5 学院はとても楽しい
入学に関するすべての手続きはベンジャミンによって滞りなく済んでいた。
専属の侍女と護衛騎士を伴って入学する貴族子女が多い中、マリアンヌはたった一人で正門に降り立つ。
ここまで送ってくれた御者に荷物を寮まで運んでもらった。
丁寧に礼を言って、ひとりで長い道のりを帰る御者に少しばかりの小遣いを渡した。
「毎日着るものを悩まなくて良いのは助かるわね」
学院では制服の着用が義務付けられているし、寮では自由な服装でよいとのこと。
締め付けの少ない簡素なワンピースを数着、餞別として贈ってくれた家庭教師に感謝した。
専属侍女を連れていない貴族子女のために、雑用を頼める窓口が設置されている。
都度料金が発生するシステムだが、一年分がまとめて実家に請求されるため、気軽に利用できるらしい。
ボタン付けも何もできないマリアンヌは安心しながらも、なるべく使わなくて済むようにしようと思った。
食事は食堂を使う。
寮はロビーを挟んで男女で左右に分かれており、食堂と勉強室、談話室は共有スペースだ。
ひと通り寮の中を探検したマリアンヌが自室に戻ろうとしていた時、後ろから声をかけられた。
「ねえ、あなたは貴族のご令嬢かしら?新入生?」
振り向くと真っ黒なストレートヘアが印象的な女の子が立っていた。
伯爵様の下の娘さんが成長したらこんな感じなのかなとマリアンヌは漠然と思った。
「初めまして、私は新入生のマリアンヌと申します。ルーランド伯爵家の者ですわ」
マリアンヌがきれいなカーテシーを披露する。
「まあ、ご丁寧に。私はイリーナと申します。ワイズ子爵家の長子ですの」
マリアンヌにとって同世代の知り合いが初めてできた瞬間だった。
イリーナはひとつ上の学年で、卒業までの間ずっとマリアンヌと行動を共にすることになる。
イリーナの紹介で二年生の子爵家長男ダニエル・ブロワーと平民のケニー、同じく平民のララとその弟でマリアンヌと同級のオスカーとも仲良くなった。
いつも行動を共にする仲良しグループとなったこのメンバーで、寮生活を送るのはイリーナとケニーとマリアンヌの三人。
ケニーは南の都市ベラールの商人の息子で、この商業都市アーランを選んで入学しており、
イリーナは複雑な家庭事情により家に居場所がなく入寮していると言った。
ララとオスカー兄弟はアーランの中心街で海鮮レストランを営む実家から通学しており、平民としては裕福な家庭だった。
アーラン領主を親に持つダニエル・ブロワー子爵令息は馬車で通学している。
ひとつ年上の友人達が何かと世話を焼いてくれるので、マリアンヌとオスカーは他の同級生達よりも学院に馴染むのが早かった。
もともと学ぶことが大好きなマリアンヌは全ての授業を休むことなく楽しんだ。
勉強が苦手なオスカーを図書館に呼び出しては個別指導をするのが日課だ。
二学年での成績トップ争いはダニエルとケニーで、二人とも自分の勉強になるからとマリアンヌが分からなかったところを理解するまで根気よく教えてくれた。
イリーナもケニーも消灯時間ぎりぎりまで寮の勉強室に居座って毎日頑張っている。
イリーナとララも当然のように毎回ベスト10以内に名を連ねていた。
マリアンヌも先輩二人と一緒に勉強するため、入学以来ずっと学年トップを守っている。
仲間たちの個別指導のお陰か、勉強嫌いのオスカーもベスト20位の常連になっていた。
そんな生活が数年続いたころ、ララとオスカー姉弟の両親が、できの悪い息子が良い成績を残しているお礼だと言って、自身が経営する海鮮レストランに6人を招待してくれた。
ダニエルが出してくれた馬車に乗り込みレストランに向かった。
オレンジジュースで乾杯し、新鮮な魚介類をたっぷり使った名物料理に目を輝かせる6人の姿はまだまだ子供らしさで輝いている。
後期にある学院祭やダンスパーティー、学年末試験や各教科の先生の特徴などを話題にしながら楽しい時間を過ごした。
