事故はおまけ
サイレンを響かせながらサンクチュアリの庭にパトカーや救急車が止まり、ドヤドヤと人が降りて来た。僕とロビンさんは邪魔にならないように玄関の隅に小さくなる。やがて、担架を持った救急隊員と入れ替わるようにして、ホームズさんが僕らの方へやって来た。
「話は出来たのかい?」ロビンさんが人形を抱えながら聞く。
「まだ無理だ。事故のショックが酷いらしい」
そう言ってホームズさんが煙草を吸い出した時、一人の警察官が嬉しそうに笑いながら玄関に走り込んできた。
「おい、シャーロック! 三年ぶりだな!」
「レストレンジ!」ホームズさんはピタリと動きを止め、少し嬉しそうにしながら、その人に手を差し出した。
「久しぶりだな。胃の穴は……相変わらずか。安月給なのに、病院代がかさんで大変だな。だが、それもこれも、自分の能力の及ばない仕事をしているからだ。早く転職した方が良い。例えば……街頭広告人なんてどうだ。いつでも紹介するぞ。あれになれば、もう頭を使わなくて済む」
な、何だこの饒舌な悪口……! 僕は流石にギョッとした。
でも、「レストレンジ」と呼ばれたその人は、「あー……まあ……何というか、ありがとう? いや、ほんと変わらないなお前……」とただ苦笑いをして俯いただけだった。その白髪混じりの黒髪や、少しよれているワイシャツの襟が、風に吹かれて心細げに揺れている。
「だけど、俺の名前はレストレンジじゃなくてレストレードだから……」
えっ、この人があの……レストレード警部?!
僕はびっくりした。レストレード警部と言えば、そう……ひと頃は、多くの事件を快刀乱麻の早技で解決し続けていたすごい人だ! いつもいつもTVや新聞に取り上げられていたし、ファンクラブが出来たとかいう噂もあったな……全部三年ほど前の話だけど。
でも、ちょっとイメージと違うなと僕は思った。
まさかこんな、折れかかった木のような、弱々しい雰囲気の人だったなんて驚きだ。
「ところで、」と警部が言った。
「どうしてシャーロックは俺を呼んだんだ? これはただの事故だろう?」
「事故はおまけですよ」と言ったのはロビンさんだ。
ロビンさんはホームズさんの隣に並ぶと、にこやかに警部へ手を差し出した。
「初めまして、レストレード警部。お噂はかねがね」
「あ、初めまして……おまけとはどういう……?」
ロビンさんと握手をしながら、よくわからないという顔をする警部。それに共感する僕。
でも……あれ? 警部は事件をささっと解決しちゃうスーパースターじゃなかったっけ……お腹が痛いせいで頭が回らないとか?
「事故が起きる直前、僕はたまたま窓のそばにいましてね」とロビンさんは話を続ける。
「彼女を尾行する、ちょっと様子のおかしい車を見ました」
「尾行ですって!」
「そうだ」とホームズさんは頷いた。
「俺も三階から見た。銀色のバンが、彼女の車に張り付くようにして走っていた。あれはただ尾行するだけじゃない、どこかでぶつけて事故らせて、彼女を誘拐するつもりだったな」
「えええ……」僕はゾッとした。
「おいおい、マジか……」と警部が息を吐く。
「そうですね、彼女がここに突っ込んだのは、返って幸運でしたよ」ロビンさんは、居間を見返った。
「バンに乗っていた男は誰なんだろう?」警部は手帳を出しながら聞いた。
「知らん」
「じゃあ、尾行されていた理由について、見当はつくか?」
「彼女は……ヘレン・ストーナーという名だが……事故のショックで、まだ多くを話せない。だが彼女は、自宅からずっと尾行されていたと言っていた。ここ数日の間にも、すぐに家に戻ったから問題はなかったが、外出する度に同じことがあったと」
「なるほど、それを相談しに、お前の所に来たってことか。なるほど……。なあ、シャーロック。尾行……ストーカーされてるってことは、彼女が抱えているのは恋愛トラブルかな?」
警部がそう言った時、ちょうど救急隊員に支えられながら、あの女性……ヘレン・ストーナーさんが玄関を通り過ぎた。ホームズさんは、すすり泣くヘレンさんに呼ばれ、僕らを残して救急車まで走っていった。「大丈夫です、すぐに伺いますから」と慰めているのが聞こえる。
可哀想なヘレンさん……。見ていると、何だか無力感に襲われた。僕は本当に気が利かないなと思ったのだ。せめて、ヘレンさんを追いかけていた車に気がつけば良かった。ナンバーくらい、見ておけば良かったな……。
「何だい、マフィン君」不意にロビンさんが僕の肩を叩いて笑った。
「まさか僕がナンバーを見忘れると思っているのかい? 僕はそこまで間抜けじゃないよ」
僕は間抜けですみませんでした。
「車のナンバーはちゃんと控えてあるさ。その為にあの時、玄関に行ったんだから」
「そ、そうなんですか!」
「うん、僕だけじゃなく、シャーロックも知っていると思うよ。多分意味ないけどね」
「何故です?」僕と警部は同時に同じことを言っていた。
「いえ、これはただの勘ですが……」ロビンさんは救急車の方を見やって言った。
「あのバンはきっと盗難車です。あの女性を巡るトラブルは、見かけよりもずっと複雑ですよ」




