書籍化記念番外編~Side染色職人ジュリアン
僕の仕事は繊維を依頼主の希望通りに染めることだ。
両親と姉婿のエヴァンと四人で細々と工房を守ってきた。
そんな僕らに夢のような仕事が舞い込んできたのは、もう随分前のことだった。
「エヴァンとジュリアン、ちょっと来てくれ」
寡黙を通り越して言葉を忘れているんじゃないかと疑わせる父が、染料を煮出す窯の前にいた僕と義兄に声を掛けた。
ふと義兄の顔を見ると、ポカンとしている。
きっと父が喋れたことに驚いているのだろう。
「どうしたんだよ」
僕たちは手招きをする父の方へ向かった。
「すみません、お待たせしました。こいつらがうちの職人で、娘婿と息子です」
僕たちを紹介する父の前に立っていたのは、青に近い紫色の目が印象的な男性だった。
「お忙しいところ申し訳ございません。僕はここベラールに本店を構えるリッチモンド商会のケニーと申します。今日はご相談があって参りました」
僕たちは帽子を握って何度もぺこぺことお辞儀をした。
リッチモンド商会といえば、泣く子も黙るほどの大商会だ。
ベラールの税収の半分くらいは担っているんじゃないかと言われるほどの富豪一族。
それなのに僕たちのような普通の職人に対しても腰が低いなんて……。
しどろもどろで挨拶を口にする僕たちに、優しい微笑みを向けながら、ケニーさんは口を開いた。
「実はベラールの新しい名産品を作りたいと考えていましてね」
ケニーさんはベラール特産の茶葉を使った染色を提案してきた。
正直に言うと、茶葉を使った染色は古くから存在している。
しかし、染めムラが酷くて生地に織りあげたときあまり美しくないと言われている。
僕たちはそれを説明した。
「ええ、そこは承知しています。でもそれは染めた糸を生地に仕上げた話ですよね?」
ケニーさんの話はとても面白く、僕らは俄然興味を持った。
しかし、うちのような零細企業がおいそれと手を出せるような話ではない。
コケたら首をくくるほどの覚悟が必要だ。
「もちろん商品は全てうちで買い取りますし、必要な機材も資材もご提供します。僕が必要なのはあなた方の技術です。どうか一度でよいので試してみていただけませんか」
ケニーさんがこの方法を思いついたのは偶然だったらしい。
商談の時、紅茶を零してしまったご婦人のドレスをハンカチで拭いてあげたケニーさんは、そのハンカチをポケットに突っ込んで、うっかり忘れていたのだそうだ。
翌朝慌てて取り出したそのハンカチが、きれいな橙色のグラデーションになっていて、美しいと思ったらしい。
確かに茶葉で染めると茶色というより橙色に近い色が出る。
しかし、日によっては緑色が濃く出たり、青っぽい色がでたりするので安定性に欠ける。
その欠点を話すと、ケニーさんは満面の笑みで言った。
「それが良いのですよ」
僕たちは実損は無いというケニーさんを信じて、すぐに作業にかかることにした。
翌日にはもう茶葉が運び込まれ、ご丁寧に『親葉』『若葉』に分類され、更には産地別に梱包されていた。
そのことだけでもケニーさんの本気を見た僕たちの職人魂に火がついた。
何度も試作を重ねた結果、新芽を収穫した後の親葉が一番濃い色を出す事がわかった。
「これでやってみましょう」
そう言うとケニーさんは、掛った経費の倍の額が書かれた小切手を差し出した。
「これは今までの経費です。商品化されたらもっと高額で引き取りますので、引き続きお願いしますね」
紅茶染のドレスは瞬く間に売れていった。
仕立て上がりを染めるという斬新なアイデアが受けたのだろう。
それなら確かに唯一無二のドレスになるし、同じデザインは二度とできない。
もともと強力な販売ルートを持つリッチモンド商会の力だろうが、ケニーさんが言うには王都の社交界で大ヒットしているらしい。
なんでも、一度試作品を見学に来られたベラール領主の奥様が辣腕なのだそうだ。
まっすぐに伸びた銀色の髪と、朝露に濡れた新芽のように美しい目をした超美人だった。
夫を上手く操って営業させているとケニーさんは笑っていた。
