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人を異世界へ飛ばす大型トラック美女運転手、今日も元気に残業中!  作者: 酣睡


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悪辣なる心理戦、暴走を始める追走劇

エンジンの暴虐な咆哮が、険しく切り立つ峡谷と断崖の狭間に狂乱の木霊を響かせていた。


一見すれば何の変哲もない、むしろ実用一辺倒の退屈なファミリーセダンに偽装されたその黒い車体。だがその内奥には、WRC(世界ラリー選手権)の最高峰で覇を競う獰猛な心臓部が隙間なく詰め込まれていた。


フルタイム4WDシステムが凄まじいトルクを冷たく濡れたアスファルトへと叩きつけ、連続するブラインドコーナーとタイトなヘアピンの間隙を、狂気のインカットとスキール音とともに切り裂きながら疾走していく。


しかし、そのステアリングを握り締める白石絢香の薄いシャツは、とっくに冷え切った脂汗によって肌へぐっしょりと張り付いていた。


普段の冷艶で気高い白磁の如き美貌から血色は完全に失せ、グリップに爪を食い込ませるほど力み続けた十本の指先は、すでに極限の痙攣と麻痺の兆候を訴え始めている。


ステアリングを切り込むたび、電光石火のヒール・アンド・トゥでシフトダウンを叩き込むたびに、張り詰めた神経が引き裂かれるような鈍痛が脳天を貫く。


助手席では、白石宗一郎が深く首を垂れ、発光するスマートフォンの画面の上で目にも留まらぬ速さで指を走らせていた。幾重にも及ぶ軍事レベルの暗号化を施した最後の一通のメールを、外部のセーフハウスへと送信し終える。


端末を収めると、彼はフルバケットシートのヘッドレストへと後頭部を重く預け、両の瞼を固く閉ざして、淀んだ死水のような沈黙へと沈み込んでいった。


ほんの数十分前、淀んだ緊迫感に満ちた白石家の別邸において、この兄姉はこれまでの人生で一度として成し得なかった行動に出た——名門の長男と長女としての傲慢も、矜持も、そのすべてを脱ぎ捨て、幼く震える白石花の華奢な身体を、ただ無我夢中に抱きしめたのだ。


彼らは、あまりにも研ぎ澄まされた冷徹な声音で花に言い渡した。遠くない未来のいつか、あるいは今夜この瞬間にでも、自分たち二人は白石こころが駆るトラックの巨大なタイヤの下で、一片の肉塊へと成り果てるかもしれないのだと。


もしこの血塗られた破滅の結末を回避できぬのならば、花は涙を拭い、この骨まで喰らい尽くすような呪われた一族の中で、たった一人で生き抜く術を学ばねばならないのだと。


白石花は泣き叫び、発狂せんばかりに取り乱してその不条理な遺言を拒絶した。だが白石絢香は、生まれて初めて見せる氷のように冷酷で峻烈な態度をもって、ある種の加虐にすら似た決絶さで、未だ訪れてはいない、されど運命の帳簿に刻印されたその血塗れの未来を、妹の小さな胸の底へと無理やり呑み込ませたのだ。


それは幼き妹への遺託であり、生きて交わす最後の別れであった。


「……後続の追手は、まだ来ているの?」


絢香は激しく肩を揺らし、焼きつくように乾き切った喉から息を絞り出した。下顎を伝った冷汗が、震える太腿の生地の上へと滴り落ちる。


ほんの先ほど、高速道路とバイパスが交差する合流地点において、彼らは何の前触れもなく複数台の大型重トラックによる狂乱の突撃包囲網に見舞われた。


もし絢香が自らの「未来演算」をもって、コンマ一秒の極限の衝突死角を事前に看破していなければ。そしてこの特注ラリーセダンが誇る異常なまでのサスペンション剛性とダンパーの減衰力がなければ、最初の挟撃の時点で、車体ごと圧殺されて鉄屑の棺桶と化していただろう。


