30 ケニーの20年
とてつもなく優しい笑顔でケニーが話し始めた。
「酷いな・・・否定はしないけど。ねえ・・・マリアンヌ、ちゃんと聞いて?僕はずっと君が大好きなんだけど、君は僕のことをどう思ってるの?」
一瞬の戸惑いもなく即答するマリアンヌ。
「もちろん大好きよ。あなたといると楽しいし、とっても心が落ち着くの」
ふっと笑ってケニーが続けた。
「マリアンヌは自分の子供が欲しい?」
「いいえ?自分の子供とか考えたことも無いわ。でもあなたと同じね。もしできたら嬉しいし、それこそ命を懸けて育てるわ。でも私にはアランがいるから、それで十分よ」
「なるほどね。そんな君に提案なんだが・・・僕と・・・一緒にならないか?生涯のパートナーになってほしいんだ。僕は結婚に拘っていないから、君が侯爵夫人という今の仕事を続けていても構わない。ただ僕は・・・君に寄り添い続ける権利が欲しいんだ」
「ありがとうケニー。私は多分・・・あなたのことを・・・この世で一番信頼していると思う。あなたと心を通わせて人生を歩めるなら、とても素敵だと思うわ。でも私はアランがいつか結婚して独立するまではあの子の母親でいたいの・・・それからでもいいの?」
「勿論だ。君のやりたいようにすればいい。ああ、やっと言える日が来た・・・嬉しくて泣きそうだな。まさか君が卒業と同時に結婚するとは思ってなかったから・・・」
「うん。あれは私も予想外だったわ」
「僕はね、マリアンヌ。君に一目惚れだったんだ。あの時・・・そう、君が入寮した初日だね。友人のイリーナに頼んで声を掛けてもらったんだよ。気づかなかったでしょ?まるで初対面のように紹介されたものね。それから毎日一緒に過ごすうちに・・・君の人柄がとても可愛く思えて更に好きになった。だから一生大切にしようと心に決めたんだ。それからずっと、君が何に喜び、何に悲しむのか。何を求めて、何を避けるのかを観察した。君というひとりの人間を完璧に理解しようと努力したんだ。心の闇も含めてね」
「全然気づかなかった・・・」
「そりゃそうだよ。絶対に気づかれないようにしてたもの」
「どうして?」
「君は自己顕示欲は異常なほど低いから、見られてるって意識すると自分を隠そうとするんだ。無意識のうちにね。人の目を気にしていないようで物凄く気にしている。だから必要以上に気を遣うんだ。そして君は自分を中心に据えて物事を判断するのがとても苦手だ。どうすれば相手に喜ばれるかばかりを考える傾向が顕著だね。むしろそれしか無い。恐らくそれは、君が座右の銘にするほど拘っている『人には尽くすけど、誰かに幸せにして貰おうとは思わない』っていう考えから来ているんだろう。だから君の判断基準は自己ではなく他者であり、それを自然に受け入れている。ここまでは良い?」
「うん・・・私よりあなたの方がマリアンヌという人間を理解しているような気分だわ」
「それは正しい感想だ。僕は君より君を知っている自信があるよ。あの頃の僕はね、ただ君に寄り添うだけの存在になりたかった。君という人間に対して、何も足さないし何も引かない。何も与えないし、何も求めない・・・いつも側にいるだけの存在だ。そうしないと君は僕にまで気を遣ってしまうから。それは僕の本意じゃない。君というひとりの人間をとにかく楽に過ごさせてやりたかった。せめて学生時代だけでもね」
「ありがとう。そうね、あなたはいつも見守ってくれていた。余計な手も口も出さないけれど、困っているときはさりげなく助けてくれたわね」
「だけどそれは学生時代の十年だけって考えてた。君が卒業したらすぐに求婚しようって決めていたんだ。君の卒業式に行って、君の馬車を追って君の街に行った。即日じゃあまりにも急かし過ぎると思って、正装して花束を準備して・・・翌日の昼前に君の家に行ったら、もう嫁ぎましたって言われたよ。目の前が真っ暗になって動けなかった」
