おれんじふぁーむ徒然日記
* * *
「……」
気づいたら、俺は真っ白い空間に立っていた。
周りには誰もいない。
空気も時間も止まってしまってるかのように、何にもないところだ。
「……これは、夢だな」
いや、それ以外に考えらないだろ?
「一応、テキトーに歩いてみるかな」
しばらく歩いていると、遠くに黒っぽいものが立っているのが見えた。
人か? と思ったけど、それはどうやら一本の大きな木だった。
珍しくない。
ここ数年間でもう何度となく見てきた……というか寝食をも共にしてきたといってもいい果物……
……柿の木だ。
ただし、異様にデカイ。
パッと見だけど、5メートル以上はあるだろうか。
「あれ? 誰かいる……」
そのどでかい柿の木のふもとに、一人のおっさんが立っていた。
印象のないごく普通の中肉中背。髪型も平凡。縁のあるメガネ。
ホームセンターなどで安売りされてそうな作業着に、白一色の帽子をかぶっている。
きっとすれ違うとすぐに忘れ去ってしまうであろうほどの、印象の薄いおっさんだった。
「でも……どこかで」
そうだ。
そんな印象の薄いおっさんでも、俺は何度か会ったことがある。
そんな気がしていた。
「あの……」
やりづらい静寂と沈黙に耐えかねて、つい声をかけてしまった。
「あなたは……?」
「……」
おっさんは無言でこちらを見つめてくる。
「以前、どこかでお会いしてませんか?」
「……そうでんなぁ」
あ、喋った。
いや、そりゃ人間だもの。おっさんだもの。
喋るくらい普通だろうけどね?
「塙山草太くんでんなぁ」
「え、あ、そうですけど……」
おっさんは唐突に俺の名前を口にした。
あれ?
俺、このおっさんに自己紹介したっけ?
それくらいの知人だったりしたっけか?
う~ん……。印象が薄すぎて覚えてない……。
いろいろ思いを巡らせていると、おっさんは続けて尋ねてきた。
「君は、柿は好きでっか?」
「柿……ですかあ」
……正直、俺は柿はあまり好きじゃない。
果物自体それほど食べないし、近所のおばはんの豪快かつ妖艶な食べっぷりにトラウマを植え付けられたっていう過去もある。
なので、柿に対してはあんまり良いイメージは、正直ない。
「そんな昔のことでっか?」
――大事なのは。
おっさんの口は動いていなかったが、たしかに俺の胸にはその言葉が反響していた。
大事なこと。
そのフレーズに、俺の中のここ最近の記憶が蘇る。
一面緑の初夏の畑。怖い農主さん。聖犬。黒豚ロース……
……ん? それは記憶か? まあいいや。
秋の所狭しと実る柿。叫び狂う伝説の婆さん。亀のような双子姉妹。
「それと……」
いつも屈託のない優しさを俺に向けてくれる。
――小さいけれどしっかり者のおねいさん。
ふと顔をあげると、そこにおっさんはいなかった。
代わりに、俺の見知った顔がそこにはあった。
姉ちゃん。後輩の保科。農主さん。早乙女ふぁーむの玲さんに黒部太郎氏、それにトリ子ばあさん。
前野のじいさんと孫の麻実ちゃん。農主さんの母美夜子さんに、聖犬エクスカリバー。
野々古姉妹に……、同じ背丈くらいで微笑む、乙葉由愛さん。
――君は、柿は好きでっか?
もういないおっさんが語りかけてくる。
脳内に響く声ならおっさんよりもキレイなおねいさんがよかったが、まあ今はいいや。
改めて俺は、その問いに返す。
「俺は……柿が好きです!」
* * *
――――。
「……あ、先輩。お目覚めっすか」
目をあけると、見慣れた後輩保科の顔がすぐ前にあった。
けっこうな至近距離にちょっと焦ったが、
「それより……その右手のマジックはなんだ」
「い、いや~先輩。あまりに心地よさそうに寝てらしたんで、ちょいと落書きを」
手近なミラーを見ると、ナスカの地上絵のような見事な落書きが完成されていた。
「そうか……、て、そうかじゃねーよ!」
すかさずマジックペンを奪い取って顔に大きな◯を描いてやった。
「鬼ー! 悪魔ー! 先輩ー!」
「先輩はとくに悪口じゃないよな!?」
「そうだぞー! かわいい後輩をいじめるとは、お前パワハラ上司かー」
「姉ちゃんも参加してくるんじゃないよ!」
横でヤジを飛ばす姉ちゃんの顔も、すっかりスケッチブックになっているようだが?
