4 なんとなく事情は察しています
ハンナの葬儀を終えた半年後、マリアンヌの部屋を除いた屋敷のすべてに改装工事の手が入った。
くすんでいた壁紙は明るい色に変わり、ハンナの部屋と夫婦の寝室だった場所は取り壊され、二階にもかかわらず広いロビーのようになっている。
西側にあるマリアンヌの部屋から一番遠い東側に、夫婦の部屋と子供部屋が二つ作られた。
その向かい側に新たな夫婦の寝室ができ、家族四人だけのパーソナルスペース。
大きなロビーのような空間をはさんで東と西に分断されたのだ。
今回の改装工事でマリアンヌが最も驚いたのは、簡易的ではあるがマリアンヌ専用のバスとトイレが部屋の横に新設されたことだった。
「完全隔離・・・何も共用する気は無いという意思表示でございますわね。確かに承りましたわ、リック・ルーランド伯爵様」
マリアンヌは進んでいく工事を眺めながら笑顔を浮かべた。
家庭教師は相変わらず通ってくれていたが、勉強というより哲学的な会話が増えている。
優秀なマリアンヌには、現時点ではこれ以上教えることが無いという判断からだ。
「マリアンヌ様、もうすぐご当主様が新しいご家族と一緒にこちらに住まわれますね」
「ええ、誰も教えてくれないけれど。まあ・・・工事を見ていたらわかりますわね」
「マリアンヌ様が学院に入学できるまであと半年です。言い換えると、あと半年はこの屋敷で暮らさなくてはいけません。もしもご当主様が寮の無い貴族学園を選ばれたら、卒業までずっと暮らさなくてはなりません」
「そうですわね・・・伯爵様は間違いなく寮のある学校をお選びになるでしょう。ただそれが貴族専用か平民も来るところか・・・私はどちらでも構いません」
「さすがマリアンヌ様、冷静ですのね。安心いたしました」
「先生のお陰です。ずっと以前に先生が仰っていたことが最近わかりかけていますの」
「それは?」
「他者に幸せを求めないということですわ。両親にさえ幸せを求めることができなかった私が、他人様にそれを求めるなど・・・とんでもない愚挙といえましょう。それでも私は他者を思いやる行動を心がけますわ。見返りは望みません」
「マリアンヌ様・・・あなたは私の最高傑作です。あなたは強い。このことを忘れないでください。自分の強さを否定しないでください。弱者を装うなど愚者がすることです。そしてマリアンヌ様の強さは、磨き上げた知性に裏打ちされているのです。これからもずっと自分のために努力をなさってくださいね」
「ありがとうございます。肝に銘じますわ」
数日後、リックたちが屋敷に引っ越してきた。
もちろんリックがマリアンヌを家族に紹介することは無い。
新設された大きなロビースペースで子供たちの笑い声が響いていたが、マリアンヌにとってそれは、野鳥のさえずりと同じだった。
その後の生活の中でもメイドたちが気を利かせて、彼ら四人と顔を合わせることは無かった。
そんな暮らしが数か月たつころ、マリアンヌの学院入学のための手続きが始まった。
当然のごとくリックからの説明は無く、ベンジャミンが部屋に来て話してくれた。
「お嬢様の入学先が決まりましたよ」
「あら、やっと決まったのね。それで?どこなのでしょう」
「アランフェス学院です。平民も入学できる学校で、希望すれば寮に入ることもできます」
「もちろん私は寮生一択ね。場所はどこなのかしら」
「ここから馬車で三日ほどのアーラン州にございます」
「まあ!海辺の商人の町ね?嬉しいわ」
「嬉しいですか」
「ええ、もちろんベンジャミン達と離れるのは寂しいけど・・・幽霊でいるのも意外と疲れますからね。もう十分です」
「・・・お嬢様」
「それに私はずっと一人で生きていかなくてはならないでしょう?だから大人になったら何か商売を始めたいと思っているの」
「商売ですか」
「ええ、それを考えると貴族だけじゃないというのは理想的だわ」
「お嬢様はお強いですね」
「ええ、私は強い・・・らしいわ」
「よく頑張っておいでです」
「ありがとう。でもね、ベンジャミン。時々なぜか無性に寂しくて泣きたくなることがあるの。でもそんな私を冷静に見ている自分もいるのよ。不思議でしょう?」
「ご自身を客観的に分析しておられるのでしょうね。大人でもなかなか難しいことです」
