ブラコンお姉ちゃんは妹から弟を取り戻したい!(2/2)
「本当に仲がいいわねぇ」
そう声をかけつつ、コトリと目の前に湯気を立てるハムエッグが乗った皿が置かれる。次はレタスの緑とトマトの赤が鮮やかなサラダ。
チンッという甲高い音が聴こえると、最後に焼き立てのトーストが並べられた。どれもそれほど手間のかかる料理ではない。だが、ご飯よりもパン派の真希達に合わせた完璧な朝食だ。
「ありがと、お母さん」
朝食の用意をしてくれた女性に、日葵は花が咲いたような笑顔を向けた。
その笑顔に穏やかな微笑みを返した女性は、
「お弁当の用意が残ってるから先に食べちゃってね」
そしてパタパタとキッチンに舞い戻る。家事をするものにとって、朝の時間はいつだって忙しない。
それは少し前までその役目を担っていた真希にもよく分かる。すぐに朝食には手をつけず、真希は自分に変わってこの家の家事を担うことになった女性を見やった。
その人はキッチンでせっせと三人分のお弁当を用意してくれている。父より三歳若い四十一歳。あまり大声を出すところが想像できない、落ち着いた雰囲気の綺麗な人。
父が新たなパートナーに選んだ人。真希と日葵の新しい母親。
父から再婚を考えていると聞かされた時、真希も日葵も素直に父の決断を受け入れた。
驚きはした。だが、再婚が亡き母への裏切りとは思わない。なぜなら、母が亡くなった時、誰よりも悲嘆に暮れたのは父であることを真希は知っていたから。その父が共に生きていけると思える人を見つけたのならば、祝福こそすれ非難など真希にはできない。
何度か家族全員で顔合わせの会食を経た後、同居を始めたのが三カ月ほど前。それがちょうど四月。真希達の新学期に合わせた形になる。
日葵がなんとなしにダイニングから廊下のほうへと視線を送った。湯気を立てる朝食は魅力的だが、まだ箸はつけない。
なぜなら、まだ全員揃っていないのだから。
ほどなくドアが開き、今、この家にいる最後の一人が姿を現した。
「おはよっ!」
元気いっぱいの挨拶に、されたほうも思わず笑顔になる。
真希と日葵が挨拶を返す中、とてとてと彼女は食卓に駆け寄り椅子に座る。場所は日葵の隣。そこが彼女の指定席。母にもそれが分かっているので食事も初めからそこに配膳されていた。
「ごめんね。いつも待たせちゃって……」
そう申訳なさそうに言う彼女に日葵はほとんど待ってないよと頭を振る。
「髪結ぶの時間かかっちゃって……私もお姉ちゃんみたいなストレートにしようかな……」
こちらに視線が向いたので真希は、
「いいじゃない。三つ編み。似合ってるし可愛いと思うよ」
「そう?お姉ちゃんがそう言ってくれるなら……」
彼女はくりくりと自身のお下げを指で回したあと、にっこりと微笑んだ。
(可愛い)
素直な感想を真希は胸に抱いた。
潤みがちな大きな瞳、対し小さくまとまった顔の各パーツ。身体つきも小柄な日葵よりももう一回り小さく、お下げ髪と相まってまるでお人形さんのよう。動作一つとっても小動物のような愛くるしさがあり、気を抜けば真希でなくともその頭に手を乗せて撫でてあげたくなってしまう。
彼女こそが真希と日葵の父……なんてことは当然なく。
彼女の名前は瀬野杏奈。真希と日葵の、妹である。
父の再婚相手に連れ子がいることを知った時は、再婚を告げられた時に以上に驚いたのを真希は覚えている。父が再婚を決めただけでも驚きであるのに、それに加えて再婚相手も一度パートナーと離別した身であるとは。
ただ母親の方はパートナーと死別したわけではなく離婚らしい。詳しい原因は真希も知らない。知る必要もないだろう。
「「「いただきます」」」
三人揃ったところでようやく朝食に手を付ける。なお、父は今は家にいない。
動物カメラマンである父は家にいるよりも世界各地を飛び回り動物と向き合っている時間のほうが長いのだ。今頃はライオンの寝顔でも撮っているに違いない。
母の死に際して、父は家を空けがちなその仕事を辞めようとした。だがそれは真希がさせなかった。家事を自分から率先してこなし、なるべく父の負担を減らそうとした。真希は知っていたのだ。父の撮ってくる動物の様々な表情を見ることが母は好きだったことを。そしてその血を継いだ日葵も同じく大好きなことを。