彼らは塗装を削り落とし、火花を散らす紙一重の代償を払って包囲網の隙間を強引にこじ開け、遮二無二アクセルを踏み抜いて逃走を図ったのだ。


だが、このラリースペックの怪物が、唯一残された退路を辿ってこの狭隘で曲がりくねった、退路の一切存在しない一方通行の登坂山道へと飛び込んだ瞬間、助手席の宗一郎の心臓は嫌な音を立てて跳ね上がっていた。


嵌められたのだ。


ここは逃走のための活路などではない。相手が周到に網を張り巡らせ、獲物を逃げ場のない屠殺場へと追い立てるために誂えた、死への一方通行であった。


二人がその致命的な失策を悟った、まさにその刹那——


キィィィン——ッ!!


背後に口を開ける漆黒のコーナーの暗がりから、夜の帳を暴力的に両断する、死の白光を放つ二条のハイビームが猛然と突き刺さった!


マフラーから吐き出された暴力的な排気圧が、両脇の切り立つ山壁の小石をバラバラと激しく崩落させる。


大気を、そして大地そのものを震わせる重低音の地響きとともに、深淵の怪獣の如き十トンの漆黒の重トラックが、あらゆる物理法則を嘲笑う超絶的な速度をもって、天を突く凶悪な殺気を纏いながらバックミラーの視界いっぱいに膨れ上がり、逃げ場のない後背へと狂犬のように喰らいついてきたのだ!


宗一郎はミラーの中に映る、見慣れていながらも酷く見知らぬ、鋼鉄の巨獣となって圧迫してくる黒い影を見据え、その喉仏を苦しげに上下させた。


彼は再びスマートフォンを抜き取ると、画面上に配置された隠し自作プログラムを淀みなくタップした。躊躇うことなく、先ほど追跡を受けた際に逆探知に成功した電波の発信源を瞬時にロックオンし、強制的なホットラインを確立させる。


後方で猛威を振るう成仏号の運転席。エアコンのルーバーに固定されたスマートフォンのディスプレイが突如として眩い光を放ち、誰の手も触れられぬままリモート操作で通話が接続され、車載スピーカーがハンズフリーモードへと自動で切り替わった。


白石こころは眉を僅かに跳ね上げ、自らの端末が逆ハッキングされたことを即座に悟った。


常人の肉眼を欺く「認識の歪み」を纏った透明人間である彼女を、この物質世界において直接特定することは至難の業だ。


だが、飛び交う電磁波の痕跡を手繰り寄せ、端末そのものへと直接侵入を試みるのであれば、このエリートである兄姉にとって造作もないことなのだろう。


白石こころは小さく唇を尖らせ、胸の内に微かな苦い悔恨を抱いた——あらゆる分野において十数年もの間自分を踏み躙り続けてきた二人の天才を、やはりどこかで甘く見すぎていたらしい。


『こころなのか?! 頼むから落ち着いてくれ、俺たちならちゃんと話し合えるはずだ!』


普段の沈着冷静さをかなぐり捨て、極度の横揺れと焦燥によって激しく擦れ狂った宗一郎の怒号が、スピーカーのコーンを震わせてキャビン内に炸裂した。


その耳慣れた声を聞きながら、白石こころの胸の奥には、どうしようもない苛立ちがふつふつと湧き上がっていた。


滑稽極まりない。かつてあの氷のように冷たい白石の屋敷で、幾重もの夜を泣き明かし、廊下の片隅で小さく縮こまりながら「どうか少しだけでいいから、ちゃんと話を聞いて」と涙を浮かべて懇願していたのは、他ならぬ自分の方だったはずだ。


それが今になってどうだ。立場が逆転した途端、あの傲慢の塊であった白石家の嫡男が、通話越しに冷汗を垂らしながら命乞いをしてくるというのか?


