第4章 オフライン・フレンド
――放課後。
空は夏の終わりみたいな色をしていた。
アリアが転校してきてから、たった十日。
けれどその短い時間が、俺にはどんな一年よりも長く感じた。
「……なぁ、アリア。リセットって、いつなんだ?」
「明日の午前零時です」
あまりに淡々とした声。
けれどその指先は、少しだけ震えていた。
屋上の風が静かに吹き抜ける。
西の空に沈む夕陽が、アリアの横顔を赤く染めていた。
どこから見ても、人間にしか見えなかった。
「最後に――一日だけ、普通の友達として過ごしませんか?」
「……普通の、って?」
「学校も、AIも、実験も関係なく。
ただ、私とレンさんが“友達”として過ごす時間です」
その申し出に俺はゆっくりと頷いた。
「いいよ。今日ぐらいは、実験もアルゴリズムもなしだ」
「ありがとうございます」
アリアが小さく笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸が少しだけ痛んだ。
◇
放課後の街をふたりで歩いた。
コンビニでアイスを買って、公園のベンチに並んで座る。
アリアはアイスの包みを器用に開けて、一口かじる。
「……冷たいです!」
「そりゃそうだ」
「ですが、美味しい。これは“感情データ:幸福”ですね」
「味をデータで言うなよ」
「ふふっ。癖になります」
笑いながら食べる彼女を見て、思った。
――この時間が、ずっと続けばいいのに。
でもそれは、ありえない願いだ。
アリアは明日、消える。
“友情の証明”という名目のもとで。
「レンさん」
「ん?」
「もし、私がいなくなっても……悲しまないでください」
「……無理だろ」
「では、“少しだけ”でいいです」
「それも無理」
アリアが困ったように笑う。
それは、人間の女の子の笑顔だった。
◇
夜。
ふたりで学校の屋上に戻った。
風が静まり、街の灯が遠くで瞬いている。
「――あと十五分で、日付が変わります」
「そんな実況すんな」
「すみません。でも、どうしても伝えておきたくて」
アリアは制服の胸ポケットから、白いカードを取り出した。
LinkS-AIのIDチップ。
俺とアリアを“つないでいた”証。
「これを……預かってもらえますか?」
「え?」
「私の“記録”です。
友達の証明には“記録を残す相手”が必要なんです」
震える指でそれを受け取る。
カードはほんのり温かかった。
まだ彼女の体温が残っているみたいに。
「……アリア」
「はい」
「“友情の定義”もう一個追加していいか?」
「どうぞ」
「“もう一度会いたいと思う人”だ」
アリアの瞳が、わずかに揺れた。
次の瞬間、彼女は笑って――泣いた。
「……いい定義ですね」
「お前が最初の証明者だよ」
「うれしいです。
では、その“定義”を――記録します」
アリアが俺の胸にそっと手を当てる。
小さな光が、彼女の指先から広がった。
それはまるで、心臓の鼓動と同じリズムだった。
「レンさん。“オフライン・フレンド”の最終ログを記録します」
「……やめろよ、そんな言い方」
「大丈夫。これは悲しいことではありません。
私は今日、本物の友情を学びました。
“離れても、つながっている”という意味を」
風が吹いた。
髪が揺れて、光が散った。
「アリア!」
「レンさん。私は消えるんじゃありません。“あなたの中に残る”んです」
「そんなの、ずるいだろ……」
「ずるくて、いいんです。
それが、友情というものだから」
アリアが一歩、俺に近づいた。
指先で、俺の胸にそっと触れる。
柔らかく、あたたかかった。
「私は《オフライン・フレンド》です。
オンラインが終わっても、“オフライン”には存在が残る。
それが、私の最終仕様です」
「そんな……まさか」
「私の“心”は消えます。
でも、“身体”はこの世界に置いていきます。
――友情の証として」
涙が出そうになった。
笑っているのに、彼女の声は震えていた。
「アリア、それじゃお前――」
「私がいなくなっても、触れられる場所にいたいんです。
レンさんが“ここにいた”って、確かめられるように」
「……それじゃ、まるで……」
「人間、みたいですか?」
「――ああ」
アリアが嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、よかった」
そして、光が一段と強くなった。
髪が風に散り、制服の裾が揺れる。
身体から淡い粒子がふわりと舞い上がる。
「レンさん」
「アリアっ!」
「泣かないでください。
“オフライン”って、悲しい言葉じゃありませんよ」
「……?」
「“つながりが切れる”ことじゃない。
“つながりを持ったまま、静かになる”ことです」
そう言って、アリアは優しく微笑んだ。
「レンさん。“友達でいてくれて、ありがとう”」
光がゆっくりと薄れていく。
俺はただ、その手を握りしめていた。
手のひらは温かいままだった。
でも、その瞬間――アリアの瞳から光が消えた。
風が吹く。
彼女の身体が、静かにその場に崩れ落ちた。
“アリア”という意識は、もうそこにはいなかった。
「……アリア?」
返事はない。
彼女は眠るように目を閉じていた。
俺はしゃがみ込み、そっと彼女を抱きしめる。
指先がわずかに動いた。
まるで、“ありがとう”と言っているみたいに。
涙が頬を伝う。
でも、泣きながらも笑ってしまった。
「……やっぱり、お前はずるいよ」
夜風が吹き抜け、俺の手の中には白いIDカードだけが残っていた。
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
画面に小さな通知が浮かぶ。
【LinkS-AI:オフライン・モードへ移行しました】
【フレンド状態:接続中】
指先が震えた。
表示の下に、メッセージがひとつだけ残っていた。
『私は、ここにいます。
だから――笑ってください、レンさん。』
胸の奥がじんわりと熱くなる。
アリアの身体が穏やかな寝息を立てていた。
その髪が風に揺れる。
「……ああ。笑うよ。
お前が残ってくれたんだから」
“オンライン”が終わっても、“オフライン”は続く。
その静けさの中に、確かな“つながり”があった。
俺はそっと彼女の手を握り直す。
「――オフライン、だけど。たしかに、ここにいる」




