1 生まれましたわ
美しい銀髪と深い森のようなグリーンアイを持ったマリアンヌは、ほどほどに裕福でほどほどに栄えている領地を持ったリック・ルーランド伯爵家に生を受けた。
目鼻立ちがはっきりしていて、美人に育つこと間違いないとまで言われるマリアンヌだが、本人のあずかり知らぬところで大きな問題を抱えていた。
「本当に美しい赤ちゃんなのに・・・」
「目鼻立ちは奥様にそっくりね・・・」
ルーランド伯爵家のメイドたちはマリアンヌを抱くたびに不安を口にする。
「もうすぐご主人様が帰還されるんだ。絶対に不安そうな顔を見せてはいけないよ」
ルーランド家を上手に回している執事長のベンジャミンは、そのたびにメイドたちを戒めた。
そんな小さな声を耳にする度、ルーランド伯爵夫人のハンナは笑いを嚙み殺す。
髪も目も夫妻には無い色味を持ったマリアンヌに、自分の不貞を疑うメイドたちがおかしくて仕方がなかったのだ。
ハンナは夫であるリックの愛情を微塵も疑っていないし、自分もリックを心から愛している。
そんな自分が不貞など犯すはずがないじゃないか・・・ハンナは何も不安に思っていなかった。
「奥様、旦那様が到着されました!」
執事長のベンジャミンが呼びに来た。
ハンナはマリアンヌを抱き上げ、いそいそと玄関ホールに向かった。
ハンナが妊娠に気づいたのはリック・ルーランド伯爵が隣国との戦争に出征して二か月ほどした時だった。
明日は戦地に赴く最後の夜にできたのだとハンナは確信していた。
「あの日のことは忘れられないわ・・・リックはどんな顔をして喜ぶのかしら」
ハンナはマリアンヌを初めて見るリックの表情を何度も想像して、母になった喜びを嚙みしめる毎日を送っていた。
「ただいま!ハンナ、会いたかった・・・会いたかったよ」
リックが旅装も解かず駆け寄ってきた。
「お帰りなさいリック。ご無事で何よりだわ。私も会いたかった・・・」
マリアンヌをメイドに渡して駆け寄るハンナを両手でしっかりと受け止め、愛おしそうに抱き寄せるリック。
まさに理想的な相思相愛の夫婦の姿。
「リック、あなたの子供よ。抱いてやって?とっても可愛いの」
「ああ、君が妊娠したと手紙で知らせてくれてから、毎日とても楽しみだったんだ。初めての出産だったのに傍にいてあげられなくて申し訳なかった」
「そんなこと!リックは国のために一年も戦地で耐えたのよ。申し訳ないなんて言わないで。さあ早く!あなたがマリアンヌと名付けてくれた子を抱いてやって」
メイドが少し遠慮がちに赤子を差し出した。
急いで手を伸ばすリックと、その表情にわくわくが抑えきれないハンナ。
リックは一度ぎゅっと赤子を胸に抱きしめてから、赤子を包んでいたストールを外した。
「どう?可愛いでしょう?」
「えっ・・・そうだ・・・ね。君によく似ている・・・僕には・・・似てないかな」
「あら?そうかしら。鼻の形はあなただと思うけど?まあ、赤子の顔は何度も変わるっていうし、そのうちにあなたにそっくりになるんじゃないかしら?」
「そうだね・・・うん。楽しみにしておこう。ベンジャミン、湯あみをしたいのだが」
「準備できております」
ベンジャミンが恭しく応えた。
リックはハンナに赤子を押し付けるように渡して言った。
「先に湯あみをしてくるよ。そのあとで食事にしよう」
「ええ、分かったわリック。ゆっくりしてね」
リックはその場から逃げるように去った。
残った使用人たちも逃げるように持ち場に戻る。
ハンナはマリアンヌの寝顔を見ながら小さなため息を吐いた。
「思ったような反応ではなかったわね・・・今は似ていないからかしら?」
ハンナの独り言にメイドは何の反応も示さない。
ハンナはマリアンヌを抱いて自室に戻った。
湯あみを済ませたであろうリックから夕食の誘いがあったのは夜遅くなってからだった。
マリアンヌはメイドに任せて寝かせてある。
今夜は一年ぶりに夫婦の寝室を使うことになるだろうとハンナは考えていた。
いつもより露出の多いドレスを選んだハンナはいそいそと食堂に向かった。
ドアの取っ手に手をかけたとき、中からリックの声が聞こえてきた。
「ベンジャミン・・・俺はどんな顔をすれば良いんだ?どうすればいい?教えてくれよ」
戦地で何か問題でも起こしたのかしら?
ハンナはそう考えながらドアを開けた。
「お待たせしてごめんなさいね?リックのために美しく着飾ろうと・・・リック?」
リックは泣いていた。
駆け寄るハンナ。
そっと距離をとるメイドたち。
ベンジャミンがハンナに声をかけた。
「奥様、ご主人様は大変お疲れのご様子です。ご夕食はお部屋に運ばせましょう」
「ベンジャミン?」
ハンナはリックの震える肩に手を伸ばしながら戸惑った。
「いや、いい。久しぶりの夫婦での食事だ。ここで一緒に食べよう」
「畏まりました」
使用人たちが一斉に動き出す。
ハンナはおずおずとリックの斜め前の席に座った。
リックがいない間もハンナはずっとその席に座っていた。
誰も座っていない家長の席にリックの面影を見ながら、一人静かに食事をとる日々。
今日は夢にまで見たリックがその席に座っている。
しかしハンナが期待していた雰囲気とはまったく別の空気が流れていた。
「いったい・・・何があったの?」
ハンナがリックに話しかけた。
「いや、何でもないよ。さあ食事にしよう」
リックが少し青ざめた笑顔を見せる。
ハンナは今すぐに話し合って解決するべきだと思ったが、帰ったばかりのリックに言うことはできず、重苦しい空気のまま夕食が始まった。
ハンナがリックの留守の間に起きた様々なニュースを面白おかしく話す。
泣きそうな顔のままリックが相槌を打つ。
淡々と料理が運ばれてくる。
食堂にいた全員が地獄のような時間だと感じていた。
ハンナを除いた全員が。
食事を終え、リックがハンナをエスコートして寝室に向かった。
ハンナは大丈夫だと自分に言い聞かせながら手を引かれるまま歩いた。
夫婦の寝室の扉の前でリックがボソッと言った。
「僕で良いの?」
ハンナは驚いて手を引いた。
「今なんて言ったの?」
「僕が君を抱いていいのかと聞いたんだよ?」
「何言ってるのよリック。あなた以外で私に触れる人はいないわ」
「そうだよね?君は僕の奥さんだもんね?」
「もちろんよ?どうしちゃったの?リック」
「いや・・・疲れているんだろう。さあ入ろう」
「・・・ええ」
二人は寝室に消えた。
いつもは軽口を叩くメイドたちも誰一人として声を発しなかった。