第2話 コマンダー・イン・ザ・ルーム
寒い。
空中に浮いた寝室には、壁がない。
夜風が吹き込み、ドレスの薄い生地を通して肌を刺す。
でも、不思議と震えは止まっていた。
私の手の中には、世界があるからだ。
「起動」
掌サイズの通信板が、淡い光を放つ。
画面に走る文字列。
私が実家で引きこもっていた数年間、ひたすら改良し続けた独自OSだ。
城内の魔力回線にアクセスする。
パスワード?
そんなもの、出荷時の初期設定のままだわ。
「……ザルね。セキュリティ意識が低すぎる」
画面上に、城の見取り図が展開される。
赤い点が敵。青い点が味方。
一目瞭然だった。
『第一部隊、応答しろ! 北門が破られそうだ!』
『こちら第三! 火の手が強くて動けん! 指示をくれ!』
『団長はどこだ!? ジークフリート様は!?』
通信板から漏れるのは、悲鳴と怒号の不協和音。
ダメだ。
情報が共有されていない。
指揮系統が死んでいる。
旦那様は前線で剣を振るっているけれど、全体の状況は見えていないはず。
このままでは、各個撃破されて全滅する。
「……仕方ないわね」
私は溜息をつく。
本当は、誰とも話したくない。
目立ちたくない。
でも、旦那様が死んだら、私の平穏な引きこもりライフも終わる。
「行って、マウス1号」
私はポケットから、掌サイズの金属片を取り出した。
ミスリル銀を加工した、自作の魔導ガジェットだ。
魔力を込めると、カシャカシャと変形し、機械仕掛けのネズミになる。
視覚共有魔法を付与した、自律型使い魔。
ネズミは私の手から飛び降り、見えない床の縁から闇夜へとダイブした。
通信板のサブウィンドウに、上空からの映像が映し出される。
戦場の俯瞰図。
よし、見える。
私は深呼吸をし、インカム代わりの耳飾りを指で押さえた。
そして、回線全てに「強制割り込み」をかけた。
『――総員、傾注』
私の声が、ノイズキャンセリング魔法でクリアになり、騎士たちの通信機に響く。
『あ? 誰だ!?』
『女の声……? ふざけるな、軍用回線だぞ!』
『どこから割り込んだ! 切れ!』
予想通りの罵倒。
当然だ。
命のやり取りをしている最中に、どこの馬の骨とも知れない女の声など、ノイズでしかない。
普段の私なら、ここで泣いて謝っていただろう。
けれど今の私は、安全な「聖域」の中。
そして、相手は画面の向こうのドットに過ぎない。
私は冷ややかに、画面上の赤い点の動きを見て告げる。
『西壁の第三部隊。そこから右へ十メートル移動して。敵の別動隊が壁を登ってきているわ』
『は? 何を言って――』
『いいから動いて。死にたくなければ』
『黙れアマ! 適当なことを言うな!』
騎士の一人が激昂する。
言うことを聞かないか。
私は肩をすくめた。
「……じゃあ、潰れなさい」
直後。
ズドン!!