それは言わないでおいた。帰ってからぞんぶんに辱められるがいい……くく。
「そういえば……」
今は春。
俺たちはみんなで、柿農園『おれんじふぁーむ』の少し下ったところにある、桜のよく見える広場でお花見をしていたのだ。
『乙葉おれんじふぁーむ』の面々に野々古姉妹、そして姉ちゃんと保科も一緒だ。
「はなくん。なんだか穏やかな顔で寝てたけど、良い夢見たん?」
由愛さんが笑顔でお茶を渡してくれる。
はい! 今まさに良い由愛見てます!!
……とか言うとドン引きされるのは確実なので言わない。
「う~ん、なんの夢だったかな……。はっきり覚えてないです」
「そっかぁ。まあ夢なんてそんなもんやもんね」
『湯たんぽになる夢は~、鮮明に覚えてますけどね~』
野々古姉妹――紅ちゃんと碧ちゃんが、相変わらず眠くなりそうなゆっくりボイスを重ねる。
湯たんぽの夢とは俺が以前見た夢なんだが、なんと同じ日に、全く同じ夢をこの二人も見たという。
その偶然にそろって戦慄したが、今のところ正夢ではなくて安心している。
……いや、現実に起こるなんてありえないんだけど。
「でも、はなくん。寝てばかりやったらお花見楽しめへんで? だって、今日はお祝いでもあるんやから」
「あ……そ、そうでしたね」
「おう、バイト。……あ、もうバイトとちがうな」
農主さんが近づいてきて、俺の前に仁王立ちになった。
……もうかなりの期間お世話になってるけど、いまだに威圧感のある風貌だ。
「今年からは色々と新しいことも任せるけどな……。死ぬなよ?」
「は、はい……て、いやいや! 最初から死を想定させるのっておかしくないですか……!?」
まあたしかに、農業は危険な仕事ではあるけれどもさ!?
「あはは! おじさんの冗談みたいなもんやから、あんまり真に受けへんでええで~」
「あはは……ですよね」
「でも、これから大変にはなるから、そのへんは覚悟が必要かもやで」
「は、はい! 頑張ります!」
……そうなのだ。
柿農園『乙葉おれんじふぁーむ』にバイトとしてお世話になって数年。
今年から俺は、そのバイトの任を解かれ……
……晴れて正社員として務めを果たすことになるのだ!
今回はお花見と兼ねて、俺を祝ってくれる集まりでもあった。
発案は、姉ちゃんと由愛さん。
俺は当日まで知らされずに招かれたくちで、大変驚いた。
でも、二人の心遣いには控えめに言って感謝感激だ。
「草太! あたしも死ぬ気で手伝うからな! なんなら事務飽きたから農園に入り浸りたいからな!」
「姉ちゃん! 本音が出てるからな!?」
「先輩! アタシも死ぬ気でサポートするっす! なんなら大学の単位を犠牲にして……」
「保科! お前はいいからちゃんと学校行け!?」
「あはは! いや~、一時は『おれんじふぁーむ』も人手不足に悩まされたけど、これで安泰やな~」
俺たちが騒ぐのを見ながら、由愛さんは嬉しそうに笑った。
それにつられて俺たちも笑う。
普段無愛想な農主さんも、目元を緩ませていた。
俺は、ここにいるみんなが好きだ。
それにこの農園を取り巻く人たちが好きだ。
そして、改めて思う。
俺、塙山草太は……
柿が大好きだ!!
* * *
チェック柄の、おれんじ色の手帳。
その内側にはとある青年の日々や、時には青年の姉の妄想などが所狭しと綴られている。
もう何冊目になるかも知らないその手帳の中身は、これからも季節を変えて進んでいく。
とある柿農園の青年たちの背中を追いながら。
おしまい。
これまで『おれんじふぁーむ』シリーズをお読みくださり、ありがとうございました!
草太たちの日々を綴るのは、これにて終わりです。
というのも、私自身柿からは離れることもあって、けじめとしてこのお話も終えようと思ったからです。
今回、草太はまた新しい一歩を踏み出すことになるのですが、私も彼に負けないよう新しい一歩をどんどん踏んでいこうと思っております。
どこかの農園で奮闘する青年は、これからも楽しい日々を送っていくと思います!
改めまして、ここまでお読みくださりありがとうございました!




