ブラコンお姉ちゃんは妹とちゃんとお話ししたい。(1/3)
「……うわ」
床に直接固定されたデスクが等間隔で大学の講義室。その片隅。
せっかくの美人を台無しにしてデスクにつっぷす残念なお姉ちゃんに呆れた視線を向ける人物がいた。
長い髪をわさぁと広げてピクリとも動かないその様は水死体か亡霊かといった不気味さだが、その人物は気にせず備え付けの椅子を降ろして隣に腰掛ける。座ると同時、デニムパンツに包まれたスラリと伸びた脚を組む。最初こそ突っ伏す真希に驚いたものの、座ってからは何食わぬ顔で鞄から講義に必要な筆記用具を準備したりする。
「――千佳子ぉぉぉ……」
水底から響くような呼びかけに、千佳子と呼ばれた人物は一瞬ちらりと視線を向けたが、すぐに視線を手元のスマホへと戻した。
真希とは対照的なショートヘア。シャツとデニムが爽やかな真希の友人だ。
「千佳子おぉぉ……」
また響いてきた呼びかけ。仕方なく千佳子はスマホをデスクに置き、おもむろに鞄から市販のミントタブレットを取り出すとそれを自分の手の平に。
そしてその手を声のする方へ。
「ほぉら、お食べ。スッキリするよ」
もぞもぞと髪が動き、ようやく真希の顔が露わになった。
動物に餌をやるかのようなその構図に真希は口を尖らせる。
「……千佳子のやつ辛いからヤダ」
「甘いの食べたって目、覚めないでしょ」
拒否されたタブレットをひょいっと口に運ぶ。タブレットを噛み砕く小気味良い音が、講師を待つ学生達が時間を潰している講義室に響く。
「別に眠いわけじゃないもん」
その言葉を証明するように、ようやく真希がデスクから上半身を起こす。
「あんたねぇ。見てくれはいいんだからちょっとは気を使いなさいよ」
呆れて頬杖をつく友人に促されて、ぼさぼさになった髪を真希は手櫛で直していく。
最後にファサァッと髪を靡かせると講義室にいる何人かの視線が意図せずに吸い寄せられた。隣にいる千佳子も容姿は整っているほうではあるが、やはり真希には及ばない。その艶やかな黒髪を翻すだけで異性のみならず同性の視線も惹いてしまうのだから。
「まったく……黙ってジッとしてれば男にもモテるのに……」
千佳子がそう漏らしてしまうのも無理はあるまい。何せこれだけの美貌がありながらこの友人ときたら……。
「別に興味ないし」
これである。
それがクールを装っているだけなら分からなくもないが、真希の場合、本当に心底そうであるから性質が悪い。
「それで、どうしたの朝から」
「よくぞ聞いてくれた友よ」
「あんたが聞いて欲しそうにしてたからでしょうが」
真希達は現在大学二回生。そして二人の交友は一回生の時からである。学科が同じということもあって、一年間なんだかんだよく行動を共にしてきた。
学科が同じということ以外これといって共通点もない二人だが、不思議と一緒にいることにお互い居心地の良さを感じている。
「最近弟成分が足りない」
「ふーん」
そっけなく返事をして千佳子はスマホを手に取ろうとする。
その手が空を切った。
千佳子の手元にあったスマホを素早く奪い取った真希は指でトントンとその液晶を突きつつ、
「事は私の命に関わるのだよ……」
ようはスマホを見ずに真剣に聴け、ということらしい。
その意図を理解しつつも千佳子は自分のスマホをがしっと掴む。
「だったら自分のスマホで弟さんの写真でも眺めてればいいじゃない。家族なんだしいっぱい撮ってるでしょ」
奪い返したスマホをそのまま鞄の中へ。
なんだかんだちゃんと話を聞こうとするあたりに千佳子の人の良さがある。
「そりゃ写真はいっぱいあるけど……」
一瞬自分のスマホを取り出して眺めようとした真希だが、画面を点灯する前にそれをそっとデスクに置き、
「やっぱりナマじゃないと……こう、愛が感じられない」
「お前朝から何言ってんだぶん殴るぞ」
真希ほどの美人がそんなすれすれなことを口走るのである。近くにいた他の学生はギョッとして自身の耳を疑った。
