麻実の相談事(後篇)
「なるほど、うさぎの名前かぁ」
前野さん宅で、麻実ちゃんから受けた相談事……それは、引き取った子うさぎの名前をつけることだった。
そうかー、名付けなぁ。
たしかに、ペットを飼ううえで一番最初の大きなイベントかもしれない。
決まったら、ずっとその呼び名でその子は生きていくんだしな。
「ほんとは自分らで決めたらいいんやろけど……なかなか思い浮かばんくて……」
「たしかに悩むよねぇ。気持ちはわかるわぁ、麻実ちゃん」
「でもま、そういう事なら断る理由はないよな。一緒に考えよう」
「わぁ、ありがとう!」
引き受けると、麻実ちゃんから輝く笑顔が返ってきた。う……眩しい……! その笑顔は、大学出の青年の疲れ切った心を溶かすかのようだ……!
「とりあえず、みんなで案出していこうか。思いついたら挙げてこう」
姉ちゃんの仕切りで、うさぎネーミング会議がスタートした。
同時に、それぞれが頭をひねりだす。
「はい」
「お、早いな草太。いい名前思いついた?」
最初に挙手したのは、俺だ。
姉ちゃんの問いにこくりと頷く。
こういう時は、最初が肝心なのだ。
最初に地味な案を出す。すると、それを叩き台にしてみんな手を挙げやすくなり、良い案が出る確率がぐっと上がる……という寸法だ。
なので、ここで俺は、候補にならなそうな地味な案を出すわけだ。
我ながらなんと美しい自己犠牲の精神……!
大学時代にゼミの先生が言ってたことを思い出しただけなのは、内緒だ。
「言ってみな、草太」
……よし。ここで地味オブザ地味な名前を挙げるのだ。
「うさぎだから。"ウサ"ってのはどうかな?」
き、きたぁぁー!
うさぎだから"ウサ"! なんて安直!
これぞキングオブ安直。これなら候補にもならず、叩き台としては完璧な役目を果たすであろう!
ここでみんなから「いやぁ、それはさすがにないぞー草太ー」やら「はなくん、それはちょっと厳しいねぇ」とか、若干冷ややかな反応があることウケアイ。
よし、計画成功だ!
「ウサ、かぁ。悪くはないよな?」
「うん。可愛いと、思います」
「はなくん。中々センスあるんやねぇ」
……。
……おや?
みんなの反応が、目が、やけに優しいぞ?
「うさぎで、"ウサ"……覚えやすくていいねぇ」
麻実ちゃんの表情が和らぐ。
いつも俺を見る時の緊張気味な目が、いつにも増して輝いている……?
こ、これは……厳しい……。
なぜか心が、心がエグられるようだ……!
「ほな……、まだ全然案出てないけど、もう"ウサ"でええかな?」
い、いかん。このままでは"ウサ"で決定してしまう。
「ちょ、ちょっと待ったぁー! 今のなし! 今のはなしでお願いします!」
「ん? なんだ草太。自分で出した案なのに、何か不満でもあるのか?」
「ちょっとウサさんはお腹の調子が良くないみたいでですねぇ……! ここは候補から撤退したいそうです……!」
「ん? お腹? 撤退? ちょっと訳がわからんぞ?」
「なにとぞー! なにとぞ~!」
俺の必死な懇願で、なんとか"ウサ"はお蔵入りになった。
……あ、危なかった。あんな考えで出た名前が受けるとは思わなかった。
もしこのまま決まってたら、謎の罪悪感で俺の精神が保たなかったぜ……。
そして、案出しは再開される。
「はい」
「ほい由愛」
と、間もなく手を挙げたのは由愛さん。正座でビシっと挙手する姿もかあいいね~。
「ふっふっふー。実は、麻実ちゃんから電話もらった時から色々考えててん。そんで、この子を見てすぐピーンと来ててん」
不敵に笑っていらっしゃる。
今までに見たこともないほどに得意げな表情の由愛さん。実に愛らしい。
愛らしいのだが……いかんせん良い予感が全くしない。
「うさぎの耳。それと、この子のちょんと立ったオデコの毛。まるで三本の矛のよう。それが決め手やね」
「ほうほう……。それで、名前はズバリ?」
「トライデント」
「却下」
ずーん……。
姉ちゃんの即却下にて、由愛さんは部屋の隅で体育座りすることとなった。
哀れ由愛さん。だが、それはない。
トライデントて……。よもや由愛さんからそんなビックリ厨二ネームが飛び出すとは思わなかった。
ま、まさか……?
