悪役令嬢マリオネットと放蕩息子
こちらの作品はシリーズものとなっております。
「悪役令嬢とか関係なく、今度こそ一位になってみせる!」の続編となっておりますので、そちらを読んでいただけるとより一層楽しんでいただけると思います。
「信じ、られませんわ」
「えぇ、本当に信じられません。マリオネット様はいつも優秀な成績でいらっしゃいますのね」
「この学園で三位だなんて、中々取れる順位ではありませんわ」
取り巻きの声が右から左へ流れていく。マリオネットは目の前の現実を受け入れたくなかったのだ。
──話は数分前に遡る。
学園に入学してしばらく経ち、三回目の学力テストを受け終わったマリオネットたちは、結果が出たという報告を担任から受けて、ぞろぞろと掲示板へ向かっていた。結果は全生徒が見られるように、廊下の掲示板に学年毎に貼られているのだ。
だが、マリオネットは結果を見ずとも結果を分かっていた。
というのも、毎回二位を狙って取るようにしているからだ。一位に拘るマリオネットが何故二位を狙うかといえば、王太子であるリカンドに一位を取らせるためであった。そうして、テストの後に毎回全教科満点の成績を持つリカンドへ間違えたところを教えてほしいという名目で勉強会を開けば、親密度がより高くなるという戦略であった。リカンドは兎に角頼られることに喜びを感じる男であったので、毎回嬉しそうに教えてくれるのだ。
だから、この二位を狙うという作業は将来王妃になるための戦略的敗北としてマリオネットは受け入れていた。
そして、場面は冒頭に戻る。
何ということだろうか‥‥‥
「この学園で三位だなんて、中々取れる順位ではありませんわ」
そう、三位なのだ。リカンドに負けるのは先ほども言ったように仕方ない。
だが、それ以外の奴に負けるのはマリオネットのプライドが許さないのだ。マリオネットは、すぐさま二位の名前を確認した。
──ルファル・カオピタ
その名前には、大いに見覚えがあった。その男、ルファルは何を隠そう攻略対象者であり、リーナの取り巻きのひとりでもあった。
黒色の長髪を肩辺りでまとめて横に流し、キリッとした鋭い眼光を眼鏡で隠したイケメンという言葉より美しいという言葉が似合う男、それがルファルだった。
と、まぁ、此処まで聞けば聞こえは良いが、この男、厳格な見た目に反してかなりの女たらしで宰相の息子という肩書きを持ちながら、影では放蕩息子という名を欲しいままにしていた。
そんな彼は、勿論、勉強などというつまらないことに精を出すなんてことはなく、成績だっていつもなら下から数えた方が早いくらいだった。
そんな男に、マリオネットは負けたのだ。
いつもと違う順位に、誰かの驚いた声が上がった。
「まぁ! ルファル様、二位ですって! リカンド様に次ぐ順位だなんて凄いですね」
「私が本気を出せば、そんなものですよ。そういう貴方こそ、毎回五位以内に入っているではありませんか」
「えへへ、そりゃあ、私は特待生だからね」
リーナのルファルを褒め称える声を筆頭に、周りの生徒たちも騒めきだす。
「ルファル様が神童って話、本当だったんだね」
「なんでも、お小さい頃からお父様の影響で国政に携わっていたらしいですわ」
「わたくしが聞いた噂では、普段はブラブラしているのに、此処ぞというときの進言は宰相様以上で、陛下も頼りにされているとか」
「その噂も、本当かもしれませんわね。だって、あのマリオネット様以上の成績ですもの」
誰かも知らない御令嬢の話が耳に飛び込んできた時、マリオネットはパチンと持っていた扇子を閉じた。マリオネットの前にいた噂話好きの御令嬢たちは、ビクッと肩を振るわせると怯えたようにそそくさと去ってしまった。
「あの‥‥‥マリオネット様、何処かお加減でも悪いのですか?」
取り巻きの気を遣ったような発言に、マリオネットはにっこりと笑顔で返したが、何故か怖がられてしまった。
「えぇ、そうね、私、具合が悪くなってきましたので、先に部屋へ戻らせて頂きますわ」
「なら、私たちも、ご一緒致します」
「いえ、結構です。少々ひとりになりたいのですわ」
取り巻きの了承の返事も聞かずに、マリオネットはとっとと立ち去ってしまった。それほど、今のマリオネットには余裕がないのである。
走るように校舎を駆け抜けて、やってきた場所は中庭の奥まった場所にある湖の前だ。この場所は、昔誤って落ちた御令嬢がいるとかで、滅多に人が来ない。そのため、マリオネットの憩いの場として重宝していたりする。
