18 死ぬよりマシですわね
朝一番でケニーに返事を書いたマリアンヌのもとに、リリベルから呼び出しがかかった。
メイドにお茶の準備を頼んだマリアンヌは急いでリリベルの部屋に向かう。
「どうしたの?リリベル」
久しぶりに入ったリリベルの部屋は寒々しい空気が流れていた。
「マリアンヌ・・・忙しいのにごめんね。ちょっと相談があったの」
リリベルはアランを抱き上げてマリアンヌに渡した。
アランを抱いたままソファーに座ったマリアンヌの正面に移動したリリベルは、少し迷った様子を見せたが、意を決したように口を開いた。
「そうやっていると本当に親子にしか見えないわ。ところでマリアンヌ・・・あなたルドルフを愛してるの?」
「いいえ?」
即答するマリアンヌにリリベルの肩がビクッと揺れた。
「昨日聞いてしまったのよ?ルドルフがあなたのこと大好きだって・・・最高だって言ってたじゃない」
「ああ、聞いていたの。でも意味が違うわよ?」
「言い訳は結構よ。それならそれでいいの。踏ん切りがついたわ」
「リリベル?」
「もういいの。それに私はもうルドルフを愛していない」
「愛してない?本当に?本当にそれでいいの?」
「ええ、それに私・・・一緒に逃げようって言ってくれている人もいるし」
「リリベル・・・私に言わせれば最悪の選択だわ。ルドルフが昨日言ったのはビジネスパートナーとしてってことよ。それは私がここに来た当初と何も変わっていないのよ」
「そう?・・・でもね、マリアンヌ。私はそれすらも信じられないほど心が枯れてしまった・・・もう疲れたの・・・もう死にたいくらいに疲れ果てたのよ」
「死にたいって・・・ダメよ!それだけは絶対にダメ!何の解決にもならないわ!」
「そうよね・・・だから・・・出ていきたいの。もうルドルフとは別れたいのよ」
「ルドルフが悲しむわ!それにアランはどうするの」
「ルドルフは・・・そうね、きっと悲しむわ。でも同時に安心すると思う。あの人の心の中は愛憎でぐちゃぐちゃだから。私は・・・幸せになりたい。ルドルフにも幸せになってほしい・・・彼の心を穏やかにしてあげたいのよ」
「私には理解できないわ」
「そうでしょうね・・・言葉は悪いけど、命を懸けて誰かを愛したことがないあなたには理解できないと思う。ごめんね?言葉がきつくて。でも本当のことよ?」
「そう言うなら・・・命を懸けて愛したルドルフを捨てるの?それでいいの?」
「いいのよ。私たちはもう別れた方がお互いのためなの。愛した欠片が残っているうちに離れないと・・・これ以上一緒に居たら傷つけあうだけ・・・苦しむだけよ」
「アランは?あの子はどうするつもりなの?」
「あの子はとてもルドルフに似てる。だって間違いなくルドルフの子供なんだもの。もう少し大きくなれば誰が見ても分かるようになるわ。それまで我慢しようって思っていたけど、もう無理みたい・・・だからマリアンヌ、あなたが育ててちょうだい。あなたはルドルフを愛していないと言ったわね?だったら仕事として。私からの最後のお願いよ。侯爵家の嫡子として育ててやって」
「そんな・・・」
「当初の契約通りでしょう?私がいなくなるだけ。もしもこの先、あなたとルドルフの間に愛が芽生えて子供が出来たら・・・連絡して?アランは喜んで私が引き取るわ」
「本当にそれを望んでいるの?リリベル」
「ええ、そうしたいの。死ぬよりマシでしょう?」
「・・・死ぬよりマシ・・・そう・・・よね」
リリベルは悲しそうに笑った。
マリアンヌはリリベルの顔を見つめ続けていたが、大きな息を吸って口を開いた。
「分かったわ、リリベル。協力しましょう。家は?どこに住むつもりなの?」
「ありがとう、マリアンヌ。王都では私の顔は売れちゃってるから・・・どこか遠い街に行くしかないって思ってる」
「当てはあるの?」
「無いわ・・・彼と相談してみるけど」
「彼って・・・誰なの?」
