27 いっそ滅びてしまえば良いのです
それから数日後、イリーナとケニーがタウンハウスに遊びに来た。
ルドルフは商用で不在だったため、マリアンヌは今が見頃のバラ園に案内した。
「ご機嫌そうだね?マリアンヌ」
「ええ、このところとても体調がいいの。ルドルフが静かになったから?」
「それは何よりだ。ところでルドルフ様からお手紙をいただいてね。ちょっと様子を見に来たんだよ」
「お手紙?」
「うん。彼は約束を守っているみたいだね。安心したよ。さすがに僕も死体遺棄はやりたくない。それにしても見事な撃沈ぶりだったらしいねぇ、さすが難攻不落の要塞だ」
イリーナがお菓子を摘まみながら言った。
「途中の馬車で聞いたのだけれど・・・殿方って回りくどいことをするわよねぇ。ダメはダメでしょ?分かり切っているのに自ら焚火に飛び込むような真似をして。火傷しないと理解できないのかしら」
ケニーが笑う。
「男は単純でバカだから。大火傷して動けなくならないと同じ過ちを犯すんだ」
「あなたも?」
「あ~・・・そういうところもあるかも?でも僕は単純だけどそれほどバカではないかな」
イリーナが笑いながら揶揄う。
「それって言い換えると究極の臆病者?」
「酷いなぁ。石橋を叩いて叩いて渡る慎重派だと言ってくれよ」
「あなたは石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプだわ」
「ああイリーナ。君と話すといつも忘れかけていた欠点を再確認できてありがたいよ」
イリーナが肩を竦めてマリアンヌに向き合った。
「マリアンヌはそれでよかったの?ほとんどの部分に目を瞑れば裕福な侯爵家の女主人だし、仕事も継続できるわ。彼も改心してるみたいだし、世間的にも波風立たないでしょ?」
「うん。だからこのままよ。契約継続ってことね。それにルドルフがもう口説かないって。だから職場環境も大幅に改善できてとても快適よ」
「なるほど・・・あなたらしいわ。でも恋は?諦めるの?」
「諦めないわよ?もし好きな人ができたら円満離婚してくれるって約束してくれたし。でも私はアランと一緒にいたいから・・・それでもいいっていう人じゃないとね」
ケニーが静かに言った。
「お!なんだか良いことを聞いたな。ねえ、マリアンヌ。君は結婚だけが女の幸せだなんて思ってないよね?」
「勿論よ。そもそも女の幸せって男性に縋っているみたいで気持ち悪いの」
イリーナが激しく頷く。
「そうよね!女だろうと男だろうと他人に幸せを求めるのはおかしいわ」
ケニーが肩を竦めた。
「大筋では同意するけど・・・君たちはマイノリティだという自覚は持った方がいいよ」
三人は笑ってお茶を楽しんだ。
それ以降、仕事の都合なのかケニーとイリーナは、生活拠点を侯爵邸に移したかのように常駐している。
最初はルドルフを牽制しているのかと思ったマリアンヌだったが、何が一番合理的に仕事を進められるかを考えた結果だと言われた。
そして二人はアランをとても可愛がっている。
ケニーは経営の基本概念を説き、イリーナは遊びを交えて心理戦の極意を教えた。
「なんだか・・・凄い教師陣なんだけど」
ルドルフは喜びつつも恐縮している。
マリアンヌは語学と歴史を母子のふれあいの中で教えているので、採用した家庭教師は三人の優秀さを凌げず、マナーとダンスの授業に専念していた。
穏やかな風のある日の午後、ルドルフがマリアンヌとケニーをお茶に誘った。
領地特産の紅茶に桃の実を切って入れたフレーバーティーだ。
「・・・ところでマリアンヌは実家のこととか気にならない?」
律儀に愛称呼びを止めたルドルフを見て、ケニーがにっこり微笑んだ。
ケニーがなぜ微笑むのか分からないマリアンヌは、まるっと無視して返事をする。
「実家?ルーランド伯爵家ですか?全然気になりませんが、何かありましたの?」
「いや・・・大した事じゃないんだけどね。どうもかなり困窮しているという話を聞いてね。もしも君が気になるなら・・・」
「お心遣いはありがたいですが、私はちっとも気になりませんわ。ああ、でも使用人たちは別ですわね。といっても私がいたころの使用人たちだけですが」
「もし残っている者もいれば助けてあげたい?」
「そうですわね・・・できれば」
「ちょっと調べてみたけど、昔からいる使用人は執事長とメイドが数人だけみたいだね」
「執事長ですか?もう相当な年齢だと思いますが・・・まだ頑張っていたのですね」
「そうなの?まだそんなに老いぼれてる感じじゃなかったけど」
「お会いになりましたの?」
「ああ、ちょっとした手紙を届けてくれたんだ」
「あら、もしかしてルーランド伯爵様からの嘆願ですか?」
「まあね。断るつもりなんだけど・・・なんせ君の実家だろう?相談した方がいいかなって思って」
「まあ!お気遣いありがとうございます。でも・・・」
「でも?」
「母のことを考えると・・・いっそ滅びてしまえばいいのです!というところでしょうか」
「じゃあ滅ぼしちゃう?」
「でも私としてはちょっと違うかな・・・う~ん・・・」
「あれ?悩ませちゃったな」