「何なのよ、ルファル。神童? 本気を出せばこんなもん? ふざけやがって」
目の前の湖をマリオネットは、服が濡れることも構わずに殴り続けた。
許せない、何が許せないって、あの噂が全部本当なら、ルファルは天才型ということになる。少しやれば普通以上の結果を出す、憎き天才型。人並み以上の努力を持って結果を出す、努力型のマリオネットとは正反対の人種であった。
あの涼しげな顔、忌々しい男を思い出す。
「嗚呼、もう。ほんっっっとに苛々する。しかも、一点差だなんて有り得ない!」
「誰に苛ついているのですか?」
「ルファルとかいう、クソ男に決まっているでしょう」
此処でふと、マリオネットは思い出す。先ほども言った様に、この場所は滅多に人が寄り付かないはず。そして、今はマリオネットひとりだけしか居ないはずだ。
バッと勢いよく振り返ると、そこには涼しげな顔をしたひとりの男が立っているではないか。
「なるほど、女性をそこまで苛つかせてしまうとは、私の失態ですね」
「‥‥‥ルファル様、ご機嫌よう。私は、急ぎの用事がありますので、失礼致します」
マリオネットがルファルの側を通り過ぎようとしたまさにその時、左手首を柔らかく掴まれた。
「用事がありますので、では」
「それで誤魔化せるとでも? 西門文香さん」
今度こそ、マリオネットの足は止まった。西門文香、それは前世の名前に他ならなかったからだ。この世界の登場人物であるルファルが前世の己の名前を知っているとしたら、その答えはひとつしかない。
「‥‥‥貴方、転生者ね」
「私のことを覚えていませんか? それは、悲しい。営業部の元来一と申します。こう言えば、思い出してくれますか」
その瞬間、マリオネットは走馬灯のように前世の記憶がフラッシュバックした。
元来一、前世の記憶を取り戻してから一秒たりとも忘れた事がない名前だ。
この男こそ、忌々しい天才型の男であり、前世で己をいつも負かして、営業成績一位を取り続けた男である。
「ってか貴方、何勝手に死んでるんだよ」
「おや、相変わらず理不尽な方ですね」
「理不尽な訳ないでしょう。私から一位を奪い続けていたんだから、私の許可なしで死ぬなんて有り得ない」
「そんなこと言われても、私も不慮の事故で死んでしまった訳ですし、ご容赦ください」
ルファルの困った顔を見て、マリオネットは心底腹が立った。前世の頃から、この顔が大嫌いだった。
「まぁいいわ。それより貴方、どうして私のことわかった訳?」
「リーナ嬢に絡み始めた頃から、怪しいと思うようになりました。あの野心的な瞳、自信に溢れたオーラ、嫌味ったらしい発言、全てが西門さんと重なりました」
「嫌味ったらしいは余計だわ」
「それで、学力テストで西門さん、いえ、マリオネット様よりも良い点数を取ったら、貴方がどんな顔をするか見てみようと思いつきました」
「‥‥‥私よりよっぽど嫌味ったらしいじゃない。なに? 加虐性癖でも目覚めたの?」
「いえ、いえ、滅相も無い。ちょっとした実験ですよ。でも、結果的に良かったです。貴方が西門さんと確信出来ましたから」
「それだけで何でわかんのよ」
「おや、おや、無自覚でしたか」
クスクスと笑うルファルの脛をマリオネットは、蹴り上げようとしたが華麗に避けられてしまった。
「貴方が成績表を見る目、野獣の様に獰猛ですよ。まるで、良い獲物を見つけたみたいな顔でとても楽しそうなのです。貴方は、いつも悔しいと言っていましたが、本心では、高い壁を見つけたことに喜びを感じていたのではないですか?」
「‥‥‥さぁ、どうかしらね? 貴方からそう見えたとしても、私は貴方に負けていつも死ぬほど悔しいと思っていたわ」
「現に死んでしまいましたしね」
「煩い。貴方こそ、どうして特待生の近くにいる訳? こんなこと言いたくないけど、彼女に政治的価値は無いわよ。それとも、被虐性癖に目覚めたのかしら?」
「いえ、いえ、そんなことはありません」
「ふぅん、なら、益々わからないわね。あの子のメリットなんて加虐性癖くらいでしょう」
マリオネットは、ルファルの様子を注意深く伺った。だが、そこにはニコニコと笑うばかりの男がいるだけだった。本心の見えない、見させない、この男得意の顔だった。
前世の一もといルファルは、完璧を地で行く男であった。
顔良し
中身良し
営業成績良し、