「慣れね・・・きっと。そうそう、それで学院での費用は全てリック・ルーランド伯爵様が負担してくださるのかしら」
「それは勿論でございます。親なのですから当たり前のことです」
「親ねぇ・・・それで入寮手続きや、教科書や制服の手配は?」
「全て私が責任を持ちまして」
「ああ、ベンジャミンがしてくれるなら安心だわ。では、今後何か入用があった時もベンジャミンに相談すれば良いのかしら」
「はい、お任せください。とにかくお嬢様、何のご不便もご不足も無いように、私が取り計らいますので、学生生活を存分にお楽しみください」
ベンジャミンは恭しく礼をして退出した。
それから入学までの間、家庭教師によって様々な一般常識を学んだ。
そんな忙しい日々の中、マリアンヌは珍しく風邪をひいた。
ベンジャミンによって医者が手配され、マリアンヌは二日ほどベッドから出られなかった。
もう明日からは通常の生活に戻ってよいと言い残して医者が部屋を出た後、マリアンヌは医者が置き忘れた万年筆に気づいた。
メイドは医者を玄関まで送っているため、自分で万年筆を持ちふらつく足で後を追った。
玄関に行くには子供たちの遊び場になっている場所を通らなくてはいけない。
ドアを開けて様子を窺い、誰もいないことを確認してからマリアンヌは部屋を出た。
「誰?・・・あっ!幽霊だっ・・・」
飾り棚の陰から男の子が飛び出した。
しまったと思ったマリアンヌだが、そのまま突っ切るしかない・・・そう思ったとき、男の子が泣きながら両親の部屋に駆け込んだ。
「ママ!大変だ!幽霊がいる!」
その声を背中で聞きながらマリアンヌは小さく舌打ちをして呟いた。
「何がママよ!あんたは私とひとつしか違わないのよ?甘ったれね!幽霊だっていうなら、ご期待通り嚇かして差し上げようかしら」
階段を降りるマリアンヌを見つけたメイドが駆け寄る。
マリアンヌは事情を話し、万年筆を届けさせた。
また遭遇しても面倒だと思ったマリアンヌはメイドが戻るのを玄関横の柱の陰で待った。
案の定、息子の話を聞いた母親が二階の手すりから階下を見ている。
その時初めてマリアンヌはリックが最愛の妻と呼ぶ女性の顔を見た。
「あら、きれいな方・・・金髪ね。伯爵様の好みって・・・随分と分かり易いのねぇ」
およそ6歳とは思えない感想を抱いて女性の顔を盗み見ていたらメイドが戻ってきた。
メイドが二階に駆け上がり、母親と息子を部屋に入れる。
それを確認してからマリアンヌはゆっくりと階段を昇った。
気にしていないつもりでも、ちらっと見かけた女性の顔が頭から離れず、その夜はなかなか眠れなかった。
それからのまた数か月、二度とお互いが出会うこともなく、学院に向かう前日になった。
ベンジャミンがマリアンヌの部屋を訪れ言った。
「荷造りはできましたか?」
「ええ、みんなが頑張ってくれたから私は何もしなくて済んだわ」
「・・・お嬢様、寂しくなりますがどうぞお元気で」
「ありがとう。心身ともに私が幼すぎたばかりに・・・みんなには気苦労をかけてしまったわね。本当にいろいろありがとう」
「気苦労などしていませんよ。私たち使用人はお嬢様のことが大好きですからね」
「私もみんなのことを心から大切に思っているわ。どうかみんなも体には気を付けて。伯爵様とそのご家族様のご機嫌を損ねないように頑張ってお仕えしてね」
「お嬢様・・・明日は全員でお見送りをいたします」
「そんなことをしたら伯爵様がお怒りになるわ。私は大丈夫だから、何事も無かったように・・・そうね、屋敷に棲みついていた幽霊がやっと成仏した・・・それだけよ」
「それはいけませんお嬢様。それではあまりにも・・・」
「大丈夫。それなりに大人の事情は察しているわ。気にしないで」
あっけらかんとそう言ってのけたマリアンヌは穏やかな笑みを浮かべている。
あくる朝、荷物を馬車に積み込んだマリアンヌはベンジャミンだけに見送られて出発した。
ふと胸にこみ上げるものがあり振り向くと、屋敷中の窓から使用人たちが手を振っていた。
家庭教師の姿もある。
馬車の窓から身を乗り出して手を振り返しながら、開いていない二階の東側の窓を見た。
「ああ、あそこが伯爵様ご一家が使われている部屋なのね。陽当たりがよさそうだわ」
マリアンヌはその開いていない窓に向って手を合わせて祈った。
「どうぞお幸せに。仲良くお暮らし下さいませね」