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いつも隣に  作者: かやこ
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2 彼の名前

「……真澄!」


「……」


 どこか遠くで名前を呼ぶ声が聞こえる。毎日聞いている声だ。優しくてお節介なあの人の声。


「……真澄! 大丈夫か?」


 暗闇に沈んでいた意識が浮上していく。意識がはっきりすると共に、名前を呼ぶ声が大きくなる。


「おい! 真澄! しっかりしろ!!」


「……」


 耳元で叫んでいる声がガンガンと頭に響く。今すぐに起きてしまいたいのに、目を開くことができない。まるで休日の朝、間違えて掛けてしまった目覚まし時計に無理やり起されているかのような不快な気分だ。


「おい! ます……」


「~~っうるさい!」


 真澄は思わず声のする方へ思い切り手を振る。直後、振った左手が何かに当たり、バチンッと大きな音が響響いた。


「ぐふぉっっ」


「いったぁ~」


 真澄はじんじんと痛む左手を擦りながら目を開いた。見知らぬ天井に疑問を抱きながら、左手がぶつかった方向に目を向ける。そこには左頬に手を当てて涙目になっている春樹がいた。鼻にも思いっきり当たったのか鼻血を垂らし、何が起きたのか把握できないというように目をまんまるにして真澄を見ている。


「……何してるの? ここどこ?」


 起きてそうそう鼻血を垂らして涙目になっている兄の姿など見たくはない。


「ここは病院だ。これはお前が……! って、大丈夫なのか? 交通事故に撒き込まれて意識不明だって連絡があったんだぞ!あれほど気を付けろといったのに」


「交通事故に巻き込まれた……?」


 春樹の言葉に真澄は徐々に今朝の出来事を思い出していく。新学期初日、あれだけ周りに注意するようにと春樹に言われたにも関わらず、車に轢かれそうになったのだ。


「外傷はないらしいが、どこかおかしなところは無いのか?」


「大丈夫。巻き込まれたって言っても、直前で車が横に逸れたの……」


 そう、あの時、運良く車は真澄を避けた。自他共に認める不幸な体質を持つ真澄を避けたのだ。普段だったら確実に車に轢かれていただろう。今までも不幸を避けてきたとこは何度もあった。しかし、どれも事前に気がついて自分で避けるか、周りの人に助けてもらっていた。あんな状況で、車の方から真澄を避けてくれたことなんて一度もなかった。


「横に逸れたって……、それは、随分と運が良かったんだな……」


 春樹もそう言いながら、不自然さに疑問を隠しきれないようだった。真澄の運の悪さを誰よりも近くで見てきたのは春樹だ。何か起きるたび彼にいつも助けてもらっていた。


「……」


 今朝、春樹は大学に外せない用事があり、真澄を送っていく時間がなかった。助けてもらっているばかりでは情けないと、この機会に真澄は自分ひとりでもなんとかなると証明したかった。結局、迷惑をかけるだけになってしまったが。

 

「ごめんなさい」


「……何のことだ?」


「大学、大切な用事があったんでしょ?」


 真澄は春樹の腕時計をちらりと盗み見て、時間を確認する。ちょうど11時を指したところだ。窓の外から指す日差しを見るに、事故から数時間しか経っていないはずだ。きっと、用事をすっぽかして来たのだろう。


「気にすんな。大事な妹が事故に遭ったら、こっちを優先するのはありまえだろ」


 そう言って、寝たままの真澄の頭に手を伸ばす。

 もう少しで頭の上に手が乗ろうとしたとき、真澄は勢いよく手を避けて起き上がった。行きどころの失った手が小刻みに震えながら元の場所へ戻っていった。またしても涙目になりながら、春樹は真澄に問いかける。


「あの……、真澄さん? もしかして不快だった?」


「鼻血、拭いたら? さすがに鼻血垂らしながらは……ね」


 真澄はベッド横に置いてあったティッシュを何枚か取ると、春樹に差し出す。気まずそうに春樹は受け取ると、無言で血を綺麗に拭きとった。


「……」


「……そうだ、あの時」 


 気まずい沈黙が続く中、真澄は思い出したように話し始めた。 


「あの時ね、私を助けようと駆け寄ってきてくれた人がいたの。私と同じ高校の制服を着た、多分新入生。彼が必死で向かってくるのを見たら、不思議と死に対する恐怖心が和らいだというか、なんというか……。とにかく、安心できたんだ。これから死ぬかもしれないっていうのに」


 言いたいことが上手くまとまらず、真澄はしどろもどろに話す。目に焼きついたあの時の光景を思い出す。若干幼さを残した整った顔立ちで、必死な様は綺麗とも感じられた。


「彼ってことは、その男に一目惚れしたってことか?」


「ちがっ、一目惚れとかそんな恋愛的な意味じゃなくって……。もしかしたら、彼のおかげだったのかもってこと!」


 春樹は急に恋愛相談になったと思ったのか、呆れているようだったのに対して真澄は慌てて反論した。


「彼が助けようとしてくれたから、車が逸れてくれたのかなって。まぁ、何の根拠もない話だけどね」


「不幸な真澄が運良く助かったのは事実。だから、何か他に真澄が助かった要因があったんじゃないかって言いたいのか? そして、それがその彼だったってことか?」


「そう! それが言いたかったの」


 それを聞いた春樹はいつになく真剣な顔をして考え始めた。妹であっても兄が何を考えているのか見当もつかない。手持ちぶたさになった真澄は、もう一度ベッドに横たわると何も無い天井を見つめる。


 ――そう言えば私が目を覚ましたなら、看護婦さんとかに連絡しなくていいのかな? 怪我してもいないのにいつまでも病院のベッドで寝ているのも居心地悪いし……


 そう思った真澄は目が覚めたと看護婦に連絡するよう、春樹に願いしようとしたときだった。


「藤堂譲」


 春樹はぼそりと呟くようにそう言った。


「確か警察が真澄の様子を確認しに来たとき、現場に居合わせた男子高生が、事故に巻き込まれた真澄の介抱をしてくれたって言ってたんだ。警察は外傷がないのを確認して、目が覚めたら話を聞きに来ると言って帰って行ったが、お礼言おうと一応名前を聞いておいた」


「それが藤堂譲?」


 春樹はそうだ、と言うように深く頷いた。


「同じ高校だし、お礼がてら会ってみたらいいんじゃないか?」


 もしかしたら、彼は何にも関係ないかもしれない。偶然交通事故の瞬間に居合わせて、反射的に身体が動いて助けようとしただけかもしれない。むしろその確率の方が高いはずだ。結局、真澄の考えは自分の良いように解釈しただけかもしれない。

 だけど、少しでも希望があるのなら。不幸続きの人生に光を見出すことができるのなら、何だってしたい、と彼女は思う。


「ありがとう、お兄ちゃん。彼に会って話してみるよ!」


 真澄は満面の笑みでそう告げた。

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