6 わたくし、結婚するそうです
「お嬢様、大変よく頑張られましたね。私は鼻が高いですよ」
「ありがとうベンジャミン。あなたのお陰で本当に楽しい10年間だったわ」
「お嬢様も17歳ですか。卒業もそうですが成人となられたこと、お慶び申し上げます」
「成人って言われてもピンとこないわね・・・10年間一度も帰らなかったけど、伯爵様ご一家にお変わりは無くて?」
「はい、上の坊ちゃまは貴族学園の最終学年に進まれました。同じ学園にお嬢様も通っておられますよ」
「そう、順調なら何よりね。ところで私はあのお屋敷に帰ってもよいの?」
「はい、ご主人様よりそのようにご指示がございました」
「部屋も無いと思っていたけど・・・どういう心境の変化かしら」
「お嬢様・・・お部屋はご想像の通りでございます。当分の間は客間をお使いください」
「ふぅん・・・まあ想定内ね。でも帰れって?何かあるのかしら」
「それは伯爵様ご自身からご説明がございます」
「伯爵様が直接?私にお会いになるの?今まで生きてきた中で一番びっくりだわ」
マリアンヌは帰っても拒否されるか、良くても借家住まいだろうと思っていた。
それが屋敷に戻される上に、伯爵と会うとは・・・マリアンヌは戸惑った。
伯爵家に着くとメイドたちが迎えてくれた。
良い思い出は殆ど無い屋敷だが、あの頃より少し寂れた感じがするとマリアンヌは感じた。
顔なじみの使用人も数人残っていて、その者たちは涙ぐんで再会を喜んでくれた。
屋敷に入ってすぐに客間に案内されたマリアンヌは湯あみの準備を頼んだ。
客間から見る景色は自室だった場所から見ていたものとはまったく趣が違う。
あの頃毎日眺めていた裏庭の自然林も好きだったが、客間の窓から見えるのは、街に続くまっすぐな道で、その先にある山々の美しさは息をのむほどだった。
「マリアンヌお嬢様、伯爵様がお呼びです」
「すぐに伺うわ」
ワンピースに着替えたマリアンヌはメイドに案内されて伯爵の執務室に向かった。
「伯爵様の執務室には生まれて初めて入るわね」
「左様でございますか・・・あの頃と何も変わってはいませんよ」
「そうなの?まあ初めてだから違いも判らないけれど」
メイドが扉をノックすると中から入室許可の声がした。
扉を開きマリアンヌは静かに入室する。
「遅くなって申し訳ございません。また到着のご挨拶が後回しになり失礼いたしました」
リックはあの日以来、初めてまともに見たマリアンヌを不思議そうに眺めた。
「息災の様だな」
「はい、お陰様で」
「卒業生代表を務めたらしいな」
「はい、答辞を読ませていただきました」
「そうか」
しばらくの沈黙の後、リックが業務連絡のように話し始めた。
「お前は結婚する。少し複雑な条件だったが問題ないと判断した」
「結婚・・・ですか?」
「そうだ。伯爵家の娘として侯爵家に嫁げるのだ。喜ぶべきだろう」
「あり?がとう・・・ございます?」
「うむ・・・出発は明日だ。身一つで来ればよいとの事だから問題ない」
「・・・明日でございますか」
「不満があるか?」
「・・・いいえ、ございません」
「条件というのは大きく二つだ。私は了承したからお前に拒否権は無い」
「はい」
「・・・侯爵には大切な女性がすでにおられる。お前はお飾りの妻ということだ」
「はあ・・・」
「そしてお前は正妻として言われたことだけすれば良い。内政管理か領地経営だろう」
「まあ・・・」
「分かったら下がれ。明日には家族が領地から帰ってくる。早朝には出て行ってくれ」
「・・・畏まりました」
「二度と会うこともあるまい。もしもあちらと離縁になっても、この家に戻ることは考えるな。戻るくらいなら・・・死を選べ」
「・・・承知いたしました」
「話は終わりだ。さっさと出ていけ」
「あの・・・伯爵様。最後にご挨拶をさせていただいてよろしいでしょうか」
「・・・早くしろ」
