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ある日の午後、ルーランド伯爵邸の執務室では執事長と会計担当官が溜息を吐いていた。
「奥様の経営手腕は素晴らしかったですねぇ」
今年度の帳簿を確認しながら会計担当官がベンジャミンに言う。
「それをご主人の前では言わないでくださいよ?」
「もちろん言いませんよ。それにしても奥様は本当に?」
「誤解ですよ。奥様の身の潔白はずっとお傍にいた私が証明できますから」
「でもご主人様があの調子では・・・」
「ええ、本当にもう・・・」
二人は同時に大きくため息を吐く。
「今日はご主人様が来られる日ですね?」
「ええ、ですがもうあの頃のような言い争いは無いですよ」
「言い争っていた方がまだ良かったかもしれませんね」
「いやいや・・・奥様が可哀想です。もう関わらない方が良いでしょう」
「ベンジャミンさんが諦めてはどうしようもありませんよ?」
「そうですね・・・しかしこれ以上奥様を傷つけるのも・・・」
「おかわいそうに・・・」
「本当に・・・」
毎月同じような会話をする二人のもとにリックが帰ったと報告が来た。
書類を抱えて執務室に向かう二人。
リックがハンナの顔を見ることも無くなって四年の歳月が流れた。
リックが帰った時、マリアンヌはメイド達と一緒に裏庭でボール遊びをしていた。
馬車から降りたリックはその腕に小さな女の子を抱いている。
リックの後を追って男の子が馬車から飛び降りた。
「ダメだよ?怪我をしたら大変だからね」
リックが優しい声で男の子の頭を愛おしそうに撫でる。
そんな父親の顔を見て男の子は微笑み、抱かれている女の子は父親の顔に自分の顔をくっつけた。
幸せそうな親子を遠くから見つめるマリアンヌ。
「ねえ?あの方はどなた?」
マリアンヌがメイドに聞いた。
「・・・リック・ルーランド伯爵様です」
「お子様までご一緒で・・・お母様に何か御用なのかしら?」
「マリアンヌ様、あの方はこの屋敷のご主人様ですから、ご自宅にお帰りになったのです」
「ここはお母様と私の屋敷ではないの?」
「それは・・・」
リックが二人の子供と一緒にマリアンヌたちの方へ視線を向けた。
メイドは慌ててマリアンヌをスカートで隠す。
男の子が不思議そうに父親に聞いた。
「ねえお父様、あの子は誰?」
「あの子?どこにいた?」
「ほら、あそこに。銀色の髪の女の子」
「そんなもの見えないぞ?メイドがいるだけだろう?」
「いたよ?僕見たよ」
「いない。もしお前の目に銀色の髪の女の子が見えたのなら・・・それは幽霊だ。近寄ってはいけないよ」
「・・・ゆ・・・幽霊?・・・うん。わかった。近寄らない」
「いい子だね。近寄らなければ何もしては来ないさ。もし話しかけられても返事をしてはいけないよ。万が一何かしてきたらすぐにお父様に言うんだよ?退治してあげるからね」
「うん。わかった」
リックはマリアンヌたちを険しい目で睨みつけた後、子供たちと屋敷に入っていった。
マリアンヌはメイドのスカートの間からその様子をじっと見ていた。
そしてその一部始終を窓から見ていたハンナ。
ハンナの中には憎しみも悲しみも愛も情も何も残ってはいなかった。
リックが子供達を連れてきたのは、今のままでは婚外子となってしまう愛しい我が子のために継承権を与えるためだった。
弁護士立ち合いのもと、リックの実子として司法局に承認してもらう手続きをするのだ。
弁護士は全ての事情を把握しており、書類は滞りなく準備されていた。
後は子供たち本人に父親と母親の名を言わせ、弁護士が証人になるだけだった。
いわゆる地獄の沙汰も金次第というところだろう。
その手続きは当主の執務室で行われることも条件の一つだった。
リックは子供たちの母親を同行してはいない。
そのことだけでもベンジャミンはほっと胸を撫でおろした。
屋敷の中で手続きが進んでいたころ、マリアンヌはまだ庭にいた。
そもそもマリアンヌとリックたちが出会わない様にするために外に出されていたのだ。
運悪くボールが玄関近くまで転がってしまい、それを追ったマリアンヌがリックの目に映ってしまったのだった。
メイドたちは処罰されることを覚悟したが、リックからは何も言われなかった。
しかしその日、愛しい我が子たちに向けて言ったリックの一言が、マリアンヌのその後を決めることになる。
幽霊だから見てはだめ。
話しかけられても聞こえないふりをする。
何かあったら親に言う。
二人の子供は父親の言いつけを見事なほどに守っていくのだった。