白石こころの眼差しが、一瞬にして凍てついた。


彼女の脳裏に、あの受託伝票に鮮血のような朱色で記されていた文字列——【難易度:超SSS級】が鮮明に浮かび上がる。


あのような理不尽と狂気が支配する終末の次元など、生半可な一般人の勇者を何人送り込んだところで何の解決にもなりはしない。


人類社会における最高峰の、真の天才と呼べる魂を贄として捧げてこそ、辛うじて崩壊の濁流を押し留めることができるのだ。


もしこの二つの極上の魂を取り逃がし、あの異世界が完全に瓦解してしまえば、帰る場所を失った無数の魂の残滓が現世へと雪崩れ込み、どれほど未曾有の霊的破局を引き起こすか知れたものではない。


これこそが、多元宇宙の調和を維持するための絶対の大義名分なのだ。


その歪んだ論理の整合性が完了した瞬間、白石こころの胸中はこれ以上ないほど晴れやかに澄み渡った。華奢な右足を迷いなく踏み下ろすと、成仏号は地獄の番犬の如き憤怒の唸りを上げ、十トンの鋼鉄の巨軀が夜風を切り裂き、そのフロントマスクを更なる狂気の速度域へと押し上げていく!


その刹那に解き放たれた圧倒的な質量兵器の突進力と死の重圧は、前走車に座る兄姉の心臓を一瞬にして跳ね上がらせた——。


本気だ。


この妹は、本当に次のコーナーの先で、自分たちの骨も内臓もこのマシンごと、ミンチへと跡形もなく轢き潰すつもりなのだと!


『こころ! 過去のことはすべて姉さんが悪かったの、取り返しのつかないことをしたと分かっているわ……! お願い、私たちに償うチャンスをちょうだい……!』


続いてスピーカーを震わせた絢香の悲痛な叫びには、彼女がこれまでの誇り高き人生でただの一度も見せたことのない、泥を啜るような卑屈さと哀願が滲んでいた。


白石こころは鼻腔の奥で、無慈悲にせせら笑った。


まったく、どこまでも完璧で隙のない政治的レトリックだ。「償うチャンスを与える」——そんな耳触りのいい曖昧な美辞麗句を並べ立て、具体的にいかなる代償を支払い、何を差し出すのかには一切触れず、安っぽい家族の情愛の鎖でこちらの足首を縛り付け、自分たちの高貴な命だけは掠め取ろうという算段なのだろう。


白石こころは、この長女の図太さに感嘆すら覚えていた。いつ車体ごとスクラップにされて肉片になってもおかしくない極限の修羅場にあって、絢香の脳髄はなおも光速で思考を回転させ、最も生存確率の高い言の葉を選り分けているのだから。


かつて無力だった頃の自分がこれほどの絶望へと追い詰められていたならば、とうの昔に頭が真っ白になり、ただ頭を抱えて泣き叫ぶことしかできなかったはずだ。


白石こころはもはや、彼らと言葉を交わすことすら億劫だった。ステアリングから片手を離し、ダッシュボードの業務用トランシーバーの送信スイッチを押し込むと、まるで深夜のコンビニのレジで会計を済ませるかのような、抑揚のない平淡な声で告げた。


「こちら白石。ターゲットは想定以上に手強いです。ライン取りが非常に巧妙で、一撃で仕留めるのは難しいかもしれません」


トランシーバーの向こう側からノイズが混じり、続いて岡田がズズッと熱いスープを勢いよくすする下品な音が響いた。


『構わん、全力を尽くせばそれでいい。出発前にも言った通り、今回しくじったところでお前を責める奴はおらんし、ましてや電撃の懲罰なんぞ食らうわけもない。肩の力を抜いて踏め、安全第一だ』


岡田としては、単に部下の緊張を解そうと放った気休めの言葉に過ぎなかったのだろう。だが白石こころの耳には、それが明確な警告として突き刺さった。


彼女にとって、今夜という千載一遇の好機を逃してしまえば、二度目のチャンスなど永遠に訪れないのだ。白石宗一郎と白石絢香という怪物は、同じ罠に二度足を取られるような間抜けでは決してない。


しかし——通話を繋ぎっぱなしにしていたスマートフォンの回線を通じて、この何気ないやり取りの一言一句が、前方のラリーカーの車内へと余すところなく垂れ流されていた。


『電撃……? こころ! 答えなさい、貴女はこれまで一体どんな目に遭わされてきたの……ッ?!』


絢香の悲鳴が裏返り、その双眸が見開かれて血走った。


任務に失敗すれば……電撃による肉体への拷問が待っているというのか?!


