ブラコンお姉ちゃんは弟にすごいって言われたい。(3/5)
「お姉ちゃん、何してるの?」
夕食を終えた後、明日のお弁当のための下準備を始めた真希に杏奈が話しかけてきた。事前に言っておいた母親はリビングでテレビを見ていて、日葵はお風呂に入っている。
「明日のお弁当、私が作ろうと思って」
タネに混ぜる用の玉ねぎを微塵切りにしつつ、真希は答えた。トントントン、という小気味良い包丁がまな板を叩く音。その手際の良さに杏奈が関心する。
「お姉ちゃん料理得意なんだ」
「あれ、作ったことなかったっけ?」
こくんと杏奈が頷く。
杏奈達が来るまでは毎日していただけに、すっかりすでに振る舞ったものと思っていた。
「もちろん杏奈の分も作るからね」
「ほんと?楽しみ!」
そう言って花の咲くような笑顔を浮かべる妹。思わず姉の表情も綻ぶ。勝負とは言ってもお互いを蹴落とそうとしているわけではない。
(ま、盛り付けは変えるけど)
おかずなどの具材はそのままに、日葵のお弁当だけはできうる限りの愛を表現するつもりだ。
(姉の溢れんばかりの愛情をその身に刻むがいい……いや、その身に入れる?まぁいいやどっちでも。ふふふ)
「……お姉ちゃん?」
ハッとして調理に戻る。盛り付けに手をかけるのは明日の朝にやることだ。今は貴重な朝の時間をなるべく節約するべく下準備である。
微塵切りにした玉ねぎはボウルに入れてレンジでチン。挽肉に玉ねぎ、パン粉、牛乳を入れて塩胡椒で味を調える。それをよくこねた後、しっかり空気を抜きつつ食べやすい大きさに成形してラップに包んで冷蔵庫に入れておく。朝になった焼くだけだ。余計なものは入れない。シンプルだが、焼く時にはスライスチーズを乗せて焼けば見栄えもするし、グッと美味しくなる。
その調理の様子を興味深げに眺めていた杏奈は、うむむと唸る。
「……次は私がお弁当作る」
対抗心を燃やした杏奈がとてとてと母にその旨を伝えに行った。
(杏奈も料理できるのかな……でも、ちょっと大人げないけど負ける気はしないかな)
実際、真希の料理の腕はなかなかのものだ。派手さはないが、家庭的でシンプルに美味しい。友人の千佳子から言わせれば黙って男に出せば簡単に胃袋を掴めるレベル。
それが真希自身も分かっているからこそ、その得意分野で日葵にアピールしようと決めたのだ。
(これはハルのみならず、杏奈も私のこと尊敬しちゃう感じかなー。ふっふっふっ)
勝利を確信したが故の笑みを浮かべ、慣れた手付きで下ごしらえを終えた真希は明日に備えて今日は早めに寝ることを決めたのだった。
チャイムの音が鳴り響く。スピーカーから流れるその音の波を負けじと押し返す騒ぎ声。先程までの静けさなど嘘のよう。押し込められていた反動が一気に爆発し、しばらく収まることはない。
毎日のように繰り返される学び舎の一幕。その一日の中で、最も騒がしい時間が今だ。
ここは日葵と杏奈の通う中学校。時刻は十二時。つまり昼休みである。
「あー腹減った。メシメシ」
トントンと先ほどまで机に広げていた教科書類を綺麗に整理し、鞄にしまおうとしていたところの日葵の前の席にどっかと腰掛ける一人の少年。その席の本来の主はチャイムが鳴り終わるや否や購買へと走っていってしまった。弁当を持参していない生徒にとって、いかにスタートダッシュを決められるかどうかは死活問題である。
「二限が終わった時からお腹減ったって言ってたよね」
教科書を鞄の中にしまい込み、日葵が苦笑すると空いた机の上に大き目の弁当箱がドスンと置かれる。
「しかたねぇだろ。朝飯喰い損ねたんだから」
待ちきれないとばかりに弁当の包みをほどきにかかる少年。名前は相田佑真。日葵のクラスメイトにして友人である。
ツンツン髪と活発そうな目元、大きな弁当箱に比例するように体格もがっしりしている。図体が大きいというよりは、付くべきところに筋肉がしっかりついているアスリート体型。日葵と並ぶとその差がよく分かる。
その体型のイメージ通り、部活はバスケ部に所属。日葵は詳しくないが、将来有望で注目されているエースらしい。
そんな佑真と帰宅部の日葵の出会いは小学生の頃まで遡る。今でこそ他者に抱かせるイメージが正反対の二人だが、そんなことは関係ない頃からの縁がずっと続いているのだ。
「うわっ、プチトマト入ってんじゃん。嫌いだって言ってんのに」
