エピソード6
真琴はひたすら走り続けた。心臓が激しく胸を打ち、全身に疲れが広がっていく。背後から迫る足音に追い立てられるように、どんどん速くなる呼吸。舞い上がる煙と灰が視界をぼやけさせ、足元は危うい。それでも振り返ることはできなかった。振り返れば、恐怖に足がすくんでしまうと分かっていたからだ。
「どこだ……どこだよ。」
自宅までの距離を頭の中で必死に計算する。しかし――渋谷の街はすでに知っている場所ではなくなっていた。見慣れたはずのビルの姿は変わり、道は歪み、景色が狂っているように見える。
「無理だろ、こんな道、走って帰れるわけない……。」
自分の足元を確認しながら、真琴は一度立ち止まった。両足はガクガクと震え、汗で服が肌に張り付いている。その瞬間、ふと冷静さが戻る。逃げることだけに意識を向けていたが、このままでは道に迷い、どこにも行けなくなってしまう。
「冷静に……冷静に。」
目を閉じ、深く息を吸い込む。兵士たちの視線がまだ背後にあるような気がして、体が無意識に縮こまる。それでも再び気を取り直し、周囲を見渡した。
新宿――。自分の家は新宿区の方角だ。渋谷から東へ進めば、いずれ辿り着けるはず。壊れた建物の隙間からわずかに見える高いビルが、新宿方面を示しているように見えた。
「新宿、あっちだ。」
遠回りになったとしても、新宿まで辿り着けば自宅の近くに戻れるだろう。そう心の中でルートを定めると、真琴は再び歩き出した。もう走り続けるのではなく、足音を抑え、周囲を警戒しながら進んでいく。
歩きながら、真琴の頭の中には、あの瞬間のメッセージが響いていた。――彼女の「大丈夫?」という問いかけ。今もその言葉が、心を締めつける。自分が大丈夫だと思いたいのに、その気持ちを誤魔化すために必死に動いている自分が、情けなかった。
――どうしてもっとしっかりできなかったのか。どうしてもっと早く行動できなかったのか。
その答えは、どこにもない。真琴はまだ自分自身を完全には理解していない。過去を引きずり、これからどう生きるべきかを模索しているだけだ。
「俺、どうすればいいんだろう……。」
思わず漏れた言葉は虚しく空に消えた。ただの呟きだった。
――その時、真琴は立ち止まる。目の前、ひっそりと立つ街灯の下に、数人の人影が見えた。最初は幻影のように思えたが、よく見ると、そこにいるのは同じように途方に暮れた人々だった。
「……生き残ってる奴がいるんだ。」
それは、運命に翻弄されながらも必死に生きようとする者たちの姿だった。その光景に、真琴の中で何かが湧き上がる。人々が集まっているということは、そこには少なからず希望があるのかもしれない。
ためらうことなく、その集まりに向かって足を進める。
「みんな……生きてるんだ。」
その言葉が、真琴を動かす原動力となった。彼が走り続ける理由――それは「生きること」そのものだった。どんな困難が待っていようと、どんな恐怖が目の前に立ちはだかろうと、もう後ろを振り返らず、前へ進むだけだ。
新宿へ向かう道が、少しずつ形を取り戻し始めたその時、真琴は確かに思った。
――自分が生きている限り、まだ終わっていない、と。