一体どこの世界の組織だというのか。人外の科学力を操るその闇のシンジケートは、一体どれほど非人道的な苦痛の檻で彼女たちの妹を苛み続ければ、道端のアリを踏み潰すことすら怯えて泣いていた無力な少女を、これほど感情の抜け落ちた冷血な殺人機械へと調教できるというのか?!


際限のない自責と血を吐くような悔恨が絢香の理性を濁流となって押し流し、ステアリングを握る両腕が激しく打ち震えた。マシンの走行軌道が致命的に乱れ、リヤタイヤが断崖の縁で激しくスキッドを起こす。


「姉さん! ステアリングを放すな! 落ち着け!」


宗一郎の怒号が、平手打ちの如く絢香の鼓膜を殴りつけた。その顔面もまた死人のように青ざめていたが、その双眸の奥には、死地から生をもぎ取ろうとする野獣のような獰猛さが宿っていた。


「取り乱すな! 生きるんだ……! 今夜、俺たち二人がこの山道を生き延びて突破してこそ、初めて償いが叶うんだ! 生きていなければ、あんな地獄からこころを奪い返すことすらできないんだぞ!」


宗一郎の叫びは、頭上から氷水を叩きつけられたかのように絢香を覚醒させた。


彼女は迷わず自らの舌先を強く噛み切った。口内に広がる生々しい鉄の味が、霧散しかけていた意識を力づくで繋ぎ止める。


そうだ。


車輪の下で肉塊となって果てることなど、ただの楽な現実逃避に過ぎない。自分たちが犯した大罪のすべては未だ何一つ清算されてはおらず、暗黒の泥沼の中で拷問に耐え、電撃の制裁すら日常茶飯事として受け入れてしまっているあの哀れな妹が、自分たちの救済を待っているのだ——。


今夜、ここで死ぬことだけは、絶対に許されない!


車載スピーカーから漏れ聞こえてくる、実の兄姉によるまるで心の臓を曝け出すかのような情熱的な掛け合いを耳にして、白石こころの全身に悍ましい鳥肌が立ち並び、冷たさに身震いした。


あの二人はかつて、同じ屋根の下にありながら自分に一瞥の温もりすら向けてはくれなかったはずだ。今になって急に家族愛に目覚めたかのような熱烈なメロドラマを演じ始めるなど、吐き気を催すほどに気味が悪い。


ましてや、今の彼女は公務員の如き安定と高邁な理念を兼ね備えたこの「転生事業」を、心の底から愛してやまないのだ。


それに、所謂「電撃」について言えば——白石こころの脳裏には、レベッカが普段から妖艶な笑みを浮かべながら「超高圧次元スタンロッド」を手にし、こちらの世界へ不正入国してきた異界の怪物を容赦なく丸焦げにして物理的な超解脱へと送る、あの凶暴極まりない光景が去来していた。


転生部門において、真の意味で電撃制裁の対象となる重大過失など、業務命令に対する明確な反逆か、社内資産の横領といった規律違反を犯した時くらいのものだ。


そこまで思考を巡らせた瞬間、白石こころは閃いた——。


岡田のあの食えない柴犬め、わざとやっているのだと!


管制室のモニターに齧りつきながら現場の動向を監視しているあの課長は、通話回線が繋がっていることをとっくに察知した上で、意図的に事実の文脈を削ぎ落とし、半ば狂言のような恐怖を匂わせたのだ。


そしてその効果は、極めて劇的であった——先ほど白石絢香のマシンが一瞬見せた致命的なラインの乱れこそが、その何よりの証左であった。


『こころ、お願いだから止まりなさい! 貴女をそこから必ず助け出すわ……心配いらない、姉さんがついている、すべて元通りになるから!』


端末の向こうから響く絢香の声は、すでに驚異的な復元力をもって張り詰めた冷徹さを取り戻していた。声はかすれながらも、そこには名門の正統後継者だけが持つ不屈の鉄の意志が宿っている。


