JK蒼の時間退行(メモリーサルベージ)
商店街がパタリと終わると静かな住宅街になった
セーラーブレザーにプリーツのスカート 赤いリボンにスクールバックという 女子高生の下校中スタイルの入戸野蒼は スマホを確認しつつ 1軒のアパートの前に立った
築50年は経つかもしれない…柱の部分のタイルのレリーフが昭和を感じさせた
住人が居るんだか居ないんだか…時間から抜け落ちた風景のようにも見える
外階段を上り 201と書かれた表札の前で ポケットから青い楕円形のタグのついた鍵を取り出すと 開け 部屋に入った
カビ臭いような 饐えた匂いがする
ただ一人で空き部屋に入る その躊躇や怖さは無いらしい
彼女の口癖はこうである
「私は霊媒師でも興信所でもありません!ただの女子高生です」
その ただの女子高生は窓を開けると バッグからゆで卵を立てる台のような香炉と線香のような紫色のお香を取り出すと 100円ライターで火をつけ 立ち上る煙を2、3回 手でパタパタと仰いだ
住宅を隔てて市道があり 時々車の走り去る音が聞こえる以外は
静かだった
部屋の窓側に香炉を置き その下に仰向けにゴロンと寝る 足を交差させ、お腹の位置で両手を重ねた
キラリと左手に巻いた水晶の数珠が光る
数回 軽く深呼吸をすると 部屋の空気がキシッと鳴った
彼女…蒼の時間退行 メモリーサルベージが始まりました
今の時間は午後の3時を回った位なので 窓の外は充分に日差しが溢れているけれど 蒼のいる部屋の中は違い
薄暗く 香の煙だろうか…霞のように立ち込めている
ドスリ ドスリと 足音とともに霞に中から中年の男性が現れた
解像度の良くないプロジェクションマッピングのように見えていた男は 少しずつハッキリとした画像を結び始める 作業員風の服を着て 手にはコンビニ袋を下げている 「よっこらしょ」と座ると中からビールと弁当を取り出し 台のような小さなテーブルの上に置いた
さっきまでガランとしていた空き部屋には テーブル テレビ 小さな茶箪笥 後は段ボールがいくつか置かれている 部屋の隅にはロープが張られ 洗濯物が無造作に下げられていた
男はテレビを点け 弁当を食べ始める
お笑いの番組を見ているのか 時々わっと沸くが 男は笑わない グイグイとビールを飲むと 袋から2本目を取り出し プシッと開けた
蒼が今見ている光景は もちろん幽霊などの心霊現象ではなく この部屋が見ていた記憶を再生している
それが 今からどれくらい前のことかは判然としないけれど 間違いなくこの部屋で行われた光景を
蒼は見ることができる
しばらく部屋でくつろいだ男は トイレから戻ると蒼の方へ歩み寄って来た
「あっ!」(しまった!)蒼が横になっている部屋の中央には 気付かなかったが 男の万年布団が敷かれていて 素早く電気を消した男は 足元の掛け布団を片手で掴むと 蒼の上に覆いかぶさるように体を…
「ストップ!ストップ!」
今までの光景は全て消え 部屋には午後の日差しが差し込んでいる
ガランとした部屋の中で女の子座りをした蒼は呼吸を整えつつ
「またやっちゃった」
「前にも失敗したのに学習しないな…」
ガックリと肩を落とすと 香炉を持ち 部屋の隅に移動し再び横になった…が すぐに起き上がると さらに隅の角のところに体をくっつけるようにして寝る
鼻の奥には まだあの男の体臭が残っているように思えて 引き寄せた香炉の煙を吸ってむせた
「今の人は依頼とは無関係らしいから もう少し深く潜ろう」
蒼は左手の水晶の数珠を右手の指ででくるくると回した この数珠に 記憶再生の巻き戻し機能がある訳ではなく 蒼の意思を反映しようとするルーティンのようなものである
再び部屋が霞に覆われ 今度は3〜40代の女性が現れた
途端 部屋中に揚げ油の匂いが溢れたように感じた 美味しそうではあるけれど少しくどい…おそらくその女性は今日1日中 キッチンで揚げ物を揚げていたのかも知れない
「ふう〜」とため息をつきながら 丸い折りたたみ式の卓袱台の前に座り込んだ
そのまま突っ伏すと静かになった 間があり 寝ちゃったのかしら?と思った時 静かに上体を起こすと脇に置いた袋からお弁当とペットボトルのお茶を取り出すとポソポソと食べ始めた
2人目の この部屋にテレビは無い 卓袱台と小さなタンスと本棚があるばかりだ
何とも言えない 垂れ込めたような寂しさがある
「この人が依頼の女性だわ」