憎々し気にその赤い球体に箸を突き立てた佑真は、うへぇっと口をへの字に曲げつつも意を決してそれを口に放り込む。苦虫を噛み潰したような顔で噛んで飲み込む。プチトマトはもう一つ入っているのでそれも同様に。残したり日葵に押し付けたりしないあたり佑真の性格が出ている。
口直しに水筒からお茶を喉に流し込み、一息。
「嫌いって言ったら、いっぱい食ったら嫌いじゃなくなるとか言うんだぜ。どんだけ食ってもまずいもんはまずいって!」
「あはは……」
なんともゴリ押しな克服法にまたしても日葵は苦笑。
毎度こんなやりとりを繰り広げる二人だが、この中学校では女子の人気を二分する人気者だったりする。
スポーツマンで男らしい佑真。女子も羨む愛らしさの日葵。当然、昼食を共にしたいと望む者も多いのだが、佑真と日葵が二人でいる時に声をかける者はほとんどいない。
その理由は佑真と日葵が一緒にいることに価値を見出す女子の一派が存在するからなのだが……それを二人が知ることはないだろう。
「あ……」
自分も弁当箱の包みを鞄から取り出し、はたと日葵は何かを思い出す。
「今日のお弁当、お姉ちゃんが作ったんだった」
「お前の姉ちゃんが?」
いつもと同じオレンジ色の包み、いつもと同じ二段式の水色の弁当箱。ただ中身を作った人が違う。
一年二年の時の弁当は毎日姉が作ってくれていた。新しい母が弁当を作ってくれるようになってまだ三カ月ほどだが、それでもどこか懐かしいと感じる。
「いいよなぁ日葵は。超美人の姉ちゃんと滅茶苦茶可愛い妹がいて」
一人っ子の佑真にとって姉妹がいることは非常に羨ましい。
「まぁ、うん……そうだね。お姉ちゃんと……妹がいてよかったと思うよ」
少しばかり気恥ずかしいが、それでも、中学三年生になった弟には姉がどれほど自分のために頑張ってくれていたかよく分かる。恥ずかしくても、いないほうがよかったなどとは決して言えない。
この場に真希がいれば悶死していただろう。
「なんだよお前シスコンかよー。でもくっそ羨ましい。ちくしょー」
ガツガツと弁当をかき込む佑真を見ていると日葵もいい加減お腹が空いてきた。
包みを解いてランチョンマット替わりにし、弁当の一段目を持ち上げたところで、ぴたり、と日葵の手が止まった。
「……どした?」
怪訝に思った佑真が日葵の弁当を覗き込む。
「――うわ」
思わず声を上げた佑真のリアクションに、近くを通りかかったクラスメイト達も視線を送り、同様の反応を示す。
弁当箱の一段目には、とても、大きな愛が込められていた。
具体的には、白米の下地に桜でんぶで大きくハートマークが描かれ、そこに海苔でこれまた大きくLOVEの文字。恐る恐る日葵が二段目の蓋も開けると、おかずもまた愛情たっぷりだった。メインのチーズが乗ったハンバーグはごくごく普通だ。だがそれ以外の隙間にハート型にカットされたカマボコだったりハート型にカットされたハムだったり、ととにかくハートが多い。
絵に描いたような愛情弁当。漫画やアニメなんかで新婚の夫が新妻に持たされるような、そんな冗談のような弁当がそこにはあった。
「……すごいな。撮っていい?」
言いつつもすでにパシャリと写真が撮られている。スマホを持ち込むのはいちおう校則違反だが、今の時代、教師もそこまで厳格に取り締まったりはしない。
その音を皮切りに女子達の間にさざ波のような衝撃が奔った。
「「瀬野君が彼女の手作り弁当を持ってきてるって!?」」
誰が最初に言ったか分からないが、そんな噂が瞬く間に女子の間に広がっていった。
そう、この愛情弁当を見てブラコンの姉が弟に向けて作った物と誰が思おうか。いくら日葵がこの中学で人気者だとしても、学校に現れることのないその姉がブラコンなどとは佑真以外には誰も知る由もないからだ。
「嘘よ……きっと何かの間違いよ……!!」
「相手は誰!?この学校ではそんな素振りは一度も……まさか他校の生徒……!?」
俄かに騒々しくなる教室の片隅で、当の日葵は呻くようにポツリと、
「うぅ……お姉ちゃん……」
「なんつーか、あれだな」
自分の弁当をおかずを米粒一つ残さずに全て平らげた佑真が羞恥で縮こまる日葵を見て思う。
「姉に好かれ過ぎるってのも、大変かもな」
しみじみと。
以後、しばらくの間、女子達は日葵の彼女が誰か、という話題で持ち切りになるのだった。