お嬢さまのご不満
・九葉台イオ:ある資産家の末裔。野々古姉妹の幼馴染。
『おれんじふぁーむ』のある山畑エリア。
今回の舞台は、それよりもさらに上に位置する。
畑に挟まれた急勾配のコンクリート道をどんどんと登っていくと、いつしか林道に迷い込む。
人もほとんど通りそうにないほどの暗い場所。外灯は当然、電柱も見当たらない。さびれた小川をまたぐようにして、朽ちた木がお辞儀で迎えてくれる。
そのままくねくねと進んでいくと、やがて山頂に辿りつく。周囲には杉やヒノキの頭、崖のような山肌ばかり。
そんな人里離れたような山の頂にも、少し開けた場所にぽつぽつと民家があり、なかでも一際大きな家が目をひく。
場にそぐわぬほどの、洋風の大きな二階建て。門柱には『九葉台』の表札。
そんな家の、これまた広い部屋の真ん中から呻き声が聞こえてくる。
「寒い、寒いですわ……」
こたつ布団から顔だけをにょこっと出して、初春の肌寒さに身を震わせるは、一人の少女。
宝石のような瞳に、ナイトキャップに隠れる艶やかな髪。儚さと幼さを残す輪郭から紡がれる、生まれたばかりの猫のような愛らしい声。
まるで城の塔で白馬の王子様を待つ姫のように可憐な彼女だ。
……ただし、塔はこたつ、田舎の山奥に姫を訪ねてくる猛者も今のところ一人もいない。
加えて、こたつ布団にくるまるその姿は姫というよりも、亀だった。
「イオ~? いつまでもゴロゴロしてないで外に買い物でも行ってくればー?」
母親に促され、イオと呼ばれる少女は再び呻く。
「う~……、買い物ったって、三十分歩いても小さなコンビニしかないじゃない……」
「あら、いいじゃない。買い物ついでに健康も手に入るし、それに何か新しい出会いでもあるかもよ?」
「ふふん、甘いわねお母さま。私にはもう、心に決めた方がいるのよ?」
「あんた……まだ近所の桃くんのこと狙ってたのね……。というか、そんな亀みたいな格好して威張ってても全然雰囲気ないわよ?」
もぞもぞとうごめきながら、再び顎を落とす。
時刻はすでに十時過ぎ。二度寝にはやや遅いが、それでも彼女は再び目を閉じる……。
「もう! これから掃除するんだし、早くこたつから出なさい!」
「うぎゃー」
少女……九葉台イオは、母親の手によってあっさりと城を明け渡すのだった。
『イオちゃ~ん。いますかぁ~』
テレビを見ながらせんべいを咀嚼していると、外から聞き慣れた声が聞こえてきた。綺麗に二重にハモった声。
のそのそと玄関を開けると、案の定見慣れたオカッパ頭が並んで立っていた。
「あら、紅と碧じゃない」
幼馴染の野々古姉妹。今日もお気に入りのメロンパン模様のポーチを肩にかけ、ちんまりとしている。
いつもと違うのは、その服装がえんじのジャージ姿だというところか。
『イオちゃん、こんにちは~』
「あれ? 今日なんか約束してたかしら?」
『してました~。山菜採りに行くって~』
「あ、あ~。そうだったかしら」
そういえば先日、そんな約束をした気がする。すっかり忘れていた。
「山菜採り……」
元来、面倒がりなイオ。
急に思い出したのもあって、あまり乗り気になれない。
ただ、野々古姉妹の嬉しそうに揺れる姿を見てしまうと、どうにもできないのもまた事実。
しかも、もう一つ、イオが出向くべき重要な理由があった……。
「そうね……。たしかに、約束したものね。じゃ、準備するからちょっと待ってて」
『はい~。楽しみです~』
* * *
結局、予定通り山菜採りに出かけるイオたち三人。イオも、髪を両サイドに結い、ジャージを着込んで、それなりの格好だ。
しばらく山間を歩き、獣道を数本横切ったあと、少し開けた斜面が見えてくる。
「紅、碧、見つけたわよ」
『おぉ~』
緩やかなその斜面には、冬を越えて新しく芽吹いた若い緑色が広がっている。
それを見た野々古姉妹の目が一様に輝く。
『山菜がいっぱいです~』
キャッキャと走りながら地面にしゃがみ込み、さっそく山菜採りにいそしみだした。
二人の様子を眺めながら、イオも歩を進める。
その姿はやや得意げだ。
「どうかしら。フキノトウこそちょっと遅いけれど、つくしにタラの芽、それにそろそろワラビなんかも穫れるんじゃない?」
『ですです~。探すまでもなく山菜いっぱいですね~。さすがイオちゃんです~』
「ふふん。私が見つける場所に間違いはないわっ」
腰に手をあて胸をはるイオ。今にも高笑いしそうな表情だが、残念ながら誰も見ていない。
山菜の宝庫たる野山。
ここは、イオが今日新たに見つけ出した穴場スポットなのだった。
『さすが"深山の大王さま"ですね~』
「う……そのあだ名は言わない約束よ……」
山生まれ、山育ちのイオ。
生まれもったその環境と才能によって、山菜、タケノコ、川遊びスポットなどなど、自然の穴場を見つけることなぞ造作もないこと。
その絶対嗅覚的スキルで天然松茸を見つけ出したのも一度や二度ではない。
「こんなスキル……欲しくないのに……」
ただ、本人にとっては不本意極まりないようで。
一見すると深窓の令嬢たる少女、九葉台イオ。
当人の将来の夢もそれにそぐわず、閑静な豪邸街で素敵な旦那さまと優雅に暮らすことだという。
だがその正体は、山持ち大農家の末裔……加えて、まさに山のために備わったかのようなスキル。さらにおまけに、やや高飛車な性格。
そうして、知らず内についた二つ名は、"深山の大王さま"なのだった。
「ていうか、なんで"大王"なのよ! せめて"女王"でしょ!? それに、こんなド田舎スキルあっても全然嬉しくないのよ~っ!」
『え~、楽しいですよ~。山菜採り~』
「私は不満だらけなのよぉー!」
日当たりの良好な野山で、イオの不満と野々古姉妹の嬉しそうな声が風に揺れた。
? ? ?
『あれ~? あそこに人がいます~』
「……え? 誰かしら」
遠くにふと見えた人影。
それは、一人のおじさんだった。
地味な作業着に白い帽子をかぶった、あまりにも印象の薄いおじさん。
「私以外にこの穴場を見つけるなんて……あのおじさん、できるわね」
『おじさん、こんにちは~。今日はお日柄もよく~』
「そうでんなぁ」
三人だったはずの空間に、いつの間にか紛れ込んで山菜を獲っていたおじさん。
彼は一体何者なのか。
それはまた、別のお話し。