蒼が確信したとき 部屋にはシャワーを使う音が響いていた 髪を拭きながら戻ってきたその女性は 慣れた手順で身支度を整え 今度は壁に掛けてあった工場の作業服に着替えると再び外出した 夜は深まり 彼女は深夜の3時過ぎに部屋に帰ってきた 着替えて歯磨きをすると 倒れ込むように床に就いた 昼夜で二人分の労働を科しているその身体は疲れきり 就寝中寝返りも打たなかった
朝7時に携帯の目覚ましアラームが鳴り ズルズルと布団から這い出ると 窓のカーテンを開け そのまま窓の下30センチほどの壁に寄り掛かり 外を眺めた 窓の外には朝の喧騒があり 陽射しが元気に溢れている
しばらくすると布団のところに戻り 欠伸をしつつ布団をたたむと 洗濯機を回し トーストとスープだけの朝食を摂った それから9時30分に 昼の仕事に出かけるまでが 1日の中で唯一 彼女がくつろげる時間なのかもしれないと蒼は思った
メモリーサルベージを行った日から数日後 蒼は静かなオープンカフェのテラス席に座っていた
同じテーブルには20代と思われる女性が2人座っている
「その人が…」蒼は2人に向かって話しかける
「美晴さんたちのお母さんだと思います」美晴と呼ばれた女性は 蒼に正対するように座り 居住まいを正して聞いている ベージュの髪はナチュラルにウエーブして肩まで流れていた 「薫子さんと」蒼は隣に座るグレージュショートヘアの女性に顔を向けてつけ加えた 彼女は椅子を後ろに引いて脚と腕を組んで 目を瞑って聞いている
蒼の前のテーブルには カフェオレの入ったカップと 横に部屋で見た女性が光の中で微笑んでいる写真が置いてある 「これがお母さんの毎日でした」「びっくりするくらい同じ繰り返しでした」
美晴はバックからハンカチを取り出すと目頭を押さえ 鼻をすすると「ハア〜」と息をついて顔を上げる
「それで…」と小さく尋ねた
「それでとは…え〜と?」蒼は自分が何を聞かれたかよく分からずに戸惑った
途端 横に座っていた薫子が立ち上がると蒼の前におかれた笑顔の女性の写真をどけた
その下には 明らかに望遠で撮影されたと思われる 同じ女性と寄り添うように年配の男性がホテルの出口の前に立つ写真が現れた ひと目見て盗撮された写真とわかる
「この男は部屋に来ていたの?」
薫子は大声を出したわけではないけれど 一瞬空気が緊張した
「かおちゃん」美晴が静かな声で「座って!」と言った「蒼さんは高校生よ!少し言葉を選んで!」
「ええと…」蒼は苦笑いをし 続けた「私が見た限りでは…」目を瞑り思い出す
あの(部屋)を 外が日曜日の日差しにきらめいていても あの部屋は仄暗かった
「部屋にどなたかが尋ねてくることは1度もありませんでした」
チャイムが鳴ったのを聞いた覚えがない(電源を外していたのかも知れない)正確ではないが 彼女はあの部屋に6年くらい住んでいたんじゃないかと思うけど
「誰ひとり来ませんでした」
蒼の見ている記憶の片隅にカレンダー機能が備わっている訳もなく 左手の数珠を回して意識をコントロールして流れる時間を操作するやり方は 日にちの確定が難しい でも
「毎日同じ時間に出かけて 同じ時間に帰宅していました」「体調を崩したとき以外 遅刻もなかったと思います」
腕を組み 首をかしげると「あれは私には無理!」(私だけじゃない 全高校生に無理よ!)蒼は確信している
「休みの日に買い物に出られても」話を戻して「だいたい1時間くらいで帰られたので どなたかと会っていたとも思えませんでした」「それ以外はあの仄暗い部屋の中で」ここで蒼は 初めて言葉に詰まり わずかな逡巡の後「ご自分をあの部屋に収監しているように見えました」
(あの部屋に 今はあるけど未来は圧倒的に無かった)
美晴はもう一度バッグからハンカチを取り出し 横長に開くと両目を覆った そして鼻の下にあてた後
「母は部屋を自分の牢獄にしていたということかしら」蒼は頷かずに目を伏せた「私の印象です」と続けてもよかったがやめた
短い沈黙の後「そりゃ当然だよ!」また薫子が立ち上がり「私や姉ちゃんやパパを裏切って…こんな男と!」
この言葉の陰に どれほどの涙が隠れているのか蒼は想像できる しかし「薫子さん」細長い手のひらをおでこの前くらいに上げて制すると「私はただの女子高生です」「刑事でも興信所でもありません」「お二人の過去にも興味がありません」「美晴さんに頼まれて 見てきたままをお伝えしています」
(部屋の記憶を見る事ができる)そもそもこんな能力を信じるかどうかで真逆の反応になることを…蒼はよく知っていた(それでも私の言葉は相手の感情を迷わせる!気をつけて話さなくてはいけないのは私の方なんだ)