あの聖犬の名前をつけたのも……?
驚愕の事実が判明した瞬間だった。
「ふぅ。草太も由愛もその調子なら、仕方ないな」
静かに姉ちゃんが立ち上がり、腰に両手をあてる。
なんだその"やれやれ"って感じの顔は。無駄に立ち姿がカッコいいのが余計ムカつく。
「姉ちゃん。案出たのかよ」
「おう。実はピッタリな名前を思いついてたんだ」
「ほんとかよ……。じゃあ聞くけど、その子の名前は?」
「その子の名前はズバリ……ミッフ○」
「待てえええええええーーーーーーーーーーーーぃ!」
それアカンやつですっ!
・×・ ・×・ ・×・
「うーん、はなちゃん。他に良い案はないの?」
由愛さんの声に反応するように、子うさぎの耳がひょこんと跳ねる。
「いやぁ、あっさり決まると思ってたんだけど、なかなか決まらないもんだなぁ」
「う~ん……。これはもう、トライデントで決まりかなぁ」
「それだけはない」
「ぐはっ!?」
由愛さんが盛大に吐血! ……したように見えたのは気のせい。
だが、吐血せんばかりのダメージを負ったのは確かなようだ。
「トライデント……結構いいと思うねんけどなぁ。ねぇ? はなくん?」
ここここっちに振られても困ります!
「ほらな由愛。草太のあの顔は『こっちに振られて困る』って顔だぞ?」
「そんなことないって。なぁ? はなくん?」
「え、ええ……まぁ」
そんなことあってすみません。
「あ、あのさぁ。みなさん?」
「ん? どしたん麻実ちゃん? 何か案浮かんだ?」
それまでじっとうさぎを見つめていた麻実ちゃんは、ふと俺たち三人に手を振ってきた。
「案というか……ちょっと見てみて」
「ん?」
麻実ちゃんが指さすは、子うさぎ。
目のついた毛玉は、こっちの気も知らずに無垢な視線を向けてくる。う~ん、これは癒される。
「でね、由愛ちゃん。ちょっと草太さんと朝花さんの名前呼んでくれる?」
「え? 二人の名前?」
「うん。順番に」
そのお願いの真意はわからないが、何かあったのだろうか。
「それで、みなさん。うさぎちゃん見ててください」
「お、おう。わかった」
三人よって、うさぎを見つめる。
「んじゃ……呼ぶで? はなくん」
ひょこん。
「お?」
あれ、今……。
「はなちゃん」
ひょこん。
「あ、まただ」
「ね?」
そう。
この子うさぎ。俺と姉ちゃんの名前を聞くたびに、耳をひょこんと動かすのだ。
「あ、耳動くんやぁ。面白いねぇ」
「せやろ? それにこの子、なんか嬉しそう」
「うん。はなくーん、はなちゃーん」
由愛さんの声に、例外なく反応するうさぎ。そのたび、心なしか活き活きしているようにも。
「……うん。これは、決まり、かなぁ」
しばらくうさぎの反応を見ていた麻実ちゃんは、なにやら納得したように頷く。
「この子の名前……"はな"にしようかな」
『ま、マジっすかっ?』
俺と姉ちゃんの声がハモる。
と同時に、子うさぎの耳がまた跳ねた。
「おーお~。これはこれは、決まりですかな?」
由愛さんも嬉しそうに、なぜかからかうように俺たちに視線を浴びせてくる。
なんか由愛さん、トライデントあたりからキャラが不安定だぞ?
……でも、まぁ。
麻実ちゃんの表情とうさぎの反応を見てたら、もう今更変えられなさそうな雰囲気なんだけどな……。
「なんか……今後こいつの名前を呼ぶたび不思議な気持ちになりそうだけどなぁ……」
「まあまあ良いじゃん草太。あたしたちも名前を呼ばれる喜びを分かち合えるってことでさ!」
うん……いや、それで良いのか?
「良かったねぇ麻実ちゃん。名前決まって」
「うんっ。ねー、はなー」
麻実ちゃんの呼びかけに、子うさぎ……改めはなも心なしか嬉しそうである。
……まぁ、コイツが良いなら、いっか。
そうして無事、ここに第三の"はな"が誕生したのだった。