風邪と湯たんぽ
まだ寒い冬の朝。
姉ちゃんと向かい合って朝食を食べていると、突然スマホが着信を知らせてきた。
……『BINE』の無料通話の音だ。
「由愛さんからだ!」
その名前を見ただけでテンションがうなぎのようにうねっと上がる!
姉ちゃんは白けた眼差しでこっちを見てるけど、そんなのは全く気にしない。
「も、もしもし! こちら草太です!」
意気揚々とスマホをひっつけた耳に入ってきたのは、幼いながらも年上感溢れる癒やしボイス。
……ではなく、おっさんみたいなしゃがれた声だった。
『もしもし……? はなくん?』
「いえ、人違いです」
『あ"~~! 待って! 切らんといて! ほんと、私、ほんとに由愛やから!』
即通話を切ろうとするも、その叫び声に踏みとどまる。
……ん? 間違いじゃないのか?
画面にはちゃんと『由愛さん!』と表示されてるし、向こうのおっさん声の主も、自分のことを由愛と名乗った。
「ゆ……由愛さんなんですか?」
『うん、せやねん~。ちょっと事情があって……』
由愛さんによると、昨晩から彼女は風邪を引いてしまったらしく、熱や喉の痛みを覚えだしたという。
その副産物として、おっさんのような声まで手に入れたそうだ。
「なるほど……。って、風邪って、だ、大丈夫なんですかっ?」
『う~ん、そんなに酷くはないんやけど、今日は大事を取って休ませてもらおうかなって』
今回はその連絡だったという。
風邪を引いて辛い時だというのに、ほんと律儀というかなんというか。
『ごめんね~。今日は双子ちゃんも来てくれるから大丈夫やと思うんやけど……』
「今す……あ、いえいえ。今日は俺たちに任せて、由愛さんはまず風邪をしっかり治してください」
……本当は「今すぐ看病に行きますッ!!!」と言いたいところだったが、……というか言いかけたが、ここは紳士的に応対した。
『そう言ってもらえると助かるわ~。じゃ、今日はよろしくお願いします』
そうして、由愛さんとの通話は終了。
一度由愛さんと認めてしまうと、あのおっさん声もなかなか愛らしかった。
……というか面白かった。
「ちょっと聞こえてたけど、由愛、風邪だって?」
「そうみたい。それなのにわざわざ電話くれて」
「由愛らしいな」
「……だよなぁ」
そして二人食事も終えて、今日も仕事に向かう支度だ。
「でも、それならBINEのメールで連絡すればよかったのにな」
「あ」
……ほんとだよなぁ?
* * *
乙葉おれんじふぁーむに着いて農園に入ったけど、誰かが来た形跡がなかった。
「ん、おかしいな。時間はそんなに早くないのに」
もうそろそろ始業時間だ。
いつもなら、農主さんがすでに作業を始めてるんだけど……。
「あれ?」
入り口のフェンスが開いていた。
いやでも、いつもの場所に農主さんの軽トラもなかったし、野々古姉妹の原付きも置いてなかった。
そして、由愛さんは風邪でお休み……。
じゃあ、いったい、このフェンスを開けたのは誰だ?
今、この農園内には誰かがいるのか?
急に薄ら寒くなってきた。
「なんで朝からこんな不穏なことになってるんだ……?」
でも、俺もこの農園を預かる一人だ。
ここは園内の確認をせねば。
そう思い歩きだそうとすると、
「な、なんだあれ……」
見慣れない銀色の物体が、農園の地面のあちこちから顔を出していた。
恐る恐るその一つに近づいてみると、それはなんと『湯たんぽ』だった。
「なんだ、湯たんぽか。 …………いやなんで湯たんぽ……っ!」
ここから見えるだけでも、数えきれないほどの湯たんぽだ。
しかも、ご丁寧にそれぞれに愛らしい顔が描かれている。
見た目は、正直かわいい。
でも不気味なのには変わりない。
誰かのいたずらか?
