16 翻訳機ではございませんわよ
少し悲しそうな顔でリリベルはマリアンヌの顔を見た。
「うん・・・なんていうか・・・要するにあれだけ愛してるって毎日毎日毎日毎日言ってたくせに、アランを見た瞬間に私の不貞を疑ったでしょう?今更どんな証拠をみせても一度心に巣くってしまった疑念は払拭できないと思うの。その消せない闇を隠して、納得した振りをし続けるかもしれないけれど・・・それは違うと思うのよ」
「リリベル?」
「あっ!違うわよ?別れるとかそういうことじゃないの。アランには侯爵家の跡継ぎとして苦労せずに裕福に育ってほしいもの。ルドは本心を隠し、私は子供のために見ないふりをする・・・そういうことよ」
「耐えられるの?」
「大丈夫よ。母は強しっていうでしょう?私も母になったしね。貴族の中では当たり前なのでしょう?政略結婚って言うんだっけ?まあ、私の場合は愛人だけど・・・ん?愛されてなくても愛人って言うの?でも恋人ではないし・・・私って何なのかしら」
再び馬車の中に暗い空気が流れる。
ケニーが優しい声で言った。
「リリベル様がそう決心されたのなら、マリアンヌも私も協力するだけですよ。確かに子供の事を考えたら絶対に侯爵家の嫡男でいる方が良い。そう思わない?マリアンヌ」
「そうね。私もそう思うわ。それに私がルドルフの正妻という仕事を続ける限り、アランを幽霊になんて絶対にしないわ!」
馬車の揺れで起きてしまったアランを抱き寄せながらリリベルが二人に礼を言った。
そんな旅を続け、馬車は無事に侯爵家タウンハウスに到着した。
執事長をはじめ、使用人たちが並んで一行を出迎えた。
「お帰りなさいませ、奥様、リリベル様。それにようこそおいで下さいました、リッチモンド商会サブマスター様」
「ただいま。長い間留守にしていて悪かったわね。お陰様で概ね順調よ。リリベルもアランも、そして私もね」
マリアンヌがにこやかに言った。
執事長が使用人たちに合図して持ち場に帰らせると、マリアンヌに近寄り小さい声で言った。
「ご主人様は出張中でございます。リリベル様には私から申しましょうか?」
「そうね・・・淡々と出張中という事実だけ伝えてちょうだい。それとケニーには当面ここに滞在してもらうわ。お部屋の用意は大丈夫?」
「はい。大切なリッチモンド商会からのお客様ですからね、三階南の客間をご用意しております」
「それでいいわ。二階は今まで通りお二人だけのスペースにしてちょうだい。ああ、でもアランのベッドはリリベルの部屋?それとも別にするの?」
「ご主人様よりリリベル様のお部屋に用意するようにと」
「そう。それでいいわ」
それからルドルフが帰るまでの間、三人はそれぞれに日々を過ごし旅の疲れを癒した。
マリアンヌは久しぶりに図書室に籠り、ケニーは関係のある商会の伝手を使って販路を拡大していった。
リリベルはアランにべったりで、一日のほとんどを自室で過ごしている。
三人が顔を合わせるのは夕食の時間ぐらいだ。
「奥様、ご主人様のお帰りです」
「まあ、やっとお顔が拝見できるのね。リリベルには伝えたかしら?」
「ただいま侍女がお伝えしているところです」
「そう、ではお出迎えに行きましょうか」
マリアンヌは玄関に向かう。
途中リリベルを誘ったが、アランが泣いているので部屋にいるという返答だった。
「帰ったよ、マリアンヌ。長い間ご苦労だったね」
「お帰りなさいルドルフ、そしてただいま帰りました」
「ああ、君の元気な顔を見たら疲れも吹っ飛ぶよ。それで?ケニーも同行したのだろう?」
「ええ、ケニーは商談に走り回っていますわ。リリベルはお部屋でご子息とお待ちです」