彼らが元いた場所に、敵の破城槌代わりの巨大な岩塊が撃ち込まれた。
もし動いていなければ、肉塊になっていたはずの衝撃。
爆風だけを受けて、騎士たちが尻餅をつくのが見えた。
『な……!?』
『い、今のが直撃していたら全滅だったぞ……』
『予言……なのか?』
戦慄が回線を走る。
私は間髪入れずに畳み掛ける。
『北門の第一部隊。正面の敵は囮よ。見えない死角で魔導師隊が詠唱を始めている。すぐに防護結界を展開』
『し、しかし、魔力残量が……』
『出し惜しみして死ぬ気? あと三十秒で焼かれるわよ』
『っ……! 展開! 総員、防御陣形ッ!!』
今度は迷わなかった。
数秒後。
画面越しに、北門が豪炎に包まれるのが見えた。
だが、展開された結界のおかげで、被害は最小限だ。
『す、すげぇ……』
『全部見えているのか?』
『誰なんだ、あんたは』
ざわつく回線。
畏怖と、すがるような期待。
私は唇を噛む。
名乗りたくない。
「妻です」なんて言ったら、また侮られるかもしれない。
「……ただの観測者よ。指示が欲しければ黙って従いなさい」
突き放すような口調。
対人恐怖症の裏返しとしての、ネット弁慶全開の態度。
だが、それが逆にカリスマ性を生んだらしい。
『りょ、了解!』
『指示をくれ! 次はどうすればいい!?』
よし。
掌握した。
その時。
『――アリアか?』
低く、聞き慣れた声が回線に入ってきた。
ジークフリート様だ。
心臓が跳ねる。
バレた。
『……はい。旦那様、聞こえますか』
『ああ、よく聞こえる。君が指示を出していたのか』
『勝手なことをして申し訳ありません。でも、上からだと全部見えるんです。……お邪魔でしたか?』
叱られるだろうか。
私は身構える。
だが、返ってきたのは、剣戟の音と、力強い肯定だった。
『感謝する。君の声のおかげで、部下たちが拾った命だ』
『え……』
『アリア。私は今、中庭で敵将と対峙している。だが、伏兵の気配がして踏み込めない。サポートを頼めるか』
頼られた。
あの「北の黒狼」に。
「ただの妻」である私に。
私の背筋が伸びる。
「……お任せください。マウスを回します」
私は画面をスワイプし、ネズミ型使い魔を中庭へ急行させる。
映像が切り替わる。
ジークフリート様が、巨大な斧を持つ敵将と斬り結んでいる。
その死角。
崩れた柱の影に、クロスボウを構えた兵士が二人。
「三時の方角、柱の裏に二人! 狙われています!」
『了解!』
ジークフリート様は、敵将の斧を大剣で受け流すと、そのまま回転して柱へ衝撃波を飛ばした。
「ぐああっ!」
潜んでいた兵士が吹き飛ぶ。
『次!』
「左、回廊の上! 魔導師がいます!」
『見えた!』
彼は壁を蹴り、人間離れした動きで空中の魔導師を叩き斬る。
強い。
そして、私の「目」と、彼の「武」が完全に噛み合っている。
まるで、ずっと前からこうして戦っていたかのように。
『すごい……』
思わず声が漏れた。
『君のおかげだ、アリア! 次の方角は!』
「正面、敵将が体制を立て直しました。来ます!」
画面の中の夫と、画面の外の私。
物理的な距離はある。
姿も見えない。
けれど、今、私たちはどの夫婦よりも深く繋がっている気がした。
「……そこっ!」
私が叫ぶと同時に、ジークフリート様の一撃が敵将の武器を弾き飛ばす。
勝負あり。
敵兵たちが、将を失って動揺し始める。
『総員、反撃だ! 敵は崩れた!』
ジークフリート様の号令が響く。
『『『おおおおおっ!!』』』
騎士たちの鬨の声。
戦況が、ひっくり返った。
私はふう、と息を吐き、寝台に背中を預けた。
緊張で指先が震えている。
怖い。
本当は、今すぐ毛布にくるまりたい。
でも。
『奥方様! いや、オラクル(予言者)様! 次の指示を!』
『こちら第四部隊、我々も導いてください!』
『右翼はどうすればいい!? 教えてくれ!』
通信板からは、私を頼る声がひっきりなしに聞こえてくる。
いつの間にか、私は「オラクル」なんて呼ばれているらしい。
中二病っぽくて少し恥ずかしい。
でも、悪くない気分だった。
「……順に案内します。泣き言を言わないで、足を動かしなさい」
私は冷えた夜風の中で、少しだけ口角を上げた。
この部屋から一歩も出ずに、世界を動かしてやる。
引きこもり司令官の、最初の一勝だった。