楽しく笑いながら、気心の知れた仲間ととった食事は、マリアンヌにとって忘れられない思い出となった。
『寮での食事も不満だったわけではないけれど、これはとても楽しいわ』・・・とマリアンヌは思った。
まだまだ自分の知らないことがたくさんあるのだと改めて感じたマリアンヌは、学院に入れてくれたリック・ルーランド伯爵に心から感謝した。
「それで?マリアンヌちゃんは一人で来たのかい?」
オスカーの母親がデザートを配りながら聞いた。
「はい、ひとりで参りました。家には父と父が迎えた後妻、そしてお二人の子供が2人居ますが、父は私の出生に疑問を持っておりまして・・・私は幽霊のように暮らしていたのです。まあ実際にいない者扱いでしたし。ですから父の後妻はおそらく私の義母で、二人の子供はおそらく私の弟妹になると思うのですが、どういう届出をしているのか分かりません」
かなり重たい話をマリアンヌはさらっと笑顔で言った。
全員の目が一瞬泳いだが、イリーナが放った言葉の方が重かった。
「それは大変だったわね。それでこの学院に入ったのね?学費はご実家が?」
「ええ、卒業までの全ての経費は実家が負担すると聞いています」
「なるほど・・・あなた、愛されてはいないけど、忘れられているわけでは無いのね」
「ええ、使用人たちはとてもよくしてくれました」
「そう・・・それなら良かったわね。あなた幸せな部類だと思うわよ」
全員の頭の上にはてなマークが浮かんだ。
不思議そうな顔をしているみんなの顔を見てイリーナが笑いながら話し始める。
「そんな深刻な顔をしないで?私は家族からも使用人からも愛されてはいないし、覚えても貰っていなかったの。当然食事も用意はされなかったから、捨ててあったメイド服を拾って着ていたわ。メイド服で厨房に行けば、賄いの皿からいただいても怪しまれないでしょう?私は父の一番初めの奥さんの子なのだけれど、二人は喧嘩別れしたのよ。二番目の奥さんとの子が生まれてから徐々に私の影は薄くなったの。その方とは死別されて三番目の奥さんが来たわ。その方との子が生まれた頃には、私の存在など完全に忘れられていたの。だから入学が二年遅れたわ。といってもそんな状況だったから何の教育も受けていない状態でしょう?入学前の二年間で最低必要な知識をできる限り詰め込んだの。だから二年遅れ」
「えっ?お前って年上なの?」
マカロンを頬張りながらダニエルが聞いた。
「うん。そうなのよ。二番目の奥さんの子供が入学するときに、戸籍を取り寄せて思い出したみたいね。体裁が悪いからって遠く離れたこの学院に入ることになったのよ。でもラッキーだったわ。この仲間と一緒に勉強できるのだもの」
「ほんと・・・ポジティブな奴・・・」
ケニーがボソッと言った。
「あら?そうかしら。でも私は学費を出してもらえないから、結構大変なのよ?どうも二人分の学費しか用意していなかったらしくてね。ずっと同居していた私が、降って湧いた」
「ああ、奨学金かぁ。でもあれは学費だけでしょ?寮費とかは?」
「全て私の借金よ。もちろん入学前の家庭教師の費用もね。ちなみに付けられた専属侍女は見張り役でもあるんだけど、彼女の給料も私の借金なの。だからみんなも彼女に仕事を頼んでもいいからね?でも彼女自身はとっても良い人だからいじめたりはしないでね」
ララが独り言のように呟いた。
「貴族って大変なのね。平民だけどうちの方がよっぽど幸せだわ。ねえオスカー?」
「うん。毎日おいしいものを食べて、姉ちゃんと学院に行って・・・みんなにわからないところを丁寧に教えてもらって・・・ゲームや球技もたくさん教えてもらって。僕って幸せなんだね」
ケニーがオスカーの頭を撫でながら言う。