「ルドルフの情報が正解。ハンセンよ」
「いつの間に?」
「あなたたちが寝る間も惜しんでお仕事をしている間に」
プッとマリアンヌが吹き出してしまった。
リリベルもつられて笑う。
マリアンヌはリリベルの笑顔を久しぶりに見たと思った。
「行く当てがないなら、アーラン州はどう?知り合いがいるから紹介できるわよ」
「アーラン州?それってどこなの?」
「王都から馬車で三日ほどの港町。私が卒業した学院があるの」
「へぇ〜あなたを育てた街かぁ・・・興味があるわ。それに馬車で三日なら知っている人も少ないでしょうし」
「ダニエル・ブロワーっていう地方貴族・・・子爵だったかしら?の息子がいるから、護衛騎士のハンセンなら職を探して貰えるし、リリベルが働けそうな食堂なんかもたくさんあるのよ」
「助かるわ!ぜひお願い」
「うん。わかった・・・でも本当に良いのね?」
「これでいいの・・・楽しかったわ、あなたが来てから四年かしら?二人だけの時も楽しかったけれど、あなたが来てくれてからも、とても楽しかった。ありがとうねマリアンヌ」
「幸せをつかんでね、リリベル」
「あなたもね、マリアンヌ」
「私は・・・まだ幸せって良く分からないから」
「今は不幸かしら?楽しくない?辛いことばかり?」
「そうじゃなくて誰かを愛するとか・・・そういうこと」
「ああ、それはそのうち分かる時が来るわよ。その相手がルドルフかもしれないし、そうじゃないかもしれない。楽しみね」
「恋って楽しいの?」
「恋は・・・楽しいけれど、基本的には辛いわね」
「辛いの?じゃあなぜ恋なんてするの?」
「恋はするものじゃなくて、落ちるものなのよ。だから自分ではコントロールできないの。私とルドなんて目が合った瞬間に落ちたわよ?お互いにこの人だって思った。まあ幻だったけれど、それはそれで良い時間だったわ。私にとっては・・・もう思い出になっちゃった」
「そう・・・やっぱりよくわからないわ」
「そのうちよ、そのうち。恋したら教えてね」
「うん・・・わかった」
マリアンヌはその日のうちにダニエルとララに手紙を出した。
数日後には返事が到着し、試験を受けるなら騎士としてハンセンを雇用すると書いてある。
家も用意しておくとのことで、それを聞いたリリベルはマリアンヌに抱きついた。
それから数日後、ルドルフの執務室をマリアンヌが訪れた。
「明日・・・リリベルが・・・ここを出ます」
リリベルには内緒にしてくれと言われたが、マリアンヌはルドルフに本当のことを告げた。
「そうか・・・やっと決心したか」
「ええ、早朝には出るみたいですわ」
「金は?持っているのかい?」
「渡しました。遠慮していたけど無理やり押し付けました。私の個人資産から出していますので怒らないで下さいませね」
「もちろんさ。でも私の個人資産から出してくれないか?そうしてやりたいんだ。それと宝石なども持ったのかな?小さい家なら即金で買えるくらいは持たせてやらないと・・・」
「手持ちのもので売れそうなものは、全て渡しましたから大丈夫です」
「ありがとう、何から何まで・・・本当に君はできた妻だね」
「連絡先は私が知っていますから安心して下さいね」
「ああ、私は知らない方が良いだろうから・・・今は・・・教えないで」
「はい。そうします」
「なあ、マリアンヌ。明日は一緒に見送れないかな・・・こっそりと図書室からでも」
「そうしましょう。そういえば私が聞いたマーキュリーとの噂ですが・・・」
「ああ、知っているよ。字を教わっていたんだろう?」
「ええ、その頃から・・・心を決めていたのかも知れませんわね」
「そうだね・・・マリアンヌ・・・ごめん・・・ちょっと・・・泣かせてくれ・・・私を・・・抱きしめてくれないか・・・ごめんね・・・マリアンヌ・・・」
マリアンヌは何も言わず、しかられた子供のように嗚咽を漏らすルドルフの背に腕を回し、強く強く抱きしめた。