生産が追いつかないほどの人気ぶりに、僕らは思い切って従業員を増やした。
ケニーさんは約束通り高額での取引を続けてくれて、僕たちの生活は様変わりした。
生産数も安定し、次の商品を開発しようという話も出てきた。
しかし、職人気質の父と義兄は現場から離れたくないと言うので、僕とケニーさんは相談して、僕だけで新商品の開発に取り組むことになった。
そんなある日、工房のとなりに建てた僕の研究小屋を訪れたケニーさんが言った。
「君の知恵と技術が必要だ、ジュリアン。調べてほしいことがあるんだよ。染色には直接関係ないことだけれど、色のプロフェッショナルだということを見込んでの頼みだ」
ケニーさんは眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。
僕の知恵と技術が必要だなんて、そこまで信頼してもらったことに、とても感動した。
でも、その依頼内容を聞いた僕は驚いて聞き返してしまった。
「黒髪の人と金ピンクの人の子供が銀色の髪になる原因?」
髪色なんて神様が決めることだろう? その原因を調べるって……
僕がそう言うと、ケニーさんは笑いながら答えてくれた。
「僕の大切な人がそうなんだよ。なぜそんなことが起こるのか知りたいんだ。その人はね、父親が黒髪で、母親がピンクブロンドだった。でも本人だけ銀髪に生まれてね。そのせいでしなくてもよい苦労をしたんだよ」
親と違う髪色なんて珍しくも無いだろうに、そんなことで苦労したというその人に、僕は少し同情した。
すぐに思い浮かんだのは領主の奥様だったが、ケニーさんが『大切な人』と言ったので、その名を口にするのは止めておいた。
そして、その人のために原因を探ろうとするケニーさんの強い意志を感じたことと、神の領域に手を出すような気分も手伝って、僕は快諾した。
「かかった経費は全て支払うよ。もちろん研究費として君の給与も乗せてほしい。それほどすぐに究明できるとは思っていないから、気長にしてくれて構わない。本業もあるからね。空いた時間でいいから、ぜひよろしく頼む」
なぜか僕は、この研究が自分に科せられた使命のような気分になっていた。
そしてヒントを探るべく町中の髪結屋を訪れ、銀髪の人に関するリサーチを依頼した。
1件あたり銀貨2枚で購入するというと、ほとんどの髪結職人が喜んで協力すると言う。
比較的早く必要なサンプル数を集めて分析を始めることができたが、残念なことに決定的な共通項は見つけられない。
そこで、ケニーさんに相談し、同じサンプル調査を他の町でも展開してもらった。
僕の方は、あらゆる染料を取り寄せ、研究に研究を重ねた。
もちろん本業の方も手は抜けないから、終業後に実験をすることになる。
そんなことを続けて数年、僕は嫁を貰い、子も生まれた。
それでも芳しい結果は出ず、僕はケニーさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「焦る必要は無いよ。ただ知りたいっていうだけだからさ。ゆっくりでいいんだ」
ケニーさんはそう言ってくれるが、僕は焦っていた。
行き詰った僕は久しぶりに友人を誘って飲みに出た。
その友人は若いうちに家を出て王都で画家をやっていたが、喰い詰めて最近戻ってきたという経歴の持ち主で、なぜか幼いころから馬の合う奴だ。
僕はいつもの居酒屋で研究のことを話した。
すると奴はこういった。
「黒って言っても一色じゃないんだぜ? 何色を混ぜて黒色を作るかで印象が変わるんだ。僕の師匠は黒色300って言ってたな。そもそも黒って単色じゃないからな?」
「えっ! そうなの?」
「うん、黒色を作ろうとしたら青緑と濃いピンク、そして黄色を混ぜるんだよ」
「いま濃いピンクって言った?う~ん……何かヒントを掴んだような気がする……金色は?金色はどうやるんだ?」
「銀色とオレンジ色を混ぜるんだ。お前の言う金ピンクなら、混ぜるオレンジの配合を変えるとできると思う」
「うぅぅぅ……なんなんだ! この喉元まで出てるのに出てこない感じは!」