「あの日は・・・まだ暗いうちに出たの・・・」
「うん。対応してくれたメイドさんに聞いた。彼女は泣いていたよ。泣きたいのは僕も同じだったけどね。君は貴族で僕は平民だろ?僕が卒業してからの一年は、めちゃくちゃ働いて、めちゃくちゃ稼いで爵位を買った。男爵位だったけどね。そんな僕を見て義父も納得してくれた。もちろん商会で働き続けることが条件だったけど、初めからそのつもりだったし。あそこまで我武者羅に頑張ったのは後にも先にもあの時だけだ」
「なんだか・・・申し訳ないわ・・・」
「君が謝ることじゃないよ。僕がのろまだっただけ。それにその日が来るまで君に何も言わなかったのは、僕の気持ちを知ったら、君が自分の未来を固定してしまいそうで怖かったんだ。あの日僕が間に合って君に求婚していたら、たぶん君は頷いてくれていたとは思う。商会の仕事にも魅力を感じるだろうし、何といっても僕と君の間には揺るぎない信頼関係があったからね」
「間違いなくお受けしていたわ」
「でも僕は間に合わなかった。だから学生時代と同じ存在になる方向に舵を切った。調べてみたら、君の嫁ぎ先であるワンド侯爵家の領地は僕の本拠地だ。どうすれば領地経営に関われるかって考えていたら、君の方から連絡がきたんだよ。神はまだ僕を見捨てていないと思ったね。だから僕は、とにかくワンド侯爵夫人のために全身全霊で取り組んだ」
「ありがとう・・・今更だけど・・・本当にありがとうね」
「僕の方こそお礼を言うよ。領地で初めて会ったとき、君の口から侯爵夫人という立場は仕事としてやっているだけで、白い結婚が条件だと聞いてどれほど安心したことか。君には分からないだろうな・・・でもあんなことがあって、ルドルフの目が君に向いちゃっただろ?いっそ殺してやろうかって思ったくらいだ」
「でもあなたの態度はむしろ擁護しているというか・・・推している感じだったわよ?」
「うん。そう見せかけてた。君は仕事を途中で放りだすような人じゃないし、恐らく周りがルドルフを責め立てると、意に反しても庇ってしまう。だから君自身がルドルフという男のダメさ加減にうんざりするまで見守ることにした。早く見切りを付けてほしくて煽ったりしてさ。でも僕だけじゃ目が届かないこともあるから、イリーナを引っ張りこんだりダニエルを巻き込んだり。これでもかなり苦労したんだぜ」
「ああ、彼らの登場はそういうからくりだったのね・・・嬉しいけど」
「僕たちはマリアンヌ完全包囲網を敷いた。みんな僕の気持ちを知っていたから、全力で助けてくれたよ。そう言えば、ダニエルと二人でねちねちとルドルフを追い詰めた夜に、僕は彼に、君には愛は沁みないって言ったんだけど、それって聞いた?」
「うん。聞いた。でも私はあなたの言いたいことは分かったわよ?」
「そう?嬉しいな」
「ルドルフの愛は沁みないって意味でしょう?」
「さすがだ!マリアンヌ。君は愛が分からないっていうけれど、本能的に愛の本質を誰よりも理解しているよ。でもそれが他者への愛に限られているから・・・君が分からないって言ってるのは自己愛のことだろうと思う。それは真摯な愛を受けたことが無いからかもしれないって僕は思っているんだけど、どう?」
「他者への愛を私が持っているのかは別にして・・・私に真摯な愛を向けてくれた人は確かに少ないわね。友愛ならイリーナにもララにも、ダニエルにもオスカーにも。もちろんあなたからもたくさん貰ってるって実感しているわ」
「そうだね、でも僕のは友愛だけじゃないよ」
ケニーはマリアンヌの前に跪いた。
 