「ルドルフならどうします?」
「私なら・・・そうだね・・・私がマリアンヌの立場だったら、間違いなく復讐する。でもほら、私は君の父親と同じ過ちを犯しちゃったでしょ?だからちょっと同情してるかも」
「なるほど」
ずっと黙って聞いていたケニーが口を開いた。
「僕はね、マリアンヌのケースは周りの対応が違えば、別の結果になっていたんじゃないかなって思うんだ。当然一番愚かなのは、愛した人を信じ切ることができなかった男だけどね・・・あれ?ルドルフ様?泣いてます?」
「泣きそうだが・・・まだ泣いていない」
「じゃあ続けますね・・・リリベル様には君という強い味方がいたでしょ?もっと言えばリリベル様本人も、平民出身で精神的にもかなり強かった。でもマリアンヌの母上には、周りにそういう人がいなかったんじゃないかな?ご本人も貴族令嬢として育てられているから、逆境に弱かったのかもしれないしね。ご実家には帰れなかったんでしょ?」
「ええ、不貞の子供を産んだと勘当されたと聞いていますわ」
「そりゃ酷いね。仮にそうだとしても親なら助けなきゃ」
「本当にそう思いますわ。まあ随分前に没落したそうですけど」
「そんな狭量じゃあ没落は当然だね。世間はそんなに甘くない」
「正直なところ・・・あの方たちには興味が無いの。繫栄しているならおめでとうと思うし、困窮しているなら・・・ご愁傷様?」
「ははは!興味がないのか。なるほどね。でも僕はちょっとお仕置きしたいなぁ」
「お仕置きかぁ・・・ルドルフはアランを認めた時ってどんな気持ちになったの?」
「そうだな・・・物凄く後悔したな。自分の愚かさを思い知ったというか・・・凄く辛かった。死んで詫びようかと思ったくらいね。でもその時には既に気持ちが離れてたっていうか、リリベルには本当に申し訳ないと思ったけど、お互いに意地の張り合いだったから・・・もう元の二人には戻れないし戻ろうとも思わなかったかな。もしも私が心から謝罪して、リリベルがそれを受け入れたとしても・・・傷つけあう未来しか見えなかった」
「リリベルも同じようなことを言っていたわ。それにしても遠い昔みたいに言うのね」
「うん。もう遠い昔の思い出だな。涙が出るほど甘くて苦い思い出だ。しかも私の初恋」
「どうして最初の頃にアランの顔をちゃんと見て確認しようって思わなかったのかしら」
「だってそれは・・・勇気が無かった・・・似てなかったらどうしようって思ったし、逆に似てたら・・・この愛を殺したのはお前だっていう証拠を突きつけられるようなものだし。だから逃げた。家宝の壺を壊した程度なら、すぐにでも土下座して謝れるんだけど、愛となると怖すぎて・・・逃げるしかなかった・・・姑息な男だよねぇ。ホントに情けない」
「でもそれをきちんと言葉にできるほどには、思い悩んだってことでしょう?ちゃんと自分の闇と向き合ったのだから。あなたはとんでもない過ちを犯したけれど、罪を犯した自分をまだ許していない。でも、もう過去にしていいと思うの。リリベルは幸せになったわ」
「ありがとうマリアンヌ。そう言ってもらえると・・・友達ってありがたいな」
「もしかしたらルーランド伯爵も同じだったのかもしれないわね。だって母の葬儀の時だって私の顔を見ようともしなかったのよ?」
「うん・・・なんと言うか・・・ちょっと気持ちがわかるのが・・・辛い」
「ルーランド伯爵は後悔しているのかしら」
「してるとは思うけど、現実味を帯びてないというか・・・逃げ続けているのかもね」
「なるほど・・・それでは今の状況も当然ね。悔いはしても改めていない」
「そうか・・・そうだね」
「ルドルフ・・・助けるつもりでしょう?」
「うん・・・怒った?」
「いいえ、ありがたいと思うわよ?」
「でもね、ちょっと条件を付けようかなって考えてる」
「あら、夫婦そろって素っ裸で大通りを走らせます?」
「それは別の意味で犯罪だから・・・」
ケニーがその光景を想像したのか、大笑いしながら言った。
「こういうのは?伯爵には君のお母様の墓の前で心からの懺悔をしてもらう。そして伯爵夫人には君に土下座をさせるんだ」
「夫人が?私に?」
「うん。表立ってはいないけれど、君が辛い幼少期を過ごすことになった一番の原因は彼女だよ。アンは孤独な子供だったけど、同じ立場のアラン様は違う。これは伯爵夫人と君の度量の違いだからね。あの時夫人が幼い君の顔や仕草などをきちんと見ていれば、夫を諫めることだってできたはずだ。それを怠って自分の幸せだけを守ろうとした罪は重いぜ」
「なるほど・・・私としては今更って感じだけど」
ルドルフが立ち上がった。
「いや!やろう。あちらが断るならそれでいい。さっさと没落して貰おうじゃないか」
「二人とも・・・楽しんでます?」
「あれ?君は楽しくない?」
「そうですわね・・・夫人の土下座はどうでもいいですが、母の墓前に蹲って泣いて詫びる伯爵は見たいかも・・・その泣きっ面を札束で叩いて高笑いでもしてやろうかしら?」
「いいねぇぇ〜!よし!決まりだね」
ルドルフとケニーは悪い顔をして握手を交わした。
 