もっとも、千佳子としても本当に真に受けたわけではない。
「あんたねぇ……ブラコンもいい加減にしなさいよ。あんまり気持ち悪いと弟君にも嫌われちゃうよ」
「気持ち悪いって……もっとオブラートに包んで」
「私、オブラートって食べた記憶ないなぁ……」
「お菓子とかにも使われてるよ?」
「へぇ」
しばし、沈黙。
「私はオブラートの話がしたいのではない!」
「でしょうね」
あっけらかんとした様子の千佳子に真希はうむむと唸る。
「私だってハルに嫌われたくないからスキンシップはハルのコンディションを鑑みて適度にを心がけてるよ!心がけてるだけだけど!」
「弟君も大変ね……」
心底会ったことのない真希の弟に同情する千佳子である。
「私は本当にあんたが実の弟に手を出すんじゃないかちょっと心配だよ」
「む、失敬な!この海よりも深い愛情と性欲なんて下賤な欲求を一緒にしないでもらいたい!」
「だといいけど」
千佳子としても友人がそんな倒錯した姉弟愛者にはなってほしくはない。
もっとも、今の段階でも相当なものではあるが。
「それで、今までは大丈夫だったのにどうしてそんなしょげてたのさ」
話を戻し、千佳子が真希が項垂れていた理由について問う。
問いつつ、あぁとその原因に思い至り、
「って、あれかな。やたらベタベタしてくるお姉ちゃんに弟君もとうとう嫌気が差しちゃったんだ。中学生だもんね。そりゃお姉ちゃんお姉ちゃんって歳でもないでしょ」
「うぐ……まぁ、確かにくっつくのを恥ずかしがるようにはなってきたけど……」
いくら家族とはいえお年頃はお年頃。過度なスキンシップを恥ずかしがるのは当然と言える。
だが、真希と日葵の接触が減っているのはそれが大きな原因というわけではなく。
何やらまだ含みがあるような様子の真希に千佳子は、
「何、他になんか理由あんの?」
複雑な表情の真希に千佳子が怪訝な視線を向ける。
「……私、妹がいるんだけど……」
一瞬、きょとんとした千佳子だったが、少しするとあぁと思い至る。
「お父さん、再婚したんだっけ。再婚相手の連れ子だったよね、確か。うん……その妹ちゃんがどうしたの?」
千佳子が姿勢を正した。家庭環境の話、普段のおちゃらけた雑談ではなく真剣な相談事だと理解して意識を改めたのだ。
千佳子がこういう性格であるから、真希は彼女に相談しようと思った。
「最近……ハルと妹が、すごく仲が良くて……」
一瞬の沈黙。その後、千佳子の肩ががくんと落ちた。
「――真剣に聞こうとして損した……。何、あんた妬いてんの?妹に?はあぁ~……やっぱあんたは残念なお姉ちゃんだよ」
呆れた様子の千佳子が頬杖をついて脱力した。
「良い事じゃない。あんたお姉ちゃんなんだから我慢しなさいよ」
「そうなんだけど……そうなんだけどさぁ……」
ぐにゃぐにゃと真希が溶けるようにデスクに沈み込んでいく。
「なんか……仲良すぎるような気がするんだよねぇ……むぎゅ」
尖らせた真希の唇を千佳子がつまんだ。
「どの口が言ってんだ?」
「ふぉのふち」
「仲良すぎるのは今までのあんたと弟君でしょ?普通、姉弟ってそんなに仲良くないって。ロクに会話もしないような姉弟のほうが多いと思うよ?」
千佳子の指から解放された唇がへの字に曲がる。
「そんなことになったら私死んじゃう……」
しくしく。
「想像して泣くなブラコン」
しかしふと千佳子は疑問に思う。
「でも……そんなあんたからして仲良すぎるように見えるって……ちょっと気になるわね」
千佳子に目線で促され、真希は記憶を手繰る。
「家にいる時はいつもべったりだし、何かあるごとにお兄ちゃんお兄ちゃんって……」
「それお前もじゃね?」
「そうだけど……」
逆に言えば、かなりのブラコンである真希と同レベルの愛情表現であるということ。
「でもまぁ、そう聞くと思うところがないわけでもないわね」
友人の言葉に真希が耳を傾ける。