「どうぞご家族の皆様とお幸せにお暮しください。学院に行かせていただけたこと、心から感謝いたしております」
「・・・・・・」
リックはマリアンヌの顔を見ることなく背を向けた。
マリアンヌは心の中にドロッとした感情が湧くのを感じたが何も言わなかった。
扉の前で精一杯のカーテシーをするマリアンヌ。
しかしリックがそれを見ることは無い。
マリアンヌは静かに部屋を出た。
「荷ほどきをしていなくて良かったわ。それにしてもウェディングドレスって着なくていいのかしら?私は制服かワンピースしか持っていないのだけれど?」
伯爵との初めての会話に疲れてベッドに転がっていたらドアが静かにノックされた。
「どうぞ」
ベンジャミンが入ってくるなり跪く。
「どうしたの?ベンジャミン」
「お嬢様・・・ご主人様を止めることができなかった私をお許しください」
「ああ、そのことなら気にしないで。まさか今日の明日とは思わなかったけれど問題ないわ。いっそ清々しいほどのお言葉をいただいたし。それにしても・・・この結婚の経緯を教えてくれる?」
ベンジャミンはゆっくりと話し始めた。
ルーランド家の領地で蝗害が発生し資金繰りに困っていること。
二人の子供の学費にも困り、金策に走っていた時にこの結婚話を持ち掛けられたこと。
条件を吞むなら多額の結納金が支払われること等々・・・。
「そういうことなら伯爵様は飛びつくわね。お飾り妻も白い結婚も問題ないけど・・・領地経営と内政管理を任せていただけるように頑張らなくては」
「あちらの大切な方というのが平民の方だそうで、家庭教師を付けて社交界のマナーやダンスは身につけられたそうですが、内政管理とか領地経営とかは全くダメとの事でした」
「社交はしておられるのね?では社交界では公認の恋人ってことなの?」
「そのようです。むしろ侯爵以上は貴族としか結婚できないという法律に縛られたお二人に同情的だとか・・・」
「ああ・・・あれは悪法よね。では私は社交の必要もない・・・素晴らしい条件だわ」
「お嬢様?」
「だって私は卒業したら一から商会を立ち上げるつもりだったのよ?それがすでに出来たものを運営できるなんて・・・初期費用が不要だなんて本当にありがたいわ」
ベンジャミンはまったく想像していなかったマリアンヌの反応に戸惑った。
「そもそも私は結婚する気はなかったの。だってどんなに愛し合っていても壊れることもあるでしょう?壊さないために自分を抑え続けるなど愚の骨頂だわ。そうは思わない?」
どう慰めようかと考えていたベンジャミンはウキウキと喜ぶマリアンヌの姿にため息を吐いた。
「お嬢様が納得されるのでしたら問題ありませんが・・・でも絶対に無理はしないでくださいね。もしダメなら連絡してください」
「そうね、どんな方かもわからないし・・・ところでベンジャミン。お相手のお名前は?」
「それさえも?・・・ルドルフ・ワンド侯爵様です。26歳と伺っております」
「あら9歳も年上なのね。その恋人様は?まあ私には関係ないけれど」
「リリベルというお名前で、確か25歳の平民の方です」
「なるほど・・・25歳かぁ。子供が欲しいならそろそろよね」
「お嬢様、ワンド侯爵からはリリベル様と上手に付き合うようにと念を押されております」
「問題ないわ。そもそも関わる気は無いのだけれど」
「いじめたり嫉妬をすることのないようにとのことでした」
「嫉妬?その侯爵様って恋愛小説の読みすぎね・・・有り得ないわ。それで?リリベル様だったかしら。ご納得なの?」
「はい、そのように伺っております。なるべく早くお子を生してマリアンヌ様との子として届けられるのではないかと思います」
「ああ、偽装出産ね。何の問題もないわ。侯爵様のお屋敷はどこなの?」
「社交シーズンは王都のタウンハウスにご滞在ですが、ご領地は南のベラールだそうです」
「ベラール!ケニーのところじゃない!ますます気に入ったわ!」
マリアンヌは小躍りして喜んだ。