アイアンアームの真実
アイアンアームについて調べるヴェルそこには衝撃の事実が記されていた
ふと目が覚めると、部屋の時計はすでに18時を指していた。
「……昼寝にしては寝すぎたな」
そう呟きながら身体を起こそうとしたヴェルは、妙に体が重たいことに気づく。視線を下げると、そこには今も尚、ヴェルに覆い被さるように眠る葵の姿があった。
「葵さんよ、起きてくれぬか……」
そっと声をかけると、葵は目を擦りながら、もぞもぞと動く。
「んん……今、何時?」
「もう18時だよ」
「えぇ……もうそんな時間……?」
眠そうな声でそう返しながら、彼女は再び二度寝しようとヴェルに抱きつこうとする。
その動きをやんわりとかわし、ヴェルは立ち上がって部屋の電気をつけた。
「買い出しに行くには、ちょっと遅いな……今日はあるもので済ませよう」
その言葉に、葵はソファの上で「う〜ん」とだけ曖昧に返事をする。
ヴェルはキッチンへ向かい、昨日のうちに見つけていた簡易食品を冷蔵庫から取り出す。それは、発泡スチロールのような質感をした容器に包まれており、ラベルには『鮭弁当』と書かれていた。
二つ手に取り、リビングへ戻ると、ヴェルは葵に尋ねる。
「ここって、電子レンジないの?」
すると、葵は目を細めたまま答えた。
「あるけど……その弁当、たぶんレンジいらないやつよ」
言いながら、隣をぽんぽんと叩き、座るようにジェスチャーする。
ヴェルが隣に腰を下ろすと、葵は彼から弁当を受け取り、器用にラベルを剥がした。
「この弁当、ラベルを剥がすと中が自動で温まる構造になってるの」
「へぇ〜、すごいなそれ。どういう仕組みなんだろう……?」
感心しながら、ヴェルは弁当を手に取り、あれこれと観察する。しかし、見た目はどう見てもただの発泡スチロールだ。
「……普通の容器にしか見えないけどなぁ」
そう呟いたちょうどそのとき、葵がふたを開けると、中からふわりと湯気が立ち昇った。
ほかほかの白米に、脂の乗った鮭の香ばしい匂いが立ち込める。
「うお……本当に温まってる」
驚きながら一口頬張ると、思わず声が漏れた。
「……うま……」
それからは、箸が止まらなくなる。次から次へとご飯を口に運ぶヴェルを見て、葵もくすりと笑った。
「これ、作った人ほんと天才よね」
「うん、ほんとに……」
二人は並んで座りながら、あたたかい食事を口に運んでいく。未来の便利さと、ささやかな夕食の幸せ。そのひとときを、何よりもしみじみと感じながら。
弁当を食べ終えると、ヴェルは空になった容器をゴミ箱へ捨てようと立ち上がった。しかし、それを見た葵がすぐに声をかけてきた。
「それ、ちょっと貸して」
ソファーから立ち上がった葵は、ヴェルの手から容器を受け取ると、そのまま台所へと向かった。
「ちょっと見ててね」
そう言いながら、彼女は容器を水の中へ沈める。すると、見る見るうちに容器が溶けるようにして消えていった。
「すごいな……」
目を見開き感心するヴェルに、葵はどこか得意げな表情を浮かべている。
再びソファーへ戻った二人は、自然な流れでテレビの電源をつけた。画面にはその日に起きたニュースが次々と映し出され、二人は何気なくそれを眺めていた。
やがて、画面が切り替わり、次のニュースが報じられる。
『昨夜未明、高速道路にてギャング同士の抗争が発生。被害者数は18人。ギャング構成員を除く一般市民は全員軽傷とのことです。』
ヴェルは思わず身を乗り出した。流れている映像は、実際に抗争が起きたと思われる現場を捉えたものだった。高速道路の構造は、現代とさほど変わらず、むしろその「変わらなさ」に少し驚く。
だが、すぐに別のことに意識が向いた。画面に映るギャングたちの姿だ。
手足が機械のようになっている者。片足だけが義足のようなメカ構造の者。中には目そのものが赤く光る電子部品のようになっている者もいる。明らかに、生身と機械を融合させた姿だった。
