を俺は誰にも聞いてないし、今どこ何をしているか知らないことを。
当たり前のように大学にいると思っていた。
だからシンシアにも聞かなかったし、会えるものだと思っていた。
「たし、かめなきゃ」
震える足をなんとか持ち直し立ち上がった。
沈み込みそうな空のを背に、俺は大きな不安を抱えながら家路を歩く。
しだいに俺は走って家に帰っていた。
ずっと脳裏には黒ずくめの男とジークフリードの顔が浮かんだ。
わからなかった。遠い記憶の中にいるジークの顔はおぼろげだった。
乱暴に玄関の扉を開き、俺は通信機に手を伸ばした。
シンシア宛に電話をかけて、早く出てくれと願う。
「もしもし?」
「シンシア……お願いすぐ答えてほしいの」
シンシアが電話に出るや否や、俺はいても立ってもいられなかった。
「ジークはどこにいるの?」
俺の質問にシンシアは息を飲んでいた。
「……お姉さまどうしたの?」
「いいから。答えて……お願いよ」
嫌な予感がして俺は早く安心したかった。
「ジークフリードは今は大学を休学してるわ」
「どう、して?」
なぜ?だって4年前には普通に通っていたじゃないか。
「お家の事情とは聞いているわ」
「そう、なの?本当に?」
「えぇ……どうしたのお姉さま?様子が変よ」
電話越しにシンシアは心配そうだった。
「なんでもない」
「でも急にジークフリードのことを聞いてきたのに……」
「本当になんでもないのっ」
思ったより大きな声で俺は言い放っていた。
受話器越しのシンシアは押し黙り、静かな声が流れてきた。
「もし、もしもの話をしていいかしら」
「なに?」
「何処かで彼を見かけて変わり果てても、信じてあげてほしいの」
誰のことを言っている?
「心の底には今だって優しい心が根付いているわ」
「シンシア?」
「何も心配しないでお姉さま」
安心させるように言い聞かせる声は優しかった。
シンシアは何かを知っている?
でも知っていて俺には話せないってことなのか?
「私には何も話せないの?」
「ごめんなさい」
その謝罪は俺を突き放し、それ以上のことを話すつもりのない言葉だった。
「……わかった」
「大丈夫だから、信じて待っていて」
「えぇ。ごめんなさいね突然電話なんてかけて」
「いいの。また連絡してね」
和やかに俺はシンシアとの通話をきった。
通信機に受話器を戻し、茫然と立ち尽くした。
『フリージア。オカエリ』
そこにレイズが何時ものように俺を出迎えた。
「ただ、いま……」
『オ風呂沸カシテアル』
「うん……」
レイズはそれでけ言うとリビングに戻った。
廊下にある通信機の前で俺は動かず、立ち尽くした。
先ほどのシンシアの言葉が反芻していた。
『信じて待っていて』
待つ、ね……シンシアにはわからないだろうなぁ。
俺は無意識に笑みを浮かべていた。
待つってな。苦しんだぜ。
この9年間俺がどれだけ友人達の帰りを待っていたか。
その時間がどれほど長くて、辛く、寂しいものか。
帰らなくなった友人たちを待つにはあまりにも長かった。
「だから……私は今ここにいる」
あらゆる手段を持って、会いに来たのだ。
もちろん男になるという夢の為でもあるけれど……。
待つことに、もう飽きていた。
俺は、ジークに会う。
ジークの迷惑になろうが、嫌がられようが知るか。
「仲間外れはもう嫌だ」
この街にジークはいる。
あの男の正体はわからないが、ヤツを探し出して問い詰める。
なぜジークに渡したはずの指輪を所持しているのか。
「ジーク……」
俺は考えを巡らしながらリビングへと入る。
鞄を下ろし今夜の夕食の献立を考えながら今後の事も考える。
まずは逃げた男子学生を発見すること。
そして何があったのかを聞き出して、あの男を探す?
それともあの路地裏に戻って、今日と同じ時間に探すか。
どちらにしろ大学へ行きジークの足跡を探さないと……。
「……絶対見つけてやる」
俺の諦めの悪さみせてやる……!




