天使さまと枝ひろい。
P.M.3:30
今日はやけに疲れたな……。主に精神的に。
だが、当たり前に時間は進んでいくし、その分の作業をしなくてはいけない。
柿農家の作業にも、色々ある。
一番目立つのはもちろん、秋から冬にかけての"柿の収穫"だろう。
そして、そのための準備作業として、五月頃にする"めつみ作業"。秋に大きな実をつけさせるために、余分な蕾を摘み取る作業だ。
そして、良質な柿を育てるための準備は"めつみ作業"以外にもある。
三月のちょうど今頃、農主さんが行っている柿の木の"剪定作業"もその一つだ。
密になった枝、弱ったり萎びてしまった枝を、専用のハサミ(刃が、三日月を二つ重ねたような形をしている)を使って切っていく。
時に、太めの枝はノコギリを、さらに幹付近になるとチェーンソーを駆使し、農主さんは黙々と作業を進めていく。
ちなみに、俺はまだ剪定作業はさせてもらっていない。
"めつみ"作業や"収穫作業"と同じく、「ただ摘むだけ」「ただ獲るだけ」というわけにはいかないのは、なんとなく分かる。きっと俺のようなぺーぺーにはまだ知り得ない、難しいことが色々とあるんだろうと思う。
そういう俺はなにをしているのかというと、今はただひたすらに、農主さんが切っていった枝を拾い集める作業だ。
地面に散らばる枝を一つの場所に集め、木一本分ほど集まったところで、それを『枝粉砕機』という専用の機械に放り込む。
そして、次の木、次の木と、順に繰り返していく……。
やることは単純……ただ、やっぱりめつみ作業などと同じで、見た目の地味さに反してハードな作業で。地面に落ちる枝を集める……すなわち、ほぼ中腰状態。これが一日続く。
作業が終わる頃には、重だる~い腰が悲鳴を上げてしまっている。いわばこの作業は、枝との戦いのうえ、乳酸との戦いなのだ。
「このままだと、腰の曲がったじいさんになってしまいそうだ……」
作業をしながら、ふと実家の近所にいた"常に前屈状態のおばあさん"を思い出した。
プールの飛び込み台でスタートを待つ選手のようだ、といえばイメージが容易いだろうか。このまま枝拾いを続けていれば、俺にももれなく、あんなヘアピン腰が手に入るのだろうか。
う~ん、嫌だ。
なんてことを憂いながら、それでも俺は意気揚々と枝を集める。
その理由は、たった一つ。
「ふぅー、おおい草太くーん! そこの木終わったら、次は一本先の木の枝集めてくれるー?」
俺のいる木の、数本先の木付近から、幼くも慈悲深い声音が飛んでくる。
「あ、はーい! わかりましたー!」
返事をすると、中腰状態だった彼女が顔を上げる。
そして、見る人が見ればJSとしか思えぬ無垢な笑顔でサムズアップ。
おお……! 太陽こそ場違いなところだが、まさに後光がさしている……!
ちなみに、大きな声を出しているのは枝粉砕機の機械音がすごく大きいからだ。
俺のやる気の源。
そして乳酸に打ち克つための処方箋。
そう……これは、柿農園のエンジェル、乙葉由愛さんと俺、二人っきりでの共同作業なのだ!
ん? 農主さんもいるじゃん、って?
いいの! 農主さんはノーカンなのっ!
……というか、実際農主さんは剪定スピードが速すぎて、はるか彼方の木まで進んでしまっている。なのでほとんどいないようなものなのだ。
ふふふ……楽しい共同作業。
俺が集めた枝を由愛さんが拾い、チッパーに放り込む。逆もしかり。
不意に枝を持つ手と手が重なると、自然、お互いの視線が交差する。
そしてハッとなり照れつつも、二人の世界は他者の侵入を許すこともなく……。
……なんて夢幻のようなことは起こらないんだけどもね。
というか、そんな妄想をする余裕もない。
だって、由愛さんの作業スピード、速いんだもん! 俺よりもはるかに!
俺はそんな彼女に置いてけぼりにされないようにするので精一杯だ。
俺より小柄で手も小さいはずなのに、動きに淀みなく、効率良く枝を運んでいく。
ふ……さすが農家の娘っこですぜ、由愛さん……。
「もうすぐで端っこやから、もうひと踏ん張りやでー!」
でも、なんだかんだで、由愛さんにお声がけしてもらえるだけで俺の気力は上昇不可避!
俺も早く由愛さんに追いつけるように頑張らねば!
「うぉぉおおおおーーっ!」
P.M.6:00
「ぜひぃ、ぜひぃ……お、お疲れさまでした」
「おう」
「はなくん、お疲れさまー。今日はやけに頑張ってたねー」
……少し、張り切りすぎてしまったようだ。
今日も乳酸が腰いっぱいに満ち満ちておられる……。
でもまぁ、あとは帰って休むのみだ。
「んじゃ、気ぃつけて帰ってねー」
「はい。また明日です」
挨拶をすませ、車に乗り込む。
エンジンを回して、いざ発進……
……と、その前に窓を開けて、と。
俺は息を大きく吸い込み、空に向かって吐き出した。
広い空を視界いっぱいに映しながらこうして深呼吸をすると、一日頑張って溜まった疲れが不思議なくらいに散っていくのだ。
まるでおまじないのようなこの感覚を知って以来、俺の帰り際の儀式みたいになってしまっている。
「今日は雲が多めだなぁ……」
やや霞みがかった春の夕空。
暗いおれんじ色と夜闇の気配に境界を敷くかのように、千切れたような不格好な雲がぼんやり浮かんでいる。
うーん、なんとなく、なにかに似てるような気がする。
なんだろうか……。ちょっとモヤモヤするぞ?
「あ、今日は姉ちゃんに晩ごはん食べに行くんだったな」
おっと忘れるところだった。
そうとなれば急いで帰らねば。
窓を閉めてサイドブレーキを押し下げ、車を発進させる。
「お、そうだ。今日は暑かったし、コーラフロートでも頼もうかなぁ」
ゆったりと農道を下りながら呟いていると、気づけばさっきのモヤモヤが消えてなくなっていた。
今回で「一日。」篇はおわり。
次回から、場面や視点が1~数話ごとに異なる「オムニバス形式」となります。新たなキャラも登場します。
引き続きまったり更新ですが、どうぞよろしくです( ・ㅂ・)و