「ありがとう蒼さん」「かおちゃん 座って!」美晴は「続けてください」と言った
蒼はコップの水を口に含んだ テーブルに置かれたカフェオレはとうに冷めている
「ここからは 少し私の推測も入るんですが…」「お母さんは読書が唯一の楽しみのようでした」
「それはもう…」美晴の表情が初めて明るくなった「以前お風呂にお湯を溜めてた時に 横に立って本を読んでるのよ…呆れるでしょ!それでも時に溢れるまで気づかないの」「1回や2回じゃないのよ…」と薫子も乗ってきて「ママの読んでる小説のクライマックスはいつも洪水シーンだね〜って…」
「それでパパが見かねて」薫子が続ける「お湯が溜まるとブザーが鳴るやつを買って来てくれて…それでもブザーが鳴りっ放しの時があるから」「あたしたちが2階から降りてお湯を止めると…やっぱりママはキッチンのテーブルに座って本を読んでる」「ママッ!て言うと『あっ!お風呂』って」
「でも…ある日 2階から降りてお湯を止めてもママの姿はキッチンに無かった」
「ママは…ベランダに出て誰かと携帯で話していたんだ」「ニコニコしながら」
「ごめんなさい蒼さん」重い沈黙を破って美晴が「母は私たち子供と会うことを父に禁じられて 別れてからのことは全く分からなかったの」「その父も昨年他界して…私たち姉妹には 暮らした家と欠けた記憶だけが残された」
「母はどうしていたのか…私たちが泣きながら寂しさに耐えていた時に そのほんのひと欠片でも知りたくてあなたに記憶のサルベージをお願いしたの」
「ただの女子高生に暗い話でごめんね」美晴は少し微笑んだ
「あ…いえ」曖昧に答えて蒼は ふう…と顔を上げた
午後から始められたこの会合も すでに2時間を超え きらきらと初夏を思わせた空気の中にも 少しの冬の名残が混ざり始めていた
蒼は目を瞑り 「うん…うん」と いくつかの記憶の断片をつなぎ合わせていく
「お母さんは読書が大好きで 不器用」と言って「お部屋に小さな本棚があったことは言いましたよね」と続けた
「これくらいの」両手を肩幅ほどに広げて「上下2段の本棚なんです」
「お母さんはお休みの日に お昼まで寝ていて 家事をすませると後の時間は全部読書でした」「1度に2〜3冊の本を買って来て 何日かかけて読んでいました」「窓のところに寄りかかって…部屋の電気は点けないんです」「外がすっかり夕闇に覆われる頃に本を閉じて電気を点け 夕食の準備を始めました」
蒼はここまでを一気に話すと もう1度水を飲む
「読み終わった本を…」「本棚に収めることはありませんでした」
「買い物の時に持って出て 帰ると新しい本に代わっていました」(ここからは推測)「おそらく古本屋に引き取ってもらい そのお金を次に読む本を買う足しにしていたんだと思います」「だから」蒼はここで一息つき 2人の方を見る
「本棚の上段にはほとんど本は入っていませんでした」
「上段には?」「それじゃ下段には入っていたんですか?」美晴が聞く
「いっぱい入ってました」「絵本が」
「絵本…」美晴が息を飲む
蒼はポケットから手帳を取り出し「忘れないうちにメモしておきました」ページをめくり
「ぐりとぐら」「いやいやえん」「おおきなかぶ」…
「あ…!蒼さん…」美晴が言葉を挟もうとするが 続けた
「そらいろのたね」「はらぺこあおむし」「スーホの白い馬」「100万回生きたねこ」「3びきのやぎのがらがらどん」「ちいさなうさこちゃん」「エルマーとりゅう」…
「蒼さん!それは…」美晴が言いかけるのを薫子が引き取って「それ!同じ絵本がウチにある」「全部同じ ぐりとぐら いやいやえん…」声がかすれる
気持ちを抑えた美晴が「それは私たちが最後まで捨てられなかった母との思い出です」「捨てられなかったし 見ることも辛かった…」美晴の目からは涙が溢れているけれど それを拭うことはなかった 頬を伝った涙はポタポタとテーブルに落ちた
「はい そうだと思いました」蒼は手帳を閉じて「お母さんはその絵本を時々開いて…小さな声で朗読して 必ず泣いていました」「私には 泣くために読んでいるように見えました」
(イメージ)暗闇にぽっかりと浮かんだ女性 絵本の読み聞かせをしているが…その声は静かに闇に溶けていく
姉妹は手を取り 肩を寄せて耐えるように泣いた… きっとそうして 長い時間を2人で越えて来たんだろう
蒼は そっとしておいてあげたかったけど まだ伝えなきゃいけないことがある