そんなルファルを周りの女たちは放っておかなかったが、ルファルには色恋の話ひとつ上がってこなかった。そんな彼をマリオネットは、心底気味が悪いと思っていた。人間味が無く、何よりその笑みの下で何を考えているのかが全く読めなかった。そんな経験は今まで無かった。相手の言動で、その相手が何を望んでいるのか大抵はわかった。マリオネットの営業経験で得た、ちょっとした取り柄である。
しかし、ルファルだけは違ったのだ。どうしたって読めない。今だって、どうしてリーナの元にいるのか全く読めなかった。
「私が前世の頃から被虐性癖に目覚めていましたから」
「はっ?」
「ですから、今世で目覚めた訳ではありません」
「わかった、もうわかったから黙って。つまり、貴方は元々被虐性癖だったと」
「そうです、そうです。ですが、私は少しだけ他の方々とは違いましてね。何と説明しましょうか‥‥‥困りました」
ルファルが困った様に首を傾げた時、背後からガサガサと音がした。二人して音のした方を見ると、そこには金色のふわふわした髪を風に靡かせた、如何にもキツそうな御令嬢が立っていた。その子はキッとマリオネットを睨みつける。
「おや、シャンデルではありませんか。こんなところでどうしましたか?」
「‥‥‥」
──シャンデル・ピリパ。
彼女は何を隠そうルファルの婚約者であり、マリオネットの取り巻きのひとりでもあった。シャンデルは、生まれつき口がきけないのか、この学園に来て誰一人声を聞いたものはいなかった。だが、彼女はその鋭い眼光で口には出さなくても相手を黙らせることはできていた。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったものである。
そんなシャンデルは、今まで一度だってマリオネットにこんな反抗的な目を向けたことがなかった。何か言いたい時は、紙に書いて意思疎通していたが、その時だって反抗的なことを書いたことは無かったのだ。
そんなシャンデルが初めて見せた反抗的な態度。それはルファルが関係していることを顕著に表していた。
「あら、シャンデルどうかしたんですの? そんな怖い顔をして、何か気に触ることでもあったのかしら?」
「‥‥‥」
「嗚呼、そうでしたわね。話せないのでしたわね。なら、紙にでも書けばよろしいでしょう?」
「‥‥‥」
「理由もなく、私にそんな目を向けて、只で済むと思っていて?」
マリオネットがニコリと微笑むと、シャンデルは先程の強気な視線は何処へやらサッと顔を青ざめさせて、お辞儀の様にしおらしく頭を下げた。
「わかれば良いんですわ」
それを聞いた瞬間、シャンデルは、ほっとした様に一息ついて今度はルファルの方へ近づきそっと手首を掴んだ。
「シャンデル、言いたい事があるなら、しっかり口で伝えなさいと、いつも言っていますよね。そうでないと、何も伝わりませんよ」
「‥‥‥うっ、ばっ」
「なんです? 何も聞こえませんけど」
「ばっ‥‥‥馬鹿野郎! この浮気クソ男! あんぽんたん! 女たらし! お前なんて、お前なんて、馬に轢かれて死んじまえっ!」
「おや、おや、酷い言われようですね」
「あっ! その‥‥‥」
暴言を浴びせられたルファルよりも、シャンデルの方が余程傷ついた顔をしていた。いや寧ろ、泣いていた。
「ちが、違くて」
「違うのですか?」
「ち、違くないもん! 一昨日きやがれ年中発情男っ!」
そう言い捨てると、シャンデルは泣きながら来た道を戻って行った。嵐の様な出来事に、マリオネットは呆然としながら一言呟いた。
「あの子、話せたのね」
「はい、シャンデルは話す事が苦手なだけで、口がきけない訳ではありません」
「そう、だったの。でも、驚いたわ。あんな」
「そう、そうです! あんな拙い罵倒、近頃の小学生でもしないでしょう!」
「貴方、何興奮してっ‥‥‥」
言葉を失うとは、まさにこの事だろう。マリオネットは久しぶりに驚いた。
ルファルが、涼しい顔をしながら鼻血を噴き出していたからである。
「しかも! あの顔見ましたか!」
「顔って、泣き顔のこと?」
「えぇ、えぇ、そうです! 罵倒することなど、本当はしたくないのにせずにはいられない。そして、最終的に自分の方が傷ついてしまう。私は、そんな彼女にひどく興奮してしまうのです」
「‥‥‥貴方、さっき他の人と違うとかなんとか、言っていたわね。もしかして、」
「えぇ、えぇ。お察しの通り、私、加虐性癖なんて微塵も持ち合わせていない方から、罪悪感を覚えつつ攻められることが大好きなんです」
