入レ歯ヶ村
今回は新キャラが登場します。
「あの集落には……なにかがある」
此花新聞社。
地方新聞の発行を手がけるこの会社。その隅の部屋で、一人の女性が唸っていた。
細い指先でキーボードをいじり、目の前のデスクトップPC、その画面に地図を叩き出す。
「……このへん一帯は多くの農園が点在していて、うち、一つはあの大農園……早乙女ファームか」
早乙女ファーム……ブランド名『S・K・E』。
全国でも有数の大規模果樹園。
ただ、彼女はそれ以外の農園について無知だった。
つい先日、彼女は新たな仕事場……新聞の農業部門に配属された。
近年の農業見直しの煽りを受け、『新聞面でも開拓を』と立ち上げられた。
いわば、できたてホヤホヤの部署なのだ。
ちなみに、現在の担当は彼女も含めて二人。
上司にあたるもう一人の男性は、取材のため、すでに現場に潜り込みはじめた。
数日共に働いた印象としては、見た目の印象の薄さとは裏腹に、仕事熱心な上司らしい。
「でも、連絡が全くないのはどうかと……」
問題は、その上司から連絡が途絶え、すでに一週間以上が過ぎているということ。
どうやら彼は独り身らしく、連絡手段は彼のもつ携帯のみ。
その唯一の手段も、今は向こうのバッテリー事情によってままならない状態だった。
やる気はないが、センスがある。
仕事熱心だが、その他のことにはだらしがない。
彼はどうやら後者らしい。
農業に関する記事作成が一向に進まない。
つまり、この新規部署にとっては、スタート地点にすら立てていないということ。
それは問題だった。
最悪、このままこの部署ごと存在が消えてなくなる可能性もないとは言えない。
「困った。困った……けど」
彼女のなかでは、ある感情が渦巻きはじめていた。
「上司の失踪……。そして、点在する謎の農園群……」
彼女、この部署に移る以前は、オカルト関係の記事を記してきた経験がある。
当時の情熱、そして、今回の事案(?)に関する好奇心が沸々と湧いて出てきていた。
「あの集落には……きっとなにかがあるに違いない……!」
それ以前に、彼女は元々オカルト好き。
今回の案件について、首を突っ込まずにはいられないのも、ごく自然なことだった。
そうして、彼女は、取材のために薄暗く狭い部屋を出た。
農業記事作成を進めるため。
そして、彼女自身のオカルト的欲求を満たすため……。
* * *
薄暗い木々のトンネルを抜けると、開けた場所に出た。
国の事業として開拓された農園地帯。
通称『パイロット農園』エリアと呼ばれるこのあたりは、農道が綺麗に舗装され、畑のあちこちに散水用のスプリンクラーが備え付けられている。
「このあたりは、柿を栽培しているらしいな」
小さな軽四車を転がしながら、様子を伺っていく。
緑広がる穏やかな景色に、時間の流れすら緩やかに感じられる。
「さすがに車の中からだと、細かいところはわからないな……」
今のところ、上司の足取りは掴めていない。
どころか、人の気配もない。
農地で働く人たちは、休憩中なのか、それとも別の場所で作業をしているのだろうか。
「まぁ、どのみちこのままでは収穫もなさそうだし」
そう思い、車をさらに進めた。
開かれた場所から逸れ、でこぼこしたコンクリート道を数分ほど進むと、いつしか地畑の多い一帯にたどり着いた。
先ほどまでの開かれたエリアに比べると、幾分道が狭く、そして暗い。
「……おお、いかにもな雰囲気がある」
いよいよ、彼女のオカルト好きの部分が高ぶってきた。
少し速度を落としつつ、あたりの状況を確認していく。
畑を挟むように、ちらほらと民家が見受けられるが、まだ人の姿は見あたらない。
まるで、自分一人がこの世界に閉じこめられたような感覚に陥る。
「……ん?」
と、そこで影が視界に入り込んでくる。
「あれは……人か……」
民家のすぐ隣に並ぶ、やや古びた倉庫。その脇の隙間から、一人の少女が不意に出てきた。
中学生くらいだろうか。髪を頭の片側に一つ結んだ女の子。
そして、その腕には、なにやら白いものを抱いている。
小さく、綿菓子のようで、その頭部から長い耳が二つ。
「うさぎ、か。……ん、待てよ」
そこで、彼女は考えに入る。
人気のないこの地帯。そこに突然姿を現した少女。
そして、白い兎……。