「それと 少し気になったのですが」「お母さんは深夜3時過ぎに帰宅して 朝7時に起きていました」「出勤が9時半なら…私ならあと1時間寝ます!」と 左手の人差し指を立てて見せた 場が少し和んだように思えた
「気になって サルベージが終わってから お母さんが見ていた方へ歩いてみたのです」「そうしたら少し行くと小学校が その隣に中学校もありました」「お二人のお家は あそこを反対に行った辺りになるので…あの道は通学路だったのではありませんか?」
「そんな…まさか」2人はもう気づいている
「お母さんの毎日は(朝7時起床)が原点でした それは…下の道を歩いて通学するお二人に朝の挨拶を言うためだったと思います!」
「私のサルベージで見ることができるのは部屋の中の情景だけです」「でもそれでも分かるんです」「お母さんは毎日 お二人に挨拶をすることだけを日課と決めていました」
(イメージ)雨が降っている 子供達のさした傘が数珠つなぎにゾロゾロ歩いている
先頭を歩く最上級生の美晴は 隣の女の子と何やら話している
車が来ると後ろを見て声を上げて下級生に注意喚起をしている
(イメージ)別の日…夏の日差し 先頭を歩く美晴は やはり隣の女の子と話している
車が来て声を上げる美晴 今度は薫子も後ろを向いて注意をしている…
「おはよう」「行ってらっしゃい」
「薫子さんが中学を卒業されて 朝の挨拶ができなくなった時 お母さんはあの部屋を引き払ったのだと思います」
「これが私の見てきたあの部屋の お母さんの記憶のサルベージです」と締めようとしたけども 最後に
「私があの部屋で見た女性は…何か大きな過ちを犯して 自分でもその事が許せず 自らを呪い ただ贖罪の毎日を送っていた 寂しい人でした」と付け加えた
「いかがでしょうか?美晴さん 薫子さん 全部お伝えしたと思うのですが…」と蒼が話しかけると 美晴はハッとして居住まいを正し 立ち上がると頭を下げて「ありがとうございました」と言った
陽はすでに西に傾き 街には夕方の喧騒があった
「すっかり遅くなってしまいましたね タクシーを使います?」と美晴が蒼に聞いた
「いえ…友達は今はまだ塾にいる時間帯です」「電車で帰ります」
そして美晴がバッグから四角い封筒を出そうとするのを蒼は止めて
「これはあの部屋からお二人へのメモリーギフトです」「商品じゃありません」
ここ数日で季節はすっかり夏モードに突入して テレビでも花粉症より熱中症の注意を盛んに喧伝している
蒼の通う公立高校は高台にあり 幾らか風通しはいいようだ
学校の方針で3年間のエレベーター方式になっていて クラス替えと担任の交代は基本的に無い
その担任の小宮山晴信が蒼の良き理解者であり 彼女にとっての支えにもなっている
40代前半で現代国語の担当 メガネで顎には無精髭が生えている
「あのアパートな」小宮山が蒼に「秋口に取り壊しが決まったらしい」と教えた
姉妹と会ってから3日後の朝 教員室に蒼は立っている
「あの2人(姉妹)もな 母親と会うことに決めたらしい」「それで問題ないだろ?」と蒼を見た
「結果はわからないけど…今はそれがいいと思います」と答え「詳しいですね?」「途中でマージンとか取ってないでしょうね!」詰め寄る
「バカ言え! ねーちゃんの方が卒業生!」「俺担任!…まあ少しな」「当時からなんか抱えてたんだよ」
(お人好しなんだから)蒼は思いつつ「実は今日も案件のオファーがあって…午後早退させてください」
「おい待て…」時間割を見て「今日の午後って?」「また住崎先生の数学があるじゃないか!」
小宮山が言い終わらないうちに「グーゼンです」と答える蒼
「実際今日のはね…」「めちゃくちゃ気が進まないんです」「もうホント…」声のトーンが少しずつ下がっている
「何?相手どちらさん」と聞かれ「父経由なんですけど」と蒼は小宮山の左耳に口を近づけボソボソと耳打ち
「えっ!それヤバない?」と蒼を見返す「ヤバなくないっスよ」
「あ〜じゃあ…」小宮山は右手をこめかみの位置で敬礼のポーズをとり「頑張って」「学校の方は俺がタイミングを見て根回ししとく」蒼は猫の手みたいな感じの敬礼を返すと「よろしくで〜す」と教員室を辞した
街は未来を追い求めてみんなが右往左往している そしてその1歩…1歩が掛け替えのない過去に変わっているのだ
その日の午後 時計は午後の1時を少し回っている
「ほんっとに気が進まないんだから!」
蒼が路上に現れた地下鉄の出口には「桜田門駅」と書かれ 目指す方向には警視庁本部庁舎が聳えていた