白石こころは内心で舌を巻いた。この長女の神経構造は一体どんな特殊合金で鍛え上げられているというのか。これほど極限の精神的圧迫と死の追走劇に晒されながら、僅か数秒でメンタルを立て直し、状況を掌握し直して見せるなど。


だが……岡田のあの「心理誘導」が、確かに絢香の急所を抉り抜いたというのなら、自分もその悪意の波に乗っかり、より決定的な揺さぶりをかけてやればいい。


白石こころの唇の端に、極めてサディスティックな、冷ややかな三日月が浮かび上がった。


幼少の頃から、彼女はこの二人の気質を骨の髄まで知り尽くしている。


前方を走るあの特注ラリーマシンが、大蛇のように険しい峠道を極限のドリフトで駆け抜けられているのは、あらゆる武芸と機械工学に精通した長女がステアリングを握っているからに他ならない。


助手席の宗一郎のような、オフィスで財務諸表を眺めることしか能のない男が運転していれば、とうの昔に側溝へ突っ込んで横転しているはずだ。


操舵輪を握っているのが女であるならば——同じ女として、最も精神を焼き切り、理性を完全に破綻させる告白とは何であるか。


白石こころは再び無線機の送信ボタンを長押しし、極めて平淡な、まるでそれが朝の歯磨きと同じくらい日常化しているかのような無機質な声音で、スピーカーの向こうの管制室へと問いかけた。


「課長。今回の任務を失敗しても電撃を受けずに済むのだとすれば……確認ですが、いつものように、上層部の幹部の方々へ私の身体を差し出して、夜のお相手をすればよろしいのでしょうか?」


ブフォッ——ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ!!


半分だけ投げかけられたその余りにも露骨で淫靡な問いかけが虚空に落ちた瞬間、無線機の向こうから岡田が気管に熱湯を詰まらせて激しく悶絶する咳き込みが響き渡った。


転生部門のオフィスで、岡田は自らの胸板を激しく叩きながらモニターを見つめ、全身の毛を逆立たせていた。白石こころが故意に罠を仕掛けていることなど百も承知だ。


トラックのノーズに備え付けられた高解像度暗視カメラ越しに見る前方のラリーカーの走りはあまりにも教科書通りで完璧であり、体当たりの隙など微塵も存在しなかった。


白石こころは、自分に芝居のパスを回してきたのだ。


だが、この内容は一線を越えすぎている! 岡田は恐怖に震えながら柴犬の頭を縮こまらせた。この歳になって本社のコンプライアンス部門から「極めて悪質な職場性加害」として査問会に引きずり出され、文字通りの断頭台に送られることなど御免被りたかった。


進退窮まった岡田は、すがるような視線を隣に佇むレベッカへと投げかけた。


レベッカは最初の一瞬で、この精神破壊工作の真髄を完全に掌握していた。サキュバスとして、人の心の暗部に爪を立てることなど彼女の十八番である。


彼女はピンヒールを優雅に響かせて通信機へと歩み寄ると、マイクを滑らかに奪い取り、蜜のように甘く気怠い声色を作って、真顔のまま途方もない出鱈目を紡ぎ出した。


『あらあら、こころちゃん、心配しなくていいのよ。今回の標的が難敵であることは上層部も重々承知しているわ。だから安心して。今夜しくじったとしても、貴女が抱かれる人数は——たったの三十人で済むように、私が手を打っておいてあげたから』


「たったの三十人ですか? 思っていたよりも随分と寛大ですね」


白石こころは、感情の抜け落ちた声でその軽やかな自虐を受け止めてみせた。


このオフィスの先輩と後輩が繰り広げる狂気の人形劇を前に、脇に控える岡田は息をすることすら忘れ、ただただ戦慄していた。


だが——この会話の破片が前走車のスピーカーから吐き出された瞬間、それは車内を満たす空気を原子レベルで爆縮させる核弾頭と化した!


