22 打てど響かず
ドレスも薬草も順調に売り上げを伸ばし、ワンド侯爵家の財政はますます安定していた。
目下の課題はワインの販路拡大で、ルドルフは相変わらず忙しく飛び回っている。
マリアンヌの担当は薬膳料理の開発だが、こちらの方は料理を担当するオスカーの報告を待つしかない状態だ。
リリベル達がいなくなり約二年の月日が流れていた。
ルドルフの地道な努力は続き、マリアンヌの基本姿勢にも微弱な変化は出てきている。
それでもいいと己を励ましつつ、ルドルフは我慢の日々を送っていた。
「おとしゃま・・・おかえりなしゃいましぇ」
「ああ、アラン。いい子にしていたかい?今日は何をしていたのか父様に教えてくれ」
「あい、今日はおかしゃまとごほんを読みまちた」
「そうか、お母様と一緒だったのか。それは羨ましいなぁ」
「うややましいでしゅか?おかしゃまはとぉーっても優しいでしゅよ。いつもアランにいいこいいこしてくだしゃいましゅ」
「いいなぁ~父様もしてほしいなぁ」
ルドルフはアランを抱き上げながらチラッとマリアンヌの顔を見た。
捨て犬のようなルドルフの顔にマリアンヌは微笑んだ。
「しましょうか?」
「えっ!いいの?してしてしてしてしてしてして~」
ルドルフがアランを抱いたまま膝を曲げてマリアンヌの前に頭を突き出す。
マリアンヌは手を伸ばしてルドルフの頭を優しく撫でた。
「ルフはいい子ですねぇ~いいこいいこ、よく頑張っていますよ~」
「・・・う・・・うれしい・・・」
使用人たちの生暖かい目線など無視してルドルフは嬉しそうに笑った。
二人の関係の中で一番大きな変化は、マリアンヌがルドルフを愛称呼びするようになったことだ。
「ルフ?お食事は?」
「まだだよ。アンは?」
「私もまだですわ。ご一緒しましょう」
そういうとアランをメイドに渡し、お休みのキスをした。
ルドルフもアランの頬に優しいキスを贈る。
三十を過ぎても一向に衰えないルドルフの色気のある顔が近づいて、アランを抱いたメイドの肩がビクッと跳ねた。
執事長がメイドを視線で窘めながら声をかけた。
「ご主人様、本日はケニー殿より新しいワインが届いておりますが、ご試飲なさいますか?」
「ああ、それは是非いただいてみよう。アンも付き合ってね」
「もちろんですわ。楽しみです」
二人は腕を組んで食堂に向かった。
二人の仲はこの上なく良好で、社交界でも理想的な夫婦だと噂されるほどだ。
白い結婚が続いていることを除けば、幸せを絵にかいたような侯爵家だった。
当然のごとく、ルドルフはとっても我慢をしていた。
マリアンヌを手放したくない・・・その思いだけで耐え忍んでいる。
それはルドルフがマリアンヌの経営手腕を大いに買っている事もあるが、それ以上にマリアンヌの心根に惚れているのが大きい。
マリアンヌの優しさも温かさも、アランを大切に育ててくれることも、全てにおいて文句の付けようがない妻だとルドルフは思っている。
マリアンヌが寄せるルドルフに対する絶大な信頼を、ひしひしと感じる度にルドルフの心は喜びで震えた。
ただ一点・・・
その信頼が愛情ではなく友情だということがルドルフの超えられていない課題だ。
なんとか距離を縮めたいルドルフは食堂のテーブルを密かに小さいものにしていた。
ルドルフは今夜も食べやすく切り分けたステーキをマリアンヌの口元に差し出す。
マリアンヌにこのまま侯爵夫人としていてほしい使用人たちは毎回心の中で叫んでいた。
『奥様・・・あ~んです!あ~んって口を開けてあげてください!あ~~~ん』
そんな心の叫びなど聞こえるはずもないマリアンヌは冷静な顔でルドルフに言う。
「何をしているのですか?ルフ。毎回それをなさいますが、私に見せびらかしても羨ましくはありませんよ?私にも同じ料理がありますから」
「・・・そうだよね・・・ごめん」
今夜も撃沈したご主人様に、使用人達は励ましの視線を投げる。
沈んだ空気を一新するように執事長が口を開いた。
「今日のワインは如何でございますか?ケニー殿の手紙によると、赤ワインの比率をあげて渋みを持たせているとのことでしたが」
ルドルフがじわっと浮かんでいた涙を拭いながら返事をした。
「そうだね・・・今までのより甘味が少なく酸味も抑えてあるね。どちらかというと男性向きかな?色も素敵だね。ガーネットの色だ」
「そうですわね、香りも素晴らしいですわ。私はこちらの方が好みかもしれません」
「そうか、甘くないから男性向きっていうのは偏見か。上級者向きって言い換えよう」
「なるほど、そのフレーズはウケがいいかもしれませんわ、さすがルフです」
「惚れた?」
「いいえ?」
「惚れてよ」
「契約項目の追加ですか?」
「追加してくれるの!」
「・・・保留で」
「うっ・・・」
悲しそうな眼をしてルドルフがマリアンヌのグラスにワインを注ぎ足した。
 




