ブラコンお姉ちゃんは弟にすごいって言われたい。(1/5)
朝っぱらから妹に惨敗した姉はさぞや落ち込んで……というわけでもなかった。
ぺらり、と始業前の講義室に雑誌を捲る音が響く。
「……なに、あんた珍しいもの読んでるね」
いつものように真希の隣に腰掛けた千佳子は、友人が真剣な面持ちで読んでいる雑誌の表紙を覗き見て言った。ごくごくありふれた女性向けファッション誌であるが、ごくごくありふれたとは言い難い要素を多く備えた友人がそういうものを読んでいるのは非常に珍しい、というより千佳子は初めて見た。
「まぁあんたも何の参考もなしに服を選んでるわけじゃないよね」
「んー?だいたいお店に言って、マネキンの着てる服一式買ってるだけだよ」
がくんと千佳子はつこうとした頬杖をつきそこねる。
「それであんたよくまともなかっこになるわね……」
「あんまり合わないやつだと店員さんが止めてくれるしねー」
確かに真希ほどの美人となれば、店員もファッションに関わるものとしてアドバイスの一つや二つはしたくなるだろう。そんな美人がろくすっぽ考えもせずに服を選んでいるのならなおのこと。
真希が雑誌を捲る手を止め、むむむと唸って頁を戻す。
「どったの?」
真希の様子が気になって千佳子が雑誌を覗き込む。
そこに書かれていたのはファッションについての記事ではないコラム。
曰く、『オトコを恋に落す方法』……
「うっそ……あんたマジ……?」
友人が熱心に読んでいたコラムの内容を知るや千佳子が口元を両手で押さえて目を見開く。
「そっかそっか!とうとう残念なお姉ちゃんにも春が来たか!いやぁ、あんたの数少ない友人代表としてわたしゃ一安心だよ!」
「おう、私の友人が少ないって勝手に決めつけんなや」
「多いの?」
「……少ないけど」
美人もすぎると近づき難いと言う。中身が少々アレならなおのこと。
「で、相手は誰よ?応援するよ!」
目を輝かせて千佳子が問う。女子にとって、恋バナというものはいついかなる時であっても最大の関心事である。
一方で真希はあいかわらずの不満な表情で、
「ねぇ千佳子ー」
「ん?」
パタンと雑誌を閉じ、
「どうしてオトコじゃなくてオトウトを落す方法はどこにも載ってないの!?」
しばしの沈黙、そして千佳子はいつものように何食わぬ顔でスマホを取り出して弄り始めた。
「――まぁ、そんなとこだろうとは思ってたけどねー」
期待半分、どうせ弟オチだろ、というのが半分。
この千佳子、伊達に一年以上真希の友人をやってはいない。こういうオチは想定内である。
「いや昨日ね――」
そう言って真希が昨日杏奈と交わした勝負の話について千佳子に話した。
それを半眼で聞いていた千佳子は、
「なに、あんたそれ真に受けてんの?」
「うん」
「というかあれね、なんか聞いてるだけ胸やけしてきたわ。それもうただただ妹ちゃんもあんたと同類なんじゃないの?仲良くしなよ、ブラコン姉妹として」
「それはまぁおいおいやっていきたいけども」
真希と杏奈が仲良くするということも実際大事。
だがひとまずそれは置いておいて。
「ハルが私大好きになれば、昨日言ってた恋愛感情云々も大丈夫だし、私もとっても幸せになれる。みんなハッピー!」
「そりゃ好きになった人がシスコンになったら百年の恋も冷めるわな」
その場合、杏奈の中で日葵への評価がどん底に落ちそうでもあるが。
「ね?いい案だと思うでしょ?」
「もうあんたがそれでいいんならいいんじゃないかな」
「だからさぁ千佳子ぉ、どうやったハルがお姉ちゃん大好きになってくれると思うー?」
「知らないよ、私一人っ子だもん。というかあんたもともと弟君と仲悪いわけじゃないじゃん?それ以上ってなるとねぇ……」
喧嘩した弟と仲良くしたい、ならともかく。もともと悪くない姉弟仲をさらに深めたいというのは難しいだろう。
「とりあえず無闇なスキンシップをやめるとか……?」
「――し、死ねと……?」
絶望を浮かべてパサリと雑誌を取りこぼす残念なお姉ちゃん。
「無闇にスキンシップしてる自覚はあったわけね……ほら、猫だって気分が乗らない時に触られるの嫌がるじゃん?」
「確かにハルの愛らしさは猫のようだけども、猫よりもハルの方が可愛い」
「うん、そういう話してないよね?」
そうことではなく。
「適度なコミュニケーションが必要だってことよ。あんまりべたべたしてくるような姉に威厳なんてないじゃん。もっとこう、弟君がすごいなぁ、憧れちゃうなぁっていう感じの姉を目指すのはどうよ」
「ふむふむ……」
真希は熱心に友人の助言を聞き、そして、
「でも私、ハルに触れずに二十四時間が経過すると死ぬんだけど……」
「病気か?病気だな」
ブラコンという不治の病。
「ともかく、あんたなんか得意なことないの?」
友人に問われて真希は腕を組み、ふぅむと首を捻る。
「……料理、とか?」
思いもよらぬまともな答えに千佳子が目をぱちくりと。
「そっか!そういえばあんた一年の時はお昼のお弁当自分で作ってたもんね。いいじゃんいいじゃん」
真希の料理技術は家庭環境によって培われたものだ。
母親を亡くし、父は仕事で家を空けがち。そうなると必然的に真希が家事の大半を担うことになる。幸い経済的にはゆとりがあったため、食事は出来合いのものを購入するという手段もあったし最初はそうしていた。だが、ずっとそれでは、あまりにも日葵が不憫だと真希は思ったのだ。
日葵に温もりの通ったご飯を食べさせてあげたかった。そういう意味では、日葵のために身に着けた技術といってもいいかもしれない。
「でもちょっと前までは毎日料理してたんだよ?今更それをアピールしたって……」
杏奈らと同居するようになってからは家事は新しい母の仕事になった。当然料理も。だがそれまでは真希の仕事だったわけで、日葵にとって真新しいものではない。
「最近はしてなかったんでしょ?だからこそ改めて、あぁやっぱお姉ちゃんってすごいなぁって思ってもらえるように料理するわけ」
「なるほど……」
そうと決まれば善は急げ。
大学の授業が終わりしだい、さっそく真希は準備にとりかかることにした。