愛の報い
防空壕の中で僕は最愛の妻と共に震えていた。
外からは悲鳴と銃声、そして刻一刻とこちらへ向かって来る兵士の足音が聞こえた。
こんな暗い場所の、隅の隅で、こんなにも身を縮こまらせているが、きっと僕達は見つかってしまうだろう。
いや、見つからずとも兵士達が火を放つかもしれない。
いずれにせよ、僕達の死は確実だった。
「ねえ」
泣き声のまま妻が僕を呼んだ。
「なに?」
「ごめんなさい。謝らないといけないことがあるの」
「謝らないといけないこと?」
妻の顔は恐ろしさに歪み、目から涙が止めどなく流れている。
「あなたの取っていたプリン、食べちゃったの私なの」
「なんだそりゃ」
僕は笑った。
少しでも気を紛らわせるためのジョークか。
それとも、本気でこれが彼女の後悔なのか。
いずれにせよ、一瞬の気晴らしになった。
この恐ろしい時間と場所の中で。
「それなら僕にだってある」
そう言って妻と同じような内容の謝罪をする。
妻もまた笑い「それなら」とまた別の謝罪をする。
最期の時をこうして過ごすのは奇妙だ。
しかし、こんな地獄の中ではある種の救いであるように感じた。
不意に残酷な声が響いた。
「いたぞ!」
直後、心が揺れるほどの力強い足音が豪雨のように鳴りだし、そして。
「撃て!」
そんな言葉の直後に鳴った銃声。
僕と妻は互いを思い切り抱きしめ合った。
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銃声が止んだ。
兵士の一人が『戦果』を見るために二人の小汚い男女が居た場所を覗いた。
「おい」
ライトを照らしながら兵士が言った。
「誰も居ねえじゃねえか」
「は?」
数人の兵士が銃を構えたままそちらへ行くと、夥しい弾痕こそあったがそこには確かに誰もいなかった。
「そんな馬鹿な……確かにここにいたはずだ」
そう言った兵士の頭を他の兵士が軽く小突く。
「どう見てもいねえだろうが。いくぞ」
「気のせいかよ」
「人騒がせな奴だ」
ぶつくさと文句を垂れながら兵士達は去っていく。
逃げ遅れた敵国の人間共を殺すため。
この国を地獄にするために。
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痛みが来ない。
奇妙に思って僕と妻が顔をあげるとそこは見知らぬ花畑だった。
ぽかんと口をあけていると、まるで朝焼けのように光り輝く白い人がやってきて僕らに対して微笑んだ。
「ようこそ。私の国へ」
僕と妻は顔を見合わせた後に問いかける。
「あの。ここは一体……?」
その人は穏やかな表情のままに答えた。
「愛の国です」
「愛の国?」
「はい。愛がなければ来られない場所です」
僕と妻は再び顔を見合わせた後、何故か照れ臭くなり互いに顔を伏せたまま立ち上がった。
確かに僕らは愛し合っている。
しかし、それはそれ。
僕らは一体何故ここに……。
そんな疑問を読んだようにしてその人は言った。
「あなた達の居た場所は俗にいう『地獄』という場所でした。故に嘘が蔓延り、病や戦争が起こり人々は死んでいったのです」
「では、ここは天国ですか?」
妻の問いにその人は首を振った。
「はい。そう呼ばれることもあります。つまり、地獄の中にあってさえ愛を見つけた者だけがこられる場所なのです」
三度、僕らは顔を見合わせていた。
僕らは結婚をする際に永遠の愛を誓っていたが、その時にはここに来ることは出来なかった。
一体、何故いまになって……。
「真実の愛は極限状態によってこそ生まれるのです。愛とは嘘偽りなく相手を誠実に想うこと。それを成すのはラクダが針の穴を入るよりも難しいのですよ」
淡々と口にされる事実を聞きながら、僕らはどう反応したものかと迷っていた。
「こちらへにいらっしゃい。この国を案内してあげましょう」
そう言って歩き出したその人の背を見つめながら、僕と妻はほとんど同時に同じ言葉にしていた。
「それじゃあ、私達は天国でずっと暮らせるんですか?」
声は震えていた。
何故、そんな言葉が二人同時に出たのか分からない。
先ほどまで続いていた極限状態からのあまりにも大きな変化があったためだろうか。
それとも、この人にある種の『不気味さ』を感じてしまったからだろうか。
すると、その人は振り返らないままに答える。
「いいえ。愛を失ったならば地獄へお返しします。ここは愛の国なのですから、愛のない人間がここにいるのは許しません」
ぞくりとする。
隣を見れば妻もまた同じ反応をしていた。
「けれど、安心してください。愛を忘れなければ、あなた達は永遠にここにいられるのですから。さぁ、ついていらっしゃい。おいていきますよ」
そう言って急かす、その人の背を僕たちは慌てて追いかけた。
ここは愛の国。
愛を知っている限り僕らはきっとここに永遠に居られる。
しかし、どういうわけか、言葉には出来ない奇妙な不安感が僕たちに存在した。
僕らが愛を失うことはきっとない。
けれど、何故か分からないけれど、愛を失った途端に地獄へ戻されるなんて……。
おかしい。
ここは愛の国であるはずなのに。
僕たちは妙な息苦しさを感じながら、新たに生きることになったこの場所の案内をついていった。