ブラコンお姉ちゃんは妹とちゃんとお話ししたい。(2/3)
「杏奈~ちょっといい?」
千佳子に相談した日の夜、さっそく真希は行動を開始した。
夕飯を食べ終えた後のどこか弛緩した空気の中、杏奈はリビングでソファに身体を委ねてぽけーっとバラエティー番組の映るテレビ画面を眺めていた。今はその隣に日葵の姿はない。現在お風呂タイムである。特に話し合って決めたわけではないが、瀬野家の一番風呂は日葵が使うというルールなのだ。
「ん~?」
声をかけられた事で背もたれ越しに杏奈が振り向いた。日葵といる時は常にニコニコしている彼女だが、今はその笑顔はなりを潜め、身体だけでなく表情筋も脱力している。
初めの頃は、真希もその落差に驚いたものだ。杏奈はオンとオフのスイッチの切り替えが明白なのである。
「あー、いや、ちょっとお話したいな~って……」
我ながらもっと自然にはできないものかとは思いつつも、もう声をかけてしまった以上突き進むほかない。ポンポンの杏奈の頭を撫でつつ、その隣に腰掛ける。母親はキッチンで洗い物、日葵は入浴中、二人だけで話ができるとすればこのタイミングか、寝る前に部屋を訪ねるかぐらいしかない。
ソファに腰掛けて杏奈が見ていたバラエティー番組に視線を向ける。
「ごめんね、テレビ見てたよね」
「ううん、暇だったから点けてただけ」
そう言ってニコッと微笑む。隣に並ぶと杏奈の身体の小ささがよく分かる。真希が女性にしては高身長というのもあるが、その愛らしい容姿と相まって本当に人形のようだ。体格的な面では真希よりも日葵と兄妹らしいと言える。
真希の高身長とルックスはどちらかといえば父親似だ。一方で日葵は亡き母親似。遺伝というものはかくも不思議なものである。
隣に座ったはいいものの、さてどうしたものかと真希が考えあぐねていると杏奈がはてと首を傾げる。その動作一つが可愛らしい。
「どうしたの?」
「えーと……そろそろ三カ月ぐらい経つよね。どうかなぁって……」
「どうって?」
「なんか、こう、悩んでることとかない……?」
いざ話を訊こうと思ってもどうにも遠まわしに訊かざるをえないのがもどかしい。
ただ、杏奈の方はその言い淀む様子を心配してくれているととったのか、最初よりも幾分か柔らかな微笑みを浮かべた。
「――大丈夫だよ。お父さんとはまだそんなに話せてないけど、お兄ちゃんも、もちろんお姉ちゃんも優しいし」
(う……)
その優しい微笑みと言葉に思わず手が伸びる。
「お姉ちゃん?」
(はっ……つい……)
思わずまた杏奈の頭を撫でていたことに気付く。日葵以外で不意に撫でたくなる衝動に駆られるとは真希自身思わなかった。
それだけ真希にとって妹という存在が身近になったということなのかもしれない。であればなおのこと、この関係が壊れてほしくはない。
愛おしいからこそ、はっきりとしておかなくては。
「ハル……お兄ちゃんのことどう思ってる?」
一瞬、キョトンとした杏奈。
しばしの沈黙の後、杏奈は……。
「お兄ちゃんは……可愛いよねっ!」
「――そぉなんだよぉ!」
思わず身を乗り出して同意する残念なお姉ちゃん。
「なんで男の子なのにあんなに睫毛長いの?肌もすっごい綺麗だし、羨ましい~!」
「分かるぅ!お手入れしている感じもないのにねー!」
「あとやっぱり、ちょっと抜けてるところがある性格がまた可愛いっていうか……思わずお世話してあげたくなっちゃうっていうか……」
「うんうん。ハルの可愛さの一番は外見以上にその性格なんだよね。何かにつけて反応が可愛いんだ、うん」
うんうんと何度も頷く姉。
この場に日葵がいればいったいどんな表情をしていただろうか。
そして詳しい事情を知らない第三者がこの様子を見ていれば皆一様《¥みないちよう》に同じことを思っただろう。血は争えないな、と。
「それで……そのお兄ちゃんがどうしたの?」
ハッとして真希が我に還る。
「はっ!なんというその、ハルと杏奈、最近仲いいなぁって……」
「そうかな?そうだったらいいんだけど……」
そう言う妹の顔に他意は見受けられず。
(やっぱ考え過ぎだよ、うん。ハルが可愛い過ぎるから杏奈だって一緒にいたいだけだよね!)
変に心配していたことが姉は少し馬鹿らしくなった。
そうとも。我が弟にして杏奈の兄、日葵は可愛い。姉であろうが妹であろうが愛でずにはいられないのだ。
ただ、目下最大の懸念が杞憂だったとしても。真希と日葵の時間が減っているという現状をどうするかという問題の解決には至っていない。
「それでね杏奈、ハルは可愛い。だからできればお姉ちゃんにも……」
と、もう一つの本題に真希が入ろうとした矢先、
「お風呂上がったよ」
タオルを首からかけたパジャマ姿の日葵がリビングに戻ってきた。
濡れた髪、火照った頬、萌え袖気味のギンガムチェックのパジャマ……残念なお姉ちゃんが何も感じ入らないはずもなく。
「ハルうぅぅー!こっち来て!髪乾かしてあげるっ!」
異様に俊敏な動きでソファから立ち上がった真希が、背もたれの後ろに回り込んで自分の座っていた場所をパンパンと叩く。
「いいよぅ、髪ぐらい自分で乾かせるよー。それより、次どっちがお風呂入るの?」
問われて同時に目を合わせる姉と妹。じゃあ、と妹のほうが名乗りを挙げた。
「先に入ってくるね」
とてとてと着替えを取りにいった杏奈を後目に、真希もそそくさとドライヤーの用意をする。
いいよと断ったにも関わらず姉が世話を焼きたがるのはいつものこと。仕方なく苦笑とも不満ともつかない表情で日葵はソファに腰掛けた。
「ふふふふふ……」
ただ髪を乾かすだけだというのに、ドライヤーを右手に、左手は謎にわきわきさせてほくそ笑む姉。
抵抗など無意味だと言う事を弟はよく知っている。
結局その日はそれで満足してしまい、もう杏奈と話をすることはなかった。