「与えられた幸せなら心ゆくまで享受すればいいんだ。いずれそれを還元する立場になる。その時になったら今まで受けた幸せの倍を社会に返せる人間になれ。そうできるように今は勉強するんだよ」
マリアンヌが頷きながら言う。
「ケニーの言う通りだと思う。でも人って所詮ひとりでしょ?孤独の中で生きるためには強い意志が必要だわ。勉強しなくてはいけないから勉強するっていうのでは挫けるわよ」
ケニーが大きく頷いた。
「ああ、その通りだねマリアンヌ。オスカーも最終目的は早めに決めた方が良いだろう。その目的を達成するために段階を追って自分を高めていくんだ。そうなるために今何が自分に足りていないのかを常に考え、補うために努力する。わかるか?」
オスカーはデザートフォークを握ったまま答えた。
「今何が足りていないのか・・・うん。今の僕に足りていないのは・・・甘いケーキかな」
一瞬の沈黙の後全員が爆笑した。
そんな会話を聞きながら、ララの両親は顔を見合わせた。
「これが今どきの貴族の子供ってやつかね・・・まだ10歳位だろ?」
「末恐ろしい・・・」
二人は今どきの子供らの会話を邪魔しない様にせっせと甘いケーキを追加して回った。
イリーナが笑いながら言う。
「ケニーもなかなかの人生を送ってる感じよね」
「いや?そうでもないさ。僕は親に売られた子なんだ。商会を大きくするための頭脳としてね。それ以外の道は無い。だから迷う必要もない。売られたって言ったらみんな同情するけれどそれは違う。売ってもらって大正解だよ。だって学院にも入れたし友達もできた。あのまま生みの親のところで育てられていたら、いまごろ僕は荒れた畑で芋の残りを探して、いつも腹を空かせていただろうからね」
マリアンヌは自分の境遇を明るく話すイリーナとケニーの話を興味深く聞いた。
使用人たちがとても可哀そうな子供だと言っていたから、自分は不幸な境遇なのだと思っていたマリアンヌにとって、目から鱗が落ちるような経験だった。
「なんだ~私って不幸な部類だと思っていたけど、私程度は普通なことなのね」
「いや、十分不幸な生い立ちだが?」
ダニエルが困った顔でマリアンヌに言った。
また全員が笑った。
「そういうダニエルは?」
「俺はいたって普通の地方貴族の長男として育てられたよ。苦労というほどのものは経験していない・・・三人に比べたら俺はボンボン育ちだな」
「だからダニエルは大らかなのね・・・明日からボンちゃんって呼んでいい?」
「いや・・・それは・・・」
また全員が爆笑した。
マリアンヌの仲間たちは卒業までの10年間を全て笑いに変えていった。
不幸は不幸で笑いのネタになり、幸福は幸福で共有して笑い合えた。
借金を返すためにお金を稼ぎたいイリーナと、養家の繁栄を担うために必死で努力するケニー、自活しなくてはいけないマリアンヌの三人は経営学に特に力を注いだ。
ララやオスカーもそんな三人に触発されどんどん成績が上がっていく。
ダニエルは学年一位の座をケニーと争いながら、剣術の訓練も受けていた。
みんなそれぞれ事情があって、みんなそれぞれ頑張っているのだとマリアンヌは学んだ。
毎日が忙しく、歯を食いしばらなくてはいけないほど勉強も大変だった。
でもそれが本当に楽しく、マリアンヌは生まれて初めて人から必要とされ、人を必要とするという経験をした。
イリーナとララ、ダニエルとケニーが卒業し、マリアンヌとオスカーが最終学年になった。
マリアンヌの学院生活最後の一年はあっという間に過ぎていく。
マリアンヌは卒業試験でも一位をとり、総合成績を評価され学年代表として答辞を述べた。
卒業式に来てくれたのは去年卒業した仲間の四人と執事長のベンジャミンだ。
ベンジャミンは立派に答辞を読むマリアンヌの姿を見て泣いていた。
そんなベンジャミンにマリアンヌは満面の笑みで応えた。
久々に顔をそろえた6人は生涯の友であることを確認し合い、それぞれの生きる場所に向かって旅立った。