よく見ると、違和感があった。
その兎の両耳の間、額のあたりで、毛が逆立っている。
……それはまるで、角のように。
「……あ」
と、件の少女と目が合った。
少女は少し驚いた顔を見せたかと思うと、一つ小さな会釈を残し、すぐ側の農園への道を駆けていってしまった。
「あれはまさか……、座敷童子……ではないかしら」
そう思うと、居ても立ってもいられない。
彼女は、手近な道路脇に軽四車を停めると、早足になりながら少女が駆けていった農園への道へ向かった。
* * *
駆け足で、農園の入り口を通過する。
途中木製の看板らしきものが掲げてあったが、急いでいるせいか、その内容までは彼女の視界には入らなかった。
そして、柿の木が並んで植わる場所に着くと、
「こ……、これは……っ!」
その場で立ち尽くし、思わず絶句してしまった。
彼女が見たもの。
緑を濃くする柿の木にぶら下がった果実……
……ではなく。
「………………歯?」
歯、だった。
何度も目を凝らしてみるも、見まごうことなく、人間のそれらしき歯だった。
それも、あちこちの枝に無数に吊るされている。
雲がかり薄暗い柿畑に、ぶら下がる無数の歯。
おぞましい光景だった。
「まさか……まさか、こ、こんなことって……」
オカルトな話を聞いては胸を踊らせ、噂流れる場所に行くたびに心弾ませていた彼女。
だが、ここまであからさまな場面に遭遇したのは、生まれて初めてだった。
「この歯……持ち主は……?」
嫌な予感がじわじわと這い上がってくる。
歯は、静かに風に揺れている。
この歯は、いったい何人分のものなのか。
そしてこの歯の元の持ち主たちは何処へ。
「もしかして……」
そういえば……。考えてみれば……。
先ほどの少女も、どこか変ではなかっただろうか。
こちらと目を合わせた途端、一礼とともにこの園へ走っていった。
まるで、こちらをこの場所へ誘い込むかのように……。
――ア"ァ"ッ! ア"ァッ!
「ひゃっ……!」
すぐ頭上でカラスが一羽、鳴いた。
思った以上に近かったこともあり、とても大きい。
漆黒の羽を広げてこっちを見下ろしている。
直感が訴えてくる。
このままだと、自分の身が危ない……!
「ひ、ひぃ……!」
思うと、弾かれるように来た道を引き返していた。
つまづきそうになり、途中にあった木の看板に肩をぶつけながらも、ただひたすらに出口へ向かった。
まさか……こんなことがあるなんて。
今まで、好きとはいえオカルトチックなことに散々首を突っ込んできた。
だが、自分の身に危険が及びそうになると、楽しいなんて言っていられない。
彼女は生まれて初めて、オカルトなことに対して恐怖を抱いた。
そしてそのまま、先ほどまでの好奇心、さらには本来の仕事である取材のこと、上司のことすらも忘れ、一目散に軽四車に乗り込み、この農園地帯を後にしたのだった。
取り残された景色のなか、看板の『前野もんもんぱーしもん』の字がゆらゆらと揺れていた――
皿 皿 皿
「あー、カラスめ。また来おったか!」
「おじいちゃん」
「おお、麻実か。それと……えっと、ミミだったかいの?」
「この子は『はな』やでっ。もう、何度も言ってるのに、いい加減覚えてよ!」
「ははは、すまんな!」
本気で謝っているのかわからない調子で、小さい農園の主――前野歳三は、麻実が抱いていた子ウサギを撫でて笑う。
笑いながら、一本の柿の木、その枝に吊るしてあった入れ歯に手をやった。
「やっぱり、こんなんでは鳥よけにはならんか……」
なにか効果があると思い、知り合いの歯科医院から要らなくなった入れ歯を貰い受けたのだが、その作戦はあえなく失敗に終わった。
「やっぱりダメやったやん。こんな入れ歯だらけの農園。こんなん、鳥よりも人間さまが怖がって入られんようになるってば」
「ほっほ、そうじゃの。たしかにこの光景はホラーだのう。『入レ歯ヶ村の祟りじゃぁ~!』ってなっ」
「ん? それはなにかのパロディ?」
「おお、麻実くらいの年の子は知らんか……。……ま、とりあえず、この入れ歯は回収するとするか」
そうして、歳三は、見た目ばかりおぞましい入れ歯たちを片付けにかかった。
「そうだ……。今度はワシの入れ歯を吊るしてみるか?」
「絶対にやめてっ!?」