ふと、お隣の農園の黒部太郎氏の顔が浮かんだけど、彼はこんな悪質な真似はしない。……盗聴はするけど。
「じゃあ、いったい誰が……」
……そーたさ~ん……
どこからか、小さいながらも声が聞こえた。
間違いなくこの園の中からだ。
そしてこの声……。
二人分重なって聞こえる独特なのろのろボイスは。
「……紅ちゃん? 碧ちゃん?」
俺がよく聞き慣れた野々古姉妹の声。
「二人とも、どこにいるんだ?」
……声を掛けつつ小走りで園内を回っていると、だんだんその声が聞き取りやすくなってくる。
『そーたさん~、こっちです~、足元です~』
「え"ッ……!!」
二人は、俺のすぐ近くにいた。
正確には……俺のすぐ足元に。
野々古姉妹、紅ちゃんと碧ちゃんは、柿の木と同じように横並びになって、首から上を地面から出していたのだ。
「ふ、二人ともっ!? なんだってそんなことに……!」
『わからないんです~。気づいたら身体が土に埋まってて~』
いつもはほのぼのと明るい二人も、今回ばかりはほとほと困り果てた顔だ。
脱出を試みたのか、おかっぱの髪も激しく乱れ、どことなくモヒカンみたいなことになっていた。
こ、こりゃあひでぇ……。
「ちょ、ちょっと待っててくれ。シャベルか何か取ってくるから!」
『はい~、このままだと~、微生物に分解されて骨になっちゃいます~』
シャレにならないことを言いながら、二人揃って髪の毛を揺らした。
おお~い、バイトぉ~~……。
倉庫付近に辿りつくと、また声が聞こえてきた。
今度は、なんだ……?
というか、今の声はこれまたよく知ったものだ。
たぁ~すけてくれ~ぃ。
……すごく、嫌な予感がする。
だって、こんな弱々しいこの人の声を聞くのは初めてだもの……。
生唾を呑み込みながら倉庫の裏側を覗き込むと、
「の、農主さん……!! あ、あれ……?」
そこには、いつも彼が愛用しているピンク色のキャップ帽があった。
農主さんの姿はない。
「おうい~、バイト~」
でもたしかに、そのキャップの下から声がする。
つまり、キャップしか地面から出ないほど、農主さんはそこに埋まってしまっているというわけだ。
駆け寄ると、そのあたりの土が少し盛り上がっている。
「どうして……、いったい誰が、こんなムゴイことを……」
なんとも言えない気持ちを抑えながら、俺は農主さんの方へ近づき、そのキャップを剥がした。
「おお~、バイト~。ここから引っ張り出してくれ~」
「……」
……俺は言葉を失った。
キャップを剥がして現れたのは、農主さんではなく、
「なんかよ~、顔が強張ってるんや。それに、ポカポカしてきてな~~」
本来頭があるはずのところにあったのは……、銀色の湯たんぽ、だったのだ。
俺は思わず尻もちをついた。
「それより早く土から出してくれ~ぃ」
なおも農主さんだった湯たんぽが喋っている。が、それには構わず来た道を引き返す。
さっきいた二人が心配になったのだ。
「紅ちゃん……、碧……ちゃん」
……。
……お、遅かった。
さっきまで土から顔を出していた二人は、すでに銀色の湯たんぽになってしまっていた。
ちなみに、可愛い顔が描かれているのは、他とおんなじだ。
『そーたさ~ん、お顔が熱くなってきたです~。マグマに落とされたかのような熱さです~』
よく見ると、銀色になった二人の顔からはもくもくと湯気が出ている。
そしてどことなく焦点が定まってないように感じた。
「……」
……俺には、二人にかける言葉はなかった。
それもそうだ。
俺の顔だって、来た時よりも遥かに強張ってるんだから……。
今では口を動かすこともままならない。
さっきの農主さん、そして目の前の双子ちゃんを見ながら、自分のこれからにおののきながら、俺はその場で目を閉じた。
その閉じた目は、二度と開くことはなかった。
* * *
「は……っ!」
上体を起こすと、カーテンの隙間から薄明るい空が見えた。
そして俺はというと、布団の上にいる。
「あ、朝……?」
あれ?
てことは……あの野々古姉妹が埋まってたのとかみんな湯たんぽになったのは、夢だったのか?
「……ま、普通に考えたらそうだろうな」
夢じゃなきゃ色々おかしいだろ。
俺まで湯たんぽになりかけてたし。
ん、じゃあ……由愛さんの風邪とかおっさん声も夢だったってことか。
あのおっさん声が聞けないのは少しさみしいところだが、由愛さんの風邪が夢だったのは良いことじゃないか。
もそもそと布団から出て、朝の支度を進めていく。
「「いただきま~す」」
あとで起きてきた姉ちゃんと向かい合って、朝ごはん。
ピロリロロ~。
と、『BINE』通話の着信。
表示はさっきの夢とおんなじ……由愛さんからだ。
「おはようございます、草太です」
『あ、はなくん……? おはよー』
スマホから聞こえてきたのは、いかつそうなおっさん声だった。
……うん、こっちはどうやら正夢だったらしい。
※ツイッターのフォロワーさんのイラストから、一部着想を得て書かせていただいた回です!