「……これが、明美さんが言ってた“アイアンアーム”か」
ヴェルがそう心の中で呟いた直後、映像の中で構成員の一人の足が突然爆発した。酷使に耐えきれず壊れたのだろう。明美の言葉が脳裏をよぎる——“本気を出すと、体が壊れる”。地面には血しぶきが飛び、映像はややグロテスクなものとなっていた。
「……テレビニュースにしては、映像が過激だな」
ヴェルが眉をひそめながら言うと、隣の葵が肩をすくめた。
「今のニュース番組って、大半が個人の会社がやってるから。多少過激でも問題ないんじゃない?」
「それって、大企業とかもやってたりするのか?」
「中にはあるかもしれないけど……たぶん、大半は中小企業が運営してると思う」
その言葉を聞いて、ヴェルはまたひとつ、現代とのギャップを実感した。
テレビは次のニュースへと移っていた。変わりゆく映像と声をただ眺めていると、隣の葵が立ち上がり、軽く伸びをしながら言った。
「お風呂、溜めてくるね」
ソファーを離れた彼女の足音が遠ざかる。数分もしないうちに、機械的なアナウンスが部屋に響いた。
『お風呂が沸きました』
それを聞いた葵は、戻ってきてテレビを一瞥したあと、いつものように「先入るわね」と言い、バスルームへと向かっていった。
やがて、ヴェルの番が来る。
「次入るな」そう言い立ち上がり、淡々とバスルームへ向かう。もうこの流れはすっかり「いつものこと」になっていた。違和感はない。ただ、穏やかで、少しだけ心が落ち着く。
脱衣所で服を脱ぎ、湯気のこもる浴室へ入る。すでに張られた湯船に身を沈めると、体の芯から疲れが溶けていくようだった。昨夜見つけたタッチパネルに指を伸ばし、ジャグジーのボタンを押す。泡の振動が肌に伝わり、リラックスした息が自然と漏れる。
ふと思い出し、ヴェルは小声でシナプスに語りかけた。
「葵の捜索進捗」
すると、視界の端に情報ウィンドウが浮かび上がり、いつもの資料が展開される。
『現在、防犯カメラのデータ取得を試みていますが、難航中です。周辺住民への聞き込みも行いましたが、有力な情報は得られていません』
その文面を目にし、ヴェルは小さく息を吐いた。
「まだ……見つかってないんだな」
ほっとしたような、罪悪感のような、入り混じる感情が胸の中に渦巻く。
「ついでに、アイアンアームについても調べて」
そう頼むと、シナプスは即座に反応し、いくつかのファイルを表示した。技術概要、歴史的背景、使用用途などが並ぶ中で、ひときわ目を引くものがあった。
『アイアンアームの開発報告書』
その文字列に視線を止める。静かにジャグジーの泡が弾ける音だけが浴室に響いていた。
ヴェルは「アイアンアームの開発報告書」と題されたファイルを開いた。
画面には、研究段階の記録と思われる写真や動画、そして詳細な説明文がずらりと並んでいる。
『アイアンアームの研究段階にて、戦闘チップの開発にも成功。現在、他機種との互換性を研究中。被験体αにおいては、現時点で副作用の確認なし。』
そう記された文の下には、続けてこうあった。
『被験体βの失敗例』
添付された動画を再生してみる。映像には、囚人服のような服を着た人物が映っていた。腕にはアイアンアームと思われる機械の義肢が装着されており、その姿はどこか痛々しかった。周囲は白く無機質な隔離施設のようで、人の気配はない。
次の瞬間、その人物が苦悶の声を上げ、暴れるように身をよじる。そして——腕が破裂した。
金属片と肉片が飛び散る様子に、ヴェルは思わず眉をひそめる。
「……ニュースで見た映像と、似てるな」
心の中で呟きながら、彼は画面に目を戻す。文字はさらに冷静に、事実だけを淡々と並べていた。
『アイアンアームを使用する被験体において、訓練された囚人(被験体α)と、一般的な身体能力の囚人(被験体β)に装着を試みる。被験体αにおいては適合に成功し、戦闘訓練では身体能力の大幅な上昇を確認。一方、被験体βにおいては装着自体は成功したが、適合できずに失敗。アイアンアームの適合には高度な訓練が必須であると予測される。身体能力の向上は著しいが、装着者自身への負担も極めて大きい点が懸念材料である。』