「あ・・・ああ、そうだね。リリベルとアランの顔を見に行こう・・・マリアンヌも一緒に来てくれないかな・・・」
「一緒にでございますか?」
「うん。ほら、初手で間違っちゃったでしょ?ちょっと気まずくてね」
「なるほど。わかりました、ご一緒いたしますわ」
「ありがとう。助かるよ。リリベルもアランも無事に到着して良かった」
「ええ、リリベルは短期間で体型も元通りになって。ルドルフの大好きなリリベルのままですわ」
「ああ・・・そうか・・・それは・・・何よりだ・・・」
マリアンヌをエスコートしながら階段を上がるルドルフの笑顔はぎこちなかった。
マリアンヌの後ろに隠れる様にリリベルの部屋に入るルドルフ。
照れているのかしら?とマリアンヌは思ったが口には出さなかった。
そんな二人の姿を見たリリベルが少し皮肉っぽい笑顔で言う。
「まあ!ルドルフお久しぶりね。アランも私も無事に戻って来たわ。お仕事で忙しいって聞いたけど?元気そうじゃない」
「あ・・・ああ、久しぶりだね。君こそ元気そうで何よりだ」
暫し沈黙が流れる。
一年前の目が合えば所かまわず抱擁していた二人も鬱陶しかったが、今よりマシだとマリアンヌは思った。
「ルドルフ、アランも元気に育っていますよ?」
マリアンヌが気を利かせて言った。
「そうか、アランも元気か。それは良かった・・・」
「抱いてあげてください」
マリアンヌの言葉に戸惑うルドルフ。
「あ・・・いや、今は帰ったばかりで埃だらけだし、止めておこう」
その言葉を聞いたリリベルがふっと視線をそらした。
(まずい)
マリアンヌはそう思ったが、あえて深追いはしなかった。
「では、食事の後にでもゆっくりと」
「そうだね。では後ほど」
そそくさとルドルフが部屋を出た。
リリベルはルドルフが去った扉を睨みつけながらマリアンヌに強い口調で言う。
「あれってどういう意味なの!」
マリアンヌが困った顔でリリベルを見た。
「アランのことよ!アランも元気で良かったねって!どういう意味!」
マリアンヌが慌てて言う。
「リリベルが頑張ったお陰でアランも元気だから・・・リリベルに良かったねって・・・」
「そうかしら?まるで他人事じゃないの!それに抱いてもやらないなんて」
「それは産着を汚さないという・・・配慮?」
「違うと思うわ」
「そうかしら・・・」
泣き出したリリベルの背中を何度か摩り、マリアンヌは部屋を出た。
自室に戻ろうと階段に向かって歩き出したとき、ルドルフが声を掛けてきた。
「マリアンヌ!ちょっと良いだろうか」
「はい、何でしょうか?」
「君の部屋に行っても?それとも図書室にする?」
「部屋は片付いていませんので図書室で」
二人は並んで階段を上がった。
図書室の重い扉を開けると司書のマーキュリーがソファーを勧めてくれた。
「お話をお伺いいたしますわ」
「ああ、先ほどのリリベルだけど・・・あれはどういう意味だったのだろうか?」
「あれとは?」
「仕事が忙しいとかなんとか言ってたでしょ?あれは嫌味かな」
「リリベルにそんな裏は無いと思いますわよ。たぶん言葉の通りだと」
「私が仕事で忙しいことがそんなに面白く無いのかね。しかも元気そうじゃない?だなんてさあ・・・酷いよ」
「困りましたわね・・・そこまで深読みする必要は無いと思いますが。リリベルは仕事で飛び回っているルドルフを心配していたのだと思います。実際に見たら自分が思っていたより元気そうだったと感じたから、そう言った。それだけではありませんの?」
「そうだろうか・・・違うような気がする・・・」
困ったマリアンヌはマーキュリーの顔を見た。
マーキュリーは何も言わず、肩を竦めて顔を横に振るだけだ。