効果は、劇的という言葉すら生ぬるかった。


管制室のモニターに張り付く犬と猫の瞳の前で、それまで水のように滑らかにコーナーをトレースしていたラリーセダンの挙動が、唐突に狂乱の跳躍を見せたのだ! 視界の利かないブラインドコーナーのイン側において、セダンの右フロントフェンダーが「ガガガッ!」と凄まじい金属音を響かせてガードレールへと激突し、闇夜に目も眩むような火花の大輪を咲き散らかした。


悲鳴を上げるスキール音とともに、車体は大きく体勢を崩しながら、無様にコーナーの出口へと弾き出される。


この致命的なミスによって、十トンの成仏号は夜の帳を切り裂いて一瞬にしてその車間距離をゼロへと詰め寄った。漆黒の極厚鋼鉄バンパーが、逃げるセダンのリヤエンドへと狂犬の如く喰らいつく!


ガードレールのない曲がりくねったこの死の峠道において、成仏号のツインターボブーストを無闇に全開にすることなど不可能だった。


相手の精神が崩壊し、自ら走りを乱す瞬間を創り出さぬ限り、これほどの至近距離へと肉薄する勝機など決して訪れなかったのだ。


『あの……あの人間の皮を被った外道どもがぁぁぁッ……!!』


前走車のキャビンの中、白石絢香は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、ステアリングを握る両腕を自制の利かぬ怒りで激しく痙攣させていた!


彼女が絶対の誇りとしてきた冷静さも、名門の継承者たる理性のタガも、この瞬間において跡形もなく吹き飛んでいた。


実の妹……白石家の正統なる血を引く次女が、放逐されたあの暗闇の歳月の中で、人殺しの凶行を強要され、電撃の折檻を受け、果ては闇の組織の卑劣な男たちの慰み物にまで貶められていたというのか……?! 三十人……あの子は、あんなにも乾き切った声音で「随分と寛大」などと言い放ったのか?!


底知れぬ激憤と、心臓を直接握り潰されるような激痛が絢香の全存在を侵食していた。アクセルを底まで踏み抜いてこの呪われた峠を抜け出し、白石財閥の持つ全資産と裏社会のコネクションを総動員してあの組織を地上から消滅させ、あの獣どもを八つ裂きにしてミンチに変えてやらねば気が狂いそうだった。


そして助手席の白石宗一郎は、落雷を頭頂部から浴びたかのように完全に硬直し、魂を抜かれた抜け殻のようにバケットシートへと崩れ落ちていた。焦点の定まらぬ瞳が、明滅する通話画面をただ虚ろに見つめている。


その脳裏の奥底から、分厚い塵に埋もれていたはずの幼き日の記憶の破片が、鋭利な刃となって彼の側頭葉を無慈悲に抉り抜いた——。


見渡す限りの紅葉が舞い散る秋深き庭園で、まだ幼く、転んで泥だらけになって泣きじゃくっていた白石こころの小さな身体。


長男であった自分が、愛おしさに満ちた両腕でその温もりを抱きしめ、小さな背中を優しく叩きながら、誇らしげに誓ったあの日の一節。


『泣くな、こころ。お兄ちゃんが一生、何があってもお前を守ってやるからな』


一生涯をかけて守り抜くと誓った、あの小さく、臆病で、泣き虫だった妹。


記憶の中で黄金色に輝く純真な木漏れ日と、今まさにスピーカーから吐き捨てられた「たったの三十人で済む」という凍てつく無間地獄の現実。その二つの世界が織り成すコントラストは、あまりにも残酷で、あまりにも救いがなかった。


宗一郎は両手で自らの髪を狂ったように掻き毟り、その指先を激しく痙攣させながら、喉の奥から傷ついた野獣のような押し殺した嗚咽を漏らした。


彼が幾年もの間、冷徹な仮面の下で必死に保ち続けてきた理性の防壁は、この瞬間、決して二度と修復することの叶わぬ絶望の亀裂とともに、完全に崩壊し去ったのだ。

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