「色を作るって奥が深いんだよ。面白いだろう?」
翌日から奴が僕の研究室に入ったことは言うまでもない。
そして僕と奴の果てしない試行錯誤が始まった。
しかし思うような結果は出ない。
「金色は銀色とオレンジ色を混ぜたよな?じゃあ銀色は?」
「銀色は偏光物質を入れるしかない。でも、銀色に見える方法ならある」
奴が言うには白に黒を混ぜて灰色を作り、わざとムラを出した塗り方をするらしい。
偏光物質が放つ光の代わりに塗りムラを使うということだろう。
その時僕は閃いてしまった。
「銀色を作るのに黒色が必要なんだね? ということは黒を作るときに必要な色が、何らかの影響を受けてムラになるとしたら……」
僕たちは、手にしていたサンドイッチを放り投げて机に向かった。
そもそも毛髪は本人が持って生まれた色素によって決まる。
黒色の髪主は色素が多く、金色の髪主はそれが少ない。
白髪は持っていた色素が無くなるもので、銀色とは違う。
そして、個人が持って生まれた色素は、遺伝によるが、まったく色素を持たない個体が誕生することもある。
これは本当に稀なことだが、実在するということが重要だ。
「何かが遺伝に影響を及ぼすんだ」
その何かが分かれば解決するのだが……。
その時、研究を始めた頃に髪結い職人との会話を唐突に思い出し、奴に話した。
『何色の髪でも脱色すると金色になるんですよ。白では無いんです。金色になる理由は知らないけれど、不思議でしょ?』
ということは、何色の髪でも基本は金色ということか?
それとも脱色という人工的な薬品の成分が、なんらかの影響を与えるのか?
僕らは自分たちの能力の限界を見せつけられたような気分になり、慰め合うために早じまいして居酒屋に向かった。
行きつけの居酒屋の看板メニューは根野菜とチキンのトマト煮込みで、僕らは毎回それを注文してエールを飲む。
忙しい店だが、食器もカトラリーもよく磨かれていて、店主の心意気を感じるのだが、その日に限って違っていた。
「この銀スプーン、黒くない?」
奴の言葉にウェイトレスが振り向いた。
「あっ! ごめんなさい。磨きが足りなかったのね。すぐに交換します」
「いや、ちょっと待ってくれ」
僕と奴は同時に閃いた。
「黒じゃなくて黒に見えているだけなんだ!」
僕らは同時に立ち上がり、駆け出した。
黒に見えている原因の何かを、打ち消す力が働いていたとしたら、黒色が銀色になるのかもしれない。
銀食器が黒く見える原因は酸化だ。
人間の酸化は、いわゆる老化といわれる現象だから違うのか?
逆に金色に混ざっているオレンジを打ち消す何かを黒が持っているなら、銀に戻ると考えたらどうだろう。
黒は青緑と濃いピンクと黄色だったな?
だから……だから……。
頭をかきむしりながら、ケニーさんの奥様の顔を思い出した。
ケニーさんの奥さんは、領主の奥さんだった人で、あの頃からケニーさんの大切な人だった。
ケニーさんは結婚してから、今まで以上に優しい顔をするようになった。
きっとずっと好きだったんだろうなぁ……。
「まるでエメラルドのような深い緑色の瞳が印象的な、とてもきれいな方だったなぁ」
いかん! 集中しろ!
どこまで考えてたんだっけ?
いやいや、待て待て、無駄じゃないぞ。
目だって色素の影響を受けるんだから……そうだ、無駄ではない。
無駄ではないが、今は髪色に集中すべきだよな?
でも確か、父親の瞳は黒で母親は青だと言ってたよな?
なのにエメラルドグリーンの瞳?
だめだ! やはり髪色だ! 集中しろ!
そして僕たちは、また無限ループのような迷路に迷い込んでゆく。
あ~~~~~~~僕はバカだ……悲しすぎる。
今からでも学校に入りなおして勉強したい!
奴を誘って初等部からやり直そうか?
次の日ケニーさんにここまでの報告書を提出した。
僕たちは報告書に二人の署名をしたあと、一行のメッセージを添えた。
『追伸 僕たちのライフワークとして、引き続き取り組んでいきます。奥様にもよろしくお伝えください』




