15 信じてくださいませ!
興奮を隠しきれないマリアンヌをニコニコと見ながら立ち上がったケニーが口を開く。
「畏まりました侯爵様。それでは私は急いで連絡をとりましょう。出店候補地は明日にでもご相談させてください」
「出店候補地か・・・そうなるとマーキュリーも嚙ませた方がいいな」
ケニーがマリアンヌの顔を見て小首をかしげた。
「マーキュリーというのは侯爵家のタウンハウスで司書をやっている方なの。ルドルフと学園の同級生だった方で・・・なんと言うか・・・偏った専門職?」
ルドルフが笑いながら言った。
「マリアンヌ、頑張って取り繕う必要は無いよ。ケニー、マーキュリーは私の親友でもあるんだが、一言で彼を表現するなら・・・知識と結婚した変態だ」
「知識と結婚・・・それはまた・・・」
ケニーが後ずさった。
「そう、知識欲の塊。こんなに美しいマリアンヌが毎日のように目の前で読書をしているというのに、爪の先ほども欲情しない。それなのに絶版の初版本を見ただけで顔を上気させて興奮するんだからただの変態だろ?しかしそれだけに知識量は凄い。恐らくこちらの希望を言うだけで、最適地を即答するだろうね」
マリアンヌとルドルフは顔を見合わせて笑った。
ケニーだけ少し置いて行かれている。
「それでは候補地については、その方のお知恵に頼りましょう」
「そうだな。そうと決まれば私は先にタウンハウスに戻った方が良さそうだ。マリアンヌ、リリベルのことは君に任せても良いだろうか?」
「はい、畏まりましたわ。でもルドルフ。これだけは忘れないでくださいね?リリベルを信じて下さい」
「あ・・・ああ・・・もちろんだ」
三人は立ち上がってそれぞれの仕事のために部屋を出た。
テキパキした動きで出掛けていく三人をリリベルは自室の窓から見ていた。
「やっぱり平民の私じゃ無理なのかな・・・」
リリベルはそっと呟いて目を伏せた。
それから数日、ルドルフは着替えの為だけに屋敷に戻るが多忙を極め、リリベルとは一切顔を合わせなかった。
ルドルフは仕事に没頭しているだけで、リリベルを避けているわけではないとマリアンヌは何度も言ったが、リリベルの心に開いてしまった穴は大きくなるばかりだった。
ルドルフはそのままタウンハウスに帰ることになり、その件をマリアンヌの口からきいたリリベルは声を上げて泣いた。
マリアンヌとマナーハウスに残ったリリベルは、徐々に情緒不安定になっていく。
マリアンヌが仕事でいない日中はメイド達に当たり散らす日々だった。
リリベルはクタクタになって帰ってくるマリアンヌを捕まえては、ルドルフの愚痴を言い続けた。
リリベルを雇い主の大切な人だと認識しているマリアンヌは耐え続けた。
仕事として対応しているつもりのマリアンヌだったが、リリベルの中に母を見ていたのかもしれない。
しかし真摯に向き合う努力をすればするほど、睡眠時間は減っていく。
全てを肯定してはいけないし、全てを否定してもいけない。
メンタルヘルスカウンセラーのごとくリリベルに寄り添い続けるマリアンヌ。
デザイナーと打ち合わせをし、ケニーと相談をする日々の中、カウンセリングの知識に関する本を読み漁り、リリベルの愚痴に付き合うマリアンヌ。
「まるで学生時代のような忙しさだわ」
そんなマリアンヌを心配してケニーは時々息抜きに連れ出してた。
「さあ、マリアンヌ。今日はちょっとリッチなレストランに行こう。君は相変わらず頑張りすぎだ。たまには着飾ってみては如何ですか?侯爵夫人」
そんなケニーの心遣いに癒されて、さらに頑張ってしまうマリアンヌ。
遂に数日寝込んでしまった。
さすがに寝込んでいる枕元にまでリリベルは来なかったが、メイド達はかなりの被害を被った。
マリアンヌはケニーに言ってオーガニックシルクのポーチをメイド達に配った。
忙しい日々は瞬く間に過ぎ去り、再び社交シーズンがやってくる。
リリベルの体は順調に回復し、馬車での長旅にも耐えられるほどになっていた。
昨年まではリリベルと愛し合うことだけに人生の全てを費やしていたルドルフは、仕事の面白さに目覚めたのか、あるいは逃げたのか毎日忙しく営業活動に勤しんでいた。
とはいえ、領地経営は相変わらず執事長とマリアンヌに任せており、当人はオーガニックドレスの店舗設営にのみ燃えている。
初めて馬車で旅をするアランとリリベルの体のこともあり、王都に戻る日程は余裕をもって組まれていた。
お直し工房の件も順調に進み、イリーナも交えて最終打ち合わせを行うために、ケニーも同行した楽しい旅。