「ちょっとシャレにならない話になっちゃうけど、普通さ、連れ子が女の子だったら仲良くなるのは弟君じゃなくて姉のあんただと思うのよ。やっぱ歳が離れてても、同性ってだけで安心できるじゃない?いくら家族になったからって、ほぼ同い年の異性とそんなにべったりっていうのはおかしいよ」
むくりと身体を起こした真希が無言で頷く。
「あんまこんなこと言いたくはないけどさ……妹ちゃん、好きなんじゃないの?異性として、弟君のことが」
「……やっぱりそう思っちゃうよね……」
「まぁ仕方ないとは思うけどねー。あんたの弟なら、弟君もけっこう顔いいだろうし。それで同じ屋根の下でしょ?駄目だって分かってればなおさら……好きになっちゃうって」
よくないと分かっていればこそ、惹かれてしまうのが人間の性。
「弟君の方にしてもさ。一歳下の義理の妹って、けっこうクるんじゃない?エロゲーとかじゃ定番じゃん」
「ハルはエロゲーなんてしないッッッ!!」
ベッドの下にエッチな雑誌を隠しているということもない(姉調べ)。
「エロゲーはともかく中学生でエロに興味なかったらそれはそれで問題だゾ」
日葵の趣向はともかく。
べったりな杏奈に日葵が抵抗しないのもまた事実。
「ともかく、家族愛か恋愛感情か、かなり怪しいって話よ」
「……うん」
しょぼくれて真希は浮いていた腰を降ろす。
「ねぇ千佳子ぉ……私どうすればいいと思う……?」
「どうもこうも……見守るしかないんじゃないの?どうしようもないって」
さらっと千佳子は言う。
「あ、ちなみに弟君、義理の妹とは結婚できるんだよ。知ってた?」
「そうなの!?」
法律的には問題はない。
問題はないが……。
「駄目……駄目駄目!そんなの駄目だよ!」
問題ないとしても、今の家族の形は間違いなく崩れる。
真希の父親と、杏奈の母親が望んだ普通の家族という形が崩れてしまう。
それに何より、
「そんなことになったらハルが私に構ってくれなくなっちゃう……!!」
「お前……ほんと残念なお姉ちゃんだな……」
「千佳子おぉぉ!わだぢどうずればいいのおぉぉ!?」
半べそをかきながら千佳子の肩を掴んで揺する真希。
「やめろ揺するなうるさい。そろそろ講義始まるよ」
講義の時間が近づくにつれ人も増えてきた。
真希から解放された千佳子は乱れた衣服を整えつつ、
「構ってくれなくなる云々はともかく、あんまり好ましいことじゃないのは事実よね」
そうこうしている内に教授が講義室に入ってきた。
ざわざわとしていた講義室内がそれを機に少しずつ静かになり、相乗効果で皆が声のトーンを落として話題に区切りをつけようとする。
「とりあえず、一度ちゃんと妹ちゃんと話してみたら?思い過ごしかもしれないし」
チャイムが鳴り、教授の挨拶と共に講義が始まる。
結局散々喚いたわりにロクに相談できなかったが、続きの相談をしようにも今日一日はどうにも真希と千佳子の予定が合わなかった。
(杏奈と話す、かぁ)
思えば同居を始めて三カ月。日葵と杏奈はずいぶん親しくなったように思うが、真希と杏奈はどうかというとそこまで頻繁にコミュニケーションをとっているようには思えなかった。
仲良くないというわけではないし、真希は杏奈のことを本当の家族、妹だと思っている。だが、いかんせんまだ三カ月。日葵のお姉ちゃんとしてはベテランの真希も、杏奈のお姉ちゃんとしてはまだまだぺーぺーもいいところだ。まだまだ杏奈が何を考えているか分からないことも多いし、そのせいで無意識に真希が遠慮していたりすることもあるだろう。
ここは一つ、積極的に会話して彼女の本音を聞き出すのがよいのかもしれない。
(私と杏奈が仲良くなれば、意外と全部解決したり?)
なんてことを真希は思った。そうすればこんなことを気に病むこともなくなるだろう。本人に全て聞けばいいのだから。
白紙のルーズリーフに視線を落しつつ、教授の声が耳から耳へ抜けていく。この講義中、真希はずっと杏奈にどうやって話を切り出そうかと考えていた。
9/14 文章微改訂。