「つまり、ノーマルの人から虐げられたい、と」
「流石、マリオネット様、理解が早くて助かります」
「待って、なら尚更、なんで特待生のところにいんのよ?」
「ふふっ、マリオネット様が仰った様に、リーナ嬢本人に政治的な価値はありません。が、その周りの男性はとても魅力的です」
「なるほど、確かに仲良くなって損なことはないわね」
「‥‥‥と言うのは建前で、私だって偶には攻めて頂かないと、溜まってしまいます」
心底どうでも良くなったマリオネットは、ルファルを蹴ったが、またしても避けられてしまった。
「シャンデルが罵倒してくれさえすれば、私はもうリーナ嬢の元から卒業しますよ‥‥‥シャンデルに初めて出会って、罵倒された挙句に泣かれた時、私は雷に打たれた程の衝撃を受けました。そして、決めました。この子を伴侶にしようと」
ルファルにとってそれは純粋な恋なのだろう。だが、そんなこと知ったこっちゃないマリオネットは、兎に角引いた。そりゃあ、もう、めちゃくちゃ引いている。引いて引いて引きまっくているのだ。その証拠に、一歩ルファルとの距離を開けていた。
「ですが、シャンデルは初めて会ったあの日以来、口を閉ざし、全く罵倒してくれなくなりました」
「貴方がキモいからじゃない?」
実はシャンデル、幼少の頃は普通に話せていたのだが、天邪鬼故に口を開けば、周りを傷つけることばかり言ってしまっていたのだ。そんな時、出会ったルファルに正反対の「嫌い! 何処へ行って!」という言葉を放ってしまった。それでも、変わらぬ笑顔のルファルを見て、軽蔑されたと思い込み口を閉ざしたと言う裏事情があったりする。
「ですから私は、放蕩息子として名を馳せて、シャンデルが罵倒しやすい様にお膳立てしていたのです。ですが、シャンデルが睨みつけるのはいつも相手の女性ばかり」
「ねぇ、もう帰っていい?」
「ダメです。最後まで話を聞くのは、営業職に携わったものとして当然のことですよ」
営業の話をされると弱い。
「‥‥‥それで?」
「えぇ、えぇ、それで、ふと思ったんです。シャンデルが尻込みするくらい身分が高く、態度がデカい御令嬢を相手にすれば、私が罵倒の対象となるのではないかと」
なんだかおかしな方向に向き始めた話に、マリオネットは扇子を取り出す。
「それで思いました。マリオネット様をお相手にしたら、とっても面白い展開になるのではないかと」
「もしかして貴方、こうやって二人きりになったところを態とシャンデルに見せたのね」
男はニコリと綺麗な笑顔を見せることで、肯定した。そう、この場所は滅多に人が来ない。男女の密会場所としても有名なのだ。
「ちょっと待って、そもそも今回の学力テスト、私を超えてきたのも、転生者か確認するってのは建前で、本当はこうして私と二人きりになる口実を作るためだった、なんて言わないわよね」
それにも男はにっこりと笑って答えた。
「図星なのね、この変態男!」
マリオネットは、怒りのあまり手に持っていた扇子をルファルに向かってぶん投げた。扇子は見事にルファルのおでこ辺りに突き刺さる様に今度こそ当たった。
三度目の正直というやつである。
「矢張り、貴方に罵られても微塵も興奮しませんね」
「興奮されてたまるか! この私を当て馬にするなんて、不敬罪で訴えてやりたいくらいだわ」
「とても愉快な冗談ですね」
変わらぬ笑みを浮かべるルファルを見て、マリオネットは悟った。こんな男の思考回路は読もうとするだけ無駄なのだと。
だって、この男は予想を遥かに超える変態だ。普通の思考回路では、何も読み取れないに決まっている。
「シャンデルには、ゆくゆくは鞭などを持っていただければと思っているのですが、まだまだ先行きは長いですね」
ごちゃごちゃと何か言っているが、最早どうでもいい。マリオネットは、地面に落ちた扇子を拾い上げて、自室へ戻ることにした。今度は呼び止められなかった。
「マリオネット様、ご協力ありがとうございました」
前世でも見たことのない本当に幸せそうなルファルの表情に、マリオネットは何故だか無性に腹が立った。
余談だが、それから五日間、ルファルは宰相補佐の仕事が立て込んで、学園に来られない程、忙しい毎日を過ごす羽目になった。
それがマリオネットの嫌がらせということは、ルファル以外誰も知らない。
因みにルファルがマリオネットに興奮しないのは、女性として全く見てないからだったりする。