マリアンヌの奮闘のお陰で、リリベルの精神もかなり安定しており、今ではルドルフがどういう態度に出ようと言い返してやるという程度の強さを持っている。
それはそれで心配だというマリアンヌと、もう放っておけというケニーは、同じような事例の家族を何組か探し出し、その共通点を探すという作業を密かに実行していた。
馬車に揺られながらも、アランを抱いてぐっすりと眠るリリベル。
幸せそうな寝顔の二人を見ながらケニーが口を開いた。
「結構少ないね・・・あれだけサンプリングしたのに。確率的には0.01パーセントぐらいだな」
「そうね・・・私とアランのケースだけで見ると、髪色に関しては黒と桃金が鍵だと思ったのに、意外といろいろな色が出てきたわね」
「でも全てのケースで桃金は絡んでいただろう?そこから考えると桃金という色がどういった影響を与えるのか・・・そこが解明できればな」
「隔世遺伝なら説明もしやすいけど、先祖返りとなると・・・」
「うん、何代前まで調査するのかという問題も出てくるし、貴族ならまだしも俺たちのような平民では祖父母世代でも判らないというのが普通だろう?」
「そこよね・・・」
マリアンヌは壮大な溜息を吐いた。
「それにしてもマリアンヌとアラン様のケースは本当に稀なのだと思う。しかも二人が同じ色を持っているなんてさあ。しかも偽装親子だぜ?神の悪戯としか思えないよ」
「神の悪戯ね・・・本当にそうだわ。それにしてもルドルフはアランに本当の事を教えるのかしら」
「本当のこと?」
「ええ、産んだのはリリベルだけど、世間的には私が母親だって事よ。そして父親の正妻は私だけど、それは形だけで心から愛しているのはリリベルただ一人。だけどリリベルは平民だから愛人という立場のままで存在する・・・複雑すぎるわ」
「しかも三人が同居してるって・・・本当にどうするんだろうね」
「どうするのかしらね」
マリアンヌとケニーがいろいろな話をする間も弛まず馬車は進んだ。
イリーナの卒業後の暮らしぶりと借金返済の進捗のこと、オスカーが家業を継いで料理の道に進んだこと、ダニエルとララが婚約したこと等々、マリアンヌが知らないことをケニーはたくさん話してくれる。
起きていれば仲間に加わるリリベルが、中でも一番喜んだ話題は学園生活の話だった。
「私って字も少ししか読めないし、書けないでしょう?マリアンヌに教わったけど、地頭が悪いのね。まったく頭に入ってこないの。ダンスやマナーはスルスルって覚えたのに」
ケニーが笑いながら否定した。
「地頭がどうこうっていうのは違うと思いますよ?それに平民だからっていうのもね。それを言うなら私もララもオスカーも平民だし。結局のところ、ご自身がそこまで必要を感じていないのでは無いでしょうか」
「あら、読めればいいなと思うし、手紙も書きたいと思うわよ?それができないからルドからの連絡もマリアンヌ経由になっちゃうし」
「なるほど、確かに少々面倒ですね。それに書いてある内容によってはさすがのマリアンヌも声に出して読みづらかったり?」
リリベルが少し悲しそうな顔で言った。
「そうね・・・一年前までならラブレターだったでしょうけれど・・・今は義務的に書いているとしか思えない内容ばかりよ。季節のこととか天気のこととか・・・」
馬車の中の雰囲気が一気に沈む。
気を取り直すようにマリアンヌが口を開いた。
「そう言えば、ケニーがいろいろ調べてくれて、両親の色を持たない子供って思ったより多いって分かったのよ。その絶対的な条件がどちらかがピンクブロンドということなの」
リリベルがコロッと泣き止んで言った。
「へぇ~そうなの。マリアンヌのお母様も私と同じピンクブロンドって言ってたわね・・・ねえ知ってる?黒髪を脱色すると金髪になるのよ?」
マリアンヌとケニーが同時に声を上げた。
「ホントに?」
「ええ、母は髪結いだったの。子供のころに母の仕事場によく連れていかれていて、金髪に憧れたお嬢さん方が傷むのも承知で脱色していたのをよく見たわ。面白いでしょう?脱色したら白になりそうなものなのにね」
「てっきり白髪になるか、私のような銀髪かと思い込んでいたわ」
マリアンヌが顎に手を当てて独り言のように言った。
ケニーも頷きながら言う。
「盲点だったな・・・ピンクブロンドが黒髪に与える影響か、またはその逆か・・・」
二人は頷きあっていた。
リリベルがそんな二人を見ながら口を開いた。
「ありがとうね、二人とも。でもね、私はもういいかなって思ってるわ」
「どういうこと?」
マリアンヌが慌てて聞いた。




