第6話 悪意ある噂とホログラム
頭に来た。
本当に、頭に来た。
私は食べかけのタルトを置き、ドレスの裾を翻して通信板に向かう。
画面には、夜空に浮かぶ不愉快な映像。
鎖に繋がれ、泣き叫ぶ私の偽物。
あれを作った術者は、私のことを何も分かっていない。
私はあんな風に泣かない。
追い詰められたら、泣く前に引きこもるか、罠を張るかのどちらかだ。
「……旦那様」
私は、怒りに震えるジークフリート様に声をかける。
彼は瓦礫の上で剣を握りしめ、今にも敵陣へ飛び降りそうな殺気を放っていた。
「行ってはダメです。それが敵の狙いですから」
「だが、アリア! あれを見ろ! 君への侮辱だ! 私が死んだことになっているのは構わんが、君の名誉が傷つけられている!」
「ええ。ですから、訂正します」
私は冷徹に告げる。
「剣ではなく、情報で」
私は通信板の術式入力盤を叩いた。
敵の幻影術式への介入。
暗号化術式は……第4話の時より複雑だ。
でも、所詮は人間が作ったもの。
私の「聖域」の解析能力を使えば、構造なんて丸裸だ。
「……術式基盤、特定。制御権限、奪取」
カチャ、カチャ、タァンッ!
私は最後のルーン文字を確定させる。
「伝達波長は頂きました。……さあ、本物を見せてあげる」
◇
戦場は混乱の極みにあった。
『城門を開け! 抵抗すれば、奥方様のように嬲り殺しにするぞ!』
敵兵の拡声魔法が響く。
我が軍の兵士たちは、空に浮かぶ絶望的な映像を見上げ、武器を取り落としそうになっていた。
『嘘だ……閣下が、負けたのか?』
『奥方様があんな姿に……』
士気崩壊まで、あと数秒。
その時だ。
ブツンッ。
夜空の映像が、唐突にノイズ混じりにかき消えた。
『あ? なんだ?』
敵兵がざわめく。
直後。
キィィィィィィン……!
耳をつんざく高周波音と共に、夜空が黄金色に輝いた。
現れたのは、さっきまでの薄暗い映像とは比較にならない、鮮明で巨大な光の像。
それは、私だった。
ドレスを纏い、優雅にティーカップを傾ける、巨大な私(の幻影代理体)。
『――こんばんは、不法侵入者の皆様』
私の声が、増幅魔法によって戦場全域に轟く。
『随分と趣味の悪い映画を上映しているようですね。脚本が三流以下ですわ』
私は聖域の中で拡声術式に向かい、最高の「よそ行き声」を作る。
対人恐怖症?
関係ない。
今の私は、画面の中の偶像なのだから。
どよめきが起きる。
『なっ……ご、本人が生きてるぞ!?』
『無傷だ! 優雅にお茶を飲んでやがる!』
『じゃあ、さっきの映像は偽物か!?』
混乱する敵兵たち。
そこへ、敵陣の奥から焦ったような声が拡声魔法で割り込んできた。
『だ、騙されるな! あれこそが幻影だ! 辺境伯夫人は我らが捕らえている! あれは作り物の虚像だ!』
敵の司令官だ。
必死な言い訳。
私は、巨大な幻影の私に「鼻で笑う」演技をさせた。
『虚像? あら、面白いことを仰る』
私はカップを置き、画面越しに敵の本陣――司令官がいると思われるテントを見下ろす。
『作り物の幻影が、貴方と会話できますか? 私の悪口を言ってみなさいな。即座に言い返して差し上げますわよ?』
『ぐっ……こ、小賢しい魔女め! 撃て! あの幻影を消せ!』
司令官の号令で、敵の魔導師部隊が一斉に火球を放つ。
無数の炎が、夜空の私へと吸い込まれる。
ドガガガガッ!
