竜神乱心せり
その惨景を、忘れない。
空は紅に濡れていた。
業炎の柱は天を焦し、皮膚を燃やすほど苛烈に燃え上がっていた。
本来であれば優しい夕暮れに包まれるはずの世界は、途端に地獄の底へと変貌し、非力な民達の悲鳴で埋め尽くされていた。
朱に染まるは天だけでなく、大地ですら夥しい鮮血で染められていた。
それを見つめる少女が一人。
為す術などなく、その惨劇を目の当たりにしていた。
逃げ惑う人々は余りに脆く、あっという間に一つの厄災に踏みつぶされる。
そうだ。これは戦争などではなく、たった一つの厄災がもたらした虐殺であるのだ。
ソレは長い首をもたげ、禍々しい咆哮を響き渡らせた。
分厚い鱗に太い四肢。あまりに巨大で不気味な体躯は暗黒のようにドス黒く、口腔から除く幾本もの牙は鋭く――そして血に塗れていた。
少女は涙を流しながら、その災いの名を口にした。
「……竜」
見間違えるはずがない。
ソレこそは国を守護するはずの竜神であり、愛すべき民を襲う厄災などではなかった。
そう、この日までは。
竜が火を吹く。
城壁ですら容易く溶かすであろう、高熱の息吹を。
それはあまりにも凶暴に、人々へ直撃し――一瞬にして炭へ変えた。
まるで歓声を上げるかのようにして、その巨体は一際高く吠え、謳う。
「ぁ……ぁあ……」
もはや言葉など形を成せず、空疎に息が漏れるだけでしかなかった。
少女は誰かに手を引かれ、森の向こうへと引きずり込まれる。
虐殺の光景と、救いを求める悲鳴は次第に遠ざかっていく。
少女は引かれる力に従いながらも、ずっと後ろを向いて、最後まで見届けようとした。
だが、木々の葉がそれらを覆い隠してしまい、結局は森の深い静けさに埋もれてしまった。
私は、その惨景を、忘れない。
少女は唇をきつく噛みしめ、この痛みを誓いとして、森の中へ走り去った。