9 悪い人達ではないようです
一般常識の斜め上の会話を真面目な顔で済ませた三人は、マリアンヌの自室に行った。
ルドルフは右手でリリベルを抱き寄せながら、左腕にマリアンヌの手を置かせている。
「いいなぁ。両手に花だ!」
「もうルドったら、浮かれすぎよ。ごめんなさいね、マリアンヌ。付き合わせちゃって」
「いいえ。それより私がルドルフと腕を組むことに問題は無いのですか?」
「私が焼きもちを焼くかってこと?あなたに関しては無いわ。他の女は許さないけれど」
リリベルがそう言いながらルドルフの頬を指先でつついた。
「リリに焼きもちを焼かれるようなことは絶対しないさ。君以外の女性などみんな狐か狸にしか見えないよ。おっと!奥様は別だからね。マリアンヌは・・・そうだなぁ~小猫?」
マリアンヌの表情が一瞬だけ固まった。
ルドルフとリリベルは楽しそうに笑っている。
「ではルドルフにとって今のこの状況は、愛する女性を抱き寄せながらペットの猫を腕に乗せている?」
「ははは!そうそう。そんな感じ。君は面白いねぇ~、気に入ったよ。実に気に入った。ぜひとも一生涯のお付き合いをお願いしたいよ」
「うふふふふ。マリアンヌは可愛いわ。お友達というより妹のように思えてしまうの。マリアンヌはおいくつ?」
「私は16歳です。来月には17歳になりますわ」
「あら!お誕生日パーティーをしなくちゃ!そうでしょ?ルド」
「いいね。その時に結婚のお披露目もしようか・・・ああそうだ、マリアンヌ結婚式はどうする?」
「お披露目さえも烏滸がましいと存じますので、結婚式はご遠慮申し上げます」
「まあ!本当にいいの?無欲なのねぇマリアンヌは。でも誕生日パーティーは盛大にしましょうね?」
誕生日パーティーなどというものを見たことも聞いたことも、やってもらったこともないマリアンヌは黙っていた。
「いいわね?マリアンヌ。私たちに任せてちょうだい」
「うっ・・・わかりました」
マリアンヌに与えられた部屋は三階の南側だった。
広い寝室と応接室、ウォークインクローゼットと浴室とトイレ。
客間を幾つか潰して作ったのだろう。
伯爵家のあの四人が使っていた面積より広いかもしれないとマリアンヌは思った。
しかも侯爵夫妻の執務室はどちらも一階にあるので、ここは完全なプライベート空間だ。
「こんなに良い部屋を・・・ありがとうございます」
「うん。ここは日当たりもいいし眺めもいいだろう?本当なら二階にするべきだけど、二階には主寝室を挟んでリリベルの部屋と私の部屋があるんだ。でもほとんどリリベルの部屋しか使ってないんだけど、どうもあまり近い部屋だといろいろ不都合があるらしい」
「不都合とは・・・お二人のプライベートを覗くことなど絶対にございませんが?」
「そうじゃなくて・・・メイド長と執事長からダメ出しを喰らったんだよ」
「?」
「僕たちがあまりにも激しくて・・・なんというか・・・声がね・・・廊下にまで漏れるって・・・えっと・・・夜にね・・・だから同じ階は・・・」
「・・・?」
「いや、分からなくていい!むしろ分からない方がいい!忘れてくれ!君はまだ若いし三階でも大丈夫だろう?」
「勿論です。適度な運動になって嬉しいですわ」
「うん。良かった。使用人たちは一階に住んでいるけど、各階には必ず夜番の騎士とメイドがいるから安心してね」
「三階を使うのは私ひとりですか?」
「うん。常時寝泊まりするということならひとりだけど、三階には図書室と家事作業場があるから誰かは必ずいるよ」
「図書室が近いのは嬉しいことです」
「ああ、君ならそう言うと思ったよ。自由に使っていいからね」
リリベルがマリアンヌの顔を覗き込んだ。
「マリアンヌは読書が好きなの?」
「はい。学院の図書室の本は在学していた10年で全て読破いたしました」
「凄いわね・・・本が読めると楽しいのでしょうね」
リリベルがフッと暗い顔をした。
ルドルフがそんなリリベルの顔を指先でなぞる。
「リリベルは読み書きが得意ではないんだ。平民だから仕方がないけどね」
「できれば習いたかったわ」
「それよりマナーとかダンスの方を優先すべきだっただろう?それに今は社交で忙しい」
「そうね・・・まあ人それぞれ役割分担っていうものがあるものね」
「そうだよ。君は私の横で常に美しく笑って、僕だけを見ていればいいんだ。愛してるよリリ」
「ええ、私も愛してるわ。ルド」
二人はマリアンヌなどいない者のように強く抱き合い深いキスを交わし始めた。
そんな二人を冷めた目で数秒見た後、マリアンヌは一人で図書室に向かう。
重厚なドアを押し開くと、紙とインクの懐かしい匂いが流れ出した。
「ああ・・・良い匂い」
図書室特有の香りを楽しんでいたマリアンヌの横から男性の声が響いた。
「ここにご婦人が来られるのは久しぶりですね。何かお探し物でしょうか?」
マリアンヌはゆっくりと声の主の顔を見た。
「今日からこちらでお世話になるマリアンヌ・ルーランドと申します。自室を三階に与えられましたのでご挨拶にお伺いした次第です」
「ルーランド・・・ああ、奥様ですか。それはそれは、ようこそ図書室に。私は司書のマーキュリー・ヘッセと申します。ヘッセ伯爵家の三男でこちらで働いております」
「左様でございますか。妻といってもご存じの通りお飾りですから、どうぞお気楽に接してくださいませね。私は読書が大好きですの。たびたび利用させていただきたいですわ」
「それは嬉しいですね。ジャンルを教えていただければおススメを紹介しますよ。ここになければ取り寄せても構わないですし」
「今後ともよろしくお願いいたします」
二人が挨拶を交わしていたら図書室の扉が乱暴に開いた。
「あっ!ここに居たのかマリアンヌ。探したよ。驚かせないでくれ・・・って言っても驚かせたのは僕たちの方か?」
「いえ、特には驚きませんでしたよ」
「そう?それならいいけど。時々あんなことがあるけど・・・気にしないで」
「承知いたしました」
「君は本当によくできた妻だな」
「恐れ入ります」
「その口調さえ直せば完璧だ」
「・・・徐々に・・・努力いたします」
「さあ、荷ほどきは済んでいるらしいからゆっくりするといい。夕食には呼ぶから三人で食べようね。マーキュリー、彼女は本好きらしいからよろしく頼むね」
「了解。それにしてもルドルフ。君は男の敵だねぇ。奥さんも恋人も恐ろしいほどの美人じゃないか」
「そうだろう?これぞまさしく男のロマンさ。まあ、私もそれにふさわしい美男だし?」
「マリアンヌ様・・・本当にこいつで良いのですか?しかも鬼畜な条件で・・・」
「こ・・・こいつ?・・・鬼畜?」
笑いながらルドルフがマーキュリーの肩を叩いた。
「こいつでいいのさ。鬼畜ってのはいただけないけど事実だし?マーキュリーとは学園時代の同級生で親友なんだ。まあ私とは違って本と結婚したような変態だけどね」
「そうでしたか。改めましてよろしくお願いいたします」
今日から自分の夫となったルドルフの恋愛事情にも友好関係にもまったく興味のないマリアンヌは通常運転で優雅にお辞儀をした。