炎は私の幻影を貫通し、ただ虚しく空中で爆発した。
当然だ。
ただの光なのだから、物理攻撃なんて効くわけがない。
私は、幻影の私に「あくび」をさせた。
『……退屈ですね。花火のつもりですか?』
圧倒的な余裕。
これこそが、民衆が求める「強者」の姿だ。
『ば、化け物め……! なぜ消えない!』
『私が本物だからです』
私は声を低くする。
『そして、私の夫であるジークフリート様も、ピンピンしていますわ。……ねえ、旦那様?』
私は聖域の外、瓦礫の上に立つ夫に目配せをした。
彼はニヤリと笑い、剣を抜いて一歩前へ出た。
そして、肺腑から絞り出すような咆哮を上げる。
「辺境伯軍、聞けぇぇぇぇッ!!」
ビリビリと空気が震える。
本物の覇気。
「私はここにいる! 妻も無事だ! 敵は卑劣な嘘で我らを惑わそうとした! その罪、万死に値する!!」
彼の姿が、城壁の照明魔道具によって照らし出される。
その勇姿は、巨大な私の幻影の足元で、守護神のように輝いていた。
『うおおおおおおッ!!』
『閣下だ! 閣下が生きておられる!』
『奥方様万歳! 嘘つき共を追い払え!!』
絶望が、熱狂へと変わる。
騙された怒りが、兵士たちの闘志に油を注いだのだ。
『ひ、ひぃぃっ! 士気が違いすぎる!』
『逃げろ! 勝てっこねえ!』
敵兵たちが浮足立つ。
勝負ありだ。
私は仕上げにかかる。
巨大な幻影の私に、右手を挙げさせた。
そして、指先を敵の本陣へ向ける。
『さあ、お帰りください。……それとも』
私は目を細め、底冷えする声で告げる。
『このまま私の「聖域」の実験台になりたいかしら?』
ハッタリだ。
聖域は防御専用で、攻撃能力はない。
でも、敵はそれを知らない。
あの巨大な幻影を見せられた後なら、広範囲殲滅魔法でも飛んでくるのではないかと錯覚するはずだ。
『て、撤退ッ! 撤退だぁぁぁ!』
敵の司令官が悲鳴を上げ、我先にと逃げ出した。
それを合図に、敵軍は雪崩を打って敗走していく。
◇
「……ふぅ」
敵の影が見えなくなったのを確認して、私は通信を切った。
夜空の巨大な私も消滅し、静寂が戻る。
どっと疲れが出た。
慣れない演技なんてするもんじゃない。
私はドレスのまま、寝台にダイブした。
「……やりすぎたかしら」
あんな巨大な自分を晒すなんて、黒歴史確定だ。
明日から恥ずかしくて外を歩けない。
まあ、元から引きこもるつもりだから関係ないけれど。
「アリア」
聖域の外から、優しい声がした。
顔を上げると、ジークフリート様が透明な壁越しに私を見つめていた。
その瞳は、熱っぽく潤んでいる。
「……なんですか、その目は」
「いや……見惚れていただけだ」
彼は照れくさそうに頬を掻く。
「空に浮かぶ君も美しかったが、やはり本物の君が一番だ」
「……っ!」
私は枕に顔を埋めた。
この人は、天然でこういうことを言うから心臓に悪い。
「ありがとう、アリア。君が私の名誉を守ってくれた」
「つ、ついでです。私の晩餐会を邪魔された腹いせですから」
「ふふ、そういうことにしておこう」
彼は愛おしそうに、壁に手を触れた。
「だが、君があんなに雄弁だとは知らなかったよ。領民たちも、君のことを『聖女』か『女神』だと噂しているぞ」
「やめてください。ただの内弁慶です」
私は呻く。
女神?
とんでもない。
ただの、部屋から出たくないだけの面倒くさい女なのに。
でも。
眼下から聞こえてくる兵士たちの勝利の歌声は、決して悪い気分ではなかった。
「……とりあえず、食事の続きをしましょう」
私は顔を上げて、彼を睨んだ(つもりだが、顔が赤いので迫力はない)。
「まだワインが残っています」
「ああ。喜んで」
私たちは再び、透明な壁を挟んで向かい合った。
冷めてしまった料理。
でも、今夜の勝利の美酒は、今まで飲んだどんな高級ワインよりも甘く感じられた。