新しい母も父のその仕事には理解を示している。生き物の見せる様々な表情について語る父が好きなのだとも。そうでなければ再婚など考えまい。
真希はまだ温かいトーストにバターを塗って噛り付く。トーストの温もりに乳白色の塊は抵抗をなくし染み込んでいく。サクッとした歯触りと塩気を楽しんでいる最中、
「!!」
ふと真希が何かに気付く。その突然舞い降りたチャンスにテーブルの上を見回すが……、
「あ、お兄ちゃん、ちょっとこっち向いて!」
真希よりも早く、真希が探していたもの……ティッシュを一枚手に取った杏奈は日葵をこちらに向かせた。
「んぅ?」
キョトンとした日葵の頬には、その手に持っているトーストに塗られている苺ジャムがちょこんとくっついていた。
バターではなく苺ジャムを選択するそのチョイスが可愛いと思うし、なんでほっぺにジャムが付いたこと気付かないんだってゆうかそのジャム付いた顔できょとんってするの滅茶苦茶可愛い!と真希が悶絶する中、手に持ったティッシュで杏奈が兄の頬についたジャムを拭き取ってしまう。
「ジャム付いてたよ!そのまま学校に行ったら皆に笑われちゃうよ」
「あはは……ありがと」
ジャムを拭きとったティッシュを片手に仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑。拭き取ってもらった日葵も恥ずかしそうに笑う。
苦笑、という体をとってはいるが第三者から見ればありありと分かる。そんな少し抜けた兄の面倒を見るのが楽しくて仕方ないといった顔だ。
その妹がチラリと姉に視線を送る。
「……ふふ」
「くッ……!」
兄に気付かれないように口角を上げた妹と、その様子に歯噛みする姉。
(あらかじめ事態を想定してティッシュを手元に寄せていたか……!一歩先んじられた……!)
姉妹の間で交わされる静かな攻防。だがその攻防の中心にいる日葵は何か感じいる様子もなく朝食に戻ってしまう。
姉と妹が自身を取り合って日々小競り合いを繰り返しているなど露ほども知らずに。
(そもそもこの正面の席は咄嗟にハルにスキンシップを計るには不向き……ハルを眺めていてもそんなに不自然じゃないという利点を差し引いてもこれは……)
今後のことも考えてポジショニングについて真希が思案していると、
「お兄ちゃんパン一枚でいいの?もっと食べないと大きくなれないよ!」
そう言って杏奈がごく自然に隣の来春の腕に触れる。
「腕周りもこんなに細いし……女の子みたい」
「うーん……朝からそんなに食べられないよぉ」
多少は気にしているのか、自身の腕をさする日葵。元々の体格が小柄だというのもあるし、特にスポーツ等をしているわけでもないので筋肉質でもない。そのうえ、病的とまではいかないまでも白く透き通った肌。陽ざしを避けているような素振りはないのにどうしてそんな綺麗な肌になるのかと、女性ならば興味を引かれずにはいられない。
むにむにと来春の二の腕あたりを揉みつつ、杏奈はチラリと視線を真希の方へ。
「……ふふ」
「うぬぅ……!」
羨ましさに思わず唸った真希に、さしもの日葵を目をぱちくり。
「お姉ちゃん?」
「ふぇ!?え、あ、いや、ちょっとトマトの種が歯の隙間にね……!」
ごまかすために適当な言い訳を言ったが、言った後で入れ歯かよと自分にツッコミを入れる。
が、問題はそんなことではない。
(地の利をとられている……!!)
そう、勝負が始まる前から真希は不利な状況に立たされていたのだ――!
(完敗だ……)
朝の時間は短い。あまりのんびりしていては真希は大学、日葵と杏奈は中学に遅れてしまう。なのでこれ以上の勝負は諦めて真希は敗北を認めた。
もっとも、細かなルールも明確な勝利条件すらも存在しない勝負といっていいものかすら怪しいやりとりだ。
それが真希と杏奈の、日葵争奪戦。
事の発端を知るには数日前の朝に遡る必要がある――
9/15 文章微改訂。