冷たい文章だ。そこには人間性への配慮や倫理など一切なく、「成功」と「失敗」がただの実験結果として処理されている。
(適合しなければ、壊れるだけか……)
ヴェルは静かに湯の中に沈みながら、その資料の一つひとつに目を通していった。ニュースの中で見た破裂した足、飛び散る血飛沫――あれは偶然の事故ではなく、必然の結果だったのかもしれない。
そして、この技術は、未来を変える可能性と同時に、確実に人の命を奪ってきた。
ヴェルの胸に、小さな違和感が残る。それは怒りでも恐怖でもなく、ただ……言葉にできない重みだった。
資料をスクロールしていたヴェルの目に、あるタイトルが飛び込んできた。
『被験体αの戦闘訓練映像』
気になってその動画を再生すると、画面にはまたもや無機質なコンクリートの壁に囲まれた隔離施設のような空間が映し出された。中央に立っているのは一人の人間。しかし、その姿は明らかに“ただの人間”ではない。両腕、そして両脚は”普通の足”と機械が融合した奇妙な見た目だ。
次の瞬間、無造作に開いた扉から、ゴリラが姿を現した。そう、例え話や比喩ではない——本物のゴリラだ。筋骨隆々とした黒い体毛、四足で歩く巨体が、静かに被験体αへとにじり寄っていく。
ヴェルは思わず身を乗り出した。だが次の展開は、彼の予想の遥か上を行っていた。
ゴリラが飛びかかったその瞬間、被験体αは反射的に前傾し、驚異的な脚力で突進。まるで空気を裂くような速度でゴリラの懐へ入り込むと、そのまま一撃の蹴りを放った。——ゴリラの巨体が、空を舞った。
(……人間じゃない)
ヴェルは息を呑む。床に転がったゴリラが立ち上がる暇もなく、被験体αは馬乗りになり、冷徹な表情で拳を振り下ろした。
一撃、また一撃。ゴリラの顔面が音を立てて凹み、さらにもう一発加えられたとき——その頭部が破裂した。映像には容赦のない暴力と血飛沫が淡々と映され続けている。
「……これは、兵器だ」
恐怖と嫌悪、そしてわずかな尊敬すら混じった声がヴェルの喉から漏れる。
だが、映像はまだ終わらなかった。
次に現れたのは、大型トラック。まるで見世物のように、一直線に被験体αへと突進してくる。だが被験体αは恐れもせず、構えた拳を振り上げると、そのままトラックの正面へと叩きつけた。
ドンッ——。
車体が止まり、前部がベコリと凹む。衝撃の波が映像越しにも伝わってくる。だが、次の瞬間。
——ギシッ。
金属の軋む音が響いたと思ったら、被験体αの腕が破裂した。その身体が、技術の力に耐えきれなかったのだ。
そこで映像は途切れ、代わりに無機質な説明文が画面に表示される。
『被験体αの戦闘訓練にて、ゴリラとの模擬戦闘を実施。アイアンアームの性能は想定以上の効果を示すも、トラックとの衝突により右腕破損。装着者の身体が、アームの出力に追いつかなかったものと推測される。』
(……明美さんの話は、事実だった)
あの時、笑い話のように語られていた話が、今や現実の記録としてヴェルの目の前にある。“強化人間”などという言葉で片づけるには、あまりに生々しく、あまりに無慈悲な真実だった。
そして、そんな存在が、今の社会で実際に使われている。ニュースで見たギャングたちの姿が、脳裏によみがえる。壊れた足、飛び散った血——彼らもまた、被験体βのように“耐えられなかった”者たちなのだろうか。
ヴェルは静かにシナプスを閉じ、浴槽の湯に背を預けた。目を閉じると、再びあの拳がゴリラを砕いた映像が脳裏を過ぎり、彼は無意識に眉をひそめた。
(これが……この未来の“普通”なのか?)
湯の温かさが、逆に不気味なものに思えてくる。この日常の中に潜む暴力と技術の暴走を、彼は確かに感じていた。
もうちょっと戦闘シーンをリアルに表現できるようになりたいな