ブラコンお姉ちゃんは妹のことが分からない。(1/3)
いよいよ真希の通う大学も夏休み期間に突入した。
路面を炙る陽の光は容赦なく気温を上昇させるが、授業から解放された学生達と薄暗い土の中から這い出た蝉達が夏を満喫することの妨げにはならない。とはいえ、あまり交友関係の広くない真希である。特に出かける用事があるわけでもなく、家事に精を出すか、短期のバイトを探すかが毎年の二択であり今年もそうなりそうだ。
だが最初の数日は解放感のままぐうたらするだけも悪くない。家に日葵がいればなおのこと。日葵が抵抗しなければ一日中愛でていても飽きないこの姉である。
――しかし、
「お兄ちゃん、一緒にテレビ見よっ!」
「お兄ちゃんどこ行くの?私も一緒に行くっ!」
「夏休みの宿題?私も隣でやるっ!」
お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……
「……………」
今までの五割増しで聴こえてくるお兄ちゃんと日葵を呼ぶ声。いつにもまして一緒にいる二人。
「えへへー、お兄ちゃんっ」
用があろうとなかろうと、家にいれば常に側に。日葵が外に出るなら可能な限り付いていく。
「ハ……」
「お兄ちゃんっ」
ハルーと呼びかけようとして同時に伸ばした手が空を掻く。
「どうしたの?」
「読んでみただけー」
ニコニコと。満面の笑みでそう答える妹に兄は曖昧な笑みを返した。さしもの日葵もたじたじと言った風である。
行き場を失った手をだらんと下げて、真希はソファの背もたれに顎を乗せた。
まったく付け入る隙がない。ここ最近、日葵を視界に入れると必ずと言っていいほど一緒に杏奈も視界に入る。真希の日葵への溺愛も大概ではあるのだが、その真希からしても過剰に思える愛情表現。
(羨ましい……)
自分も姉としての体裁だとかいろんなものを投げ捨てればあれぐらい弟を愛でられるのだろうか。
(いやそうじゃなく)
頭を振って考えを改める。
(やっぱ誕生日のこと気にしてるのかなぁ……)
ぴとりと日葵に寄り添って、ダイニングテーブルで夏休みの宿題をしている杏奈。その笑顔に翳りはないが、内に秘めたる想いまでは読み取れない。
杏奈がこれほどまであからさまに日葵にべったりになったのは誕生日の翌日からだ。であればあの出来事が何らかの引き金になったのは確かだろう。
だがいったいなぜ?
誕生日をちゃんと祝ってもらえなかったからと不満に思うような日葵ではない。そんなことは日葵を知る者には火を見るより明らかだ。第一、即席とはいえ杏奈はちゃんと誕生日プレゼントを渡し、それは日葵を喜ばせるのに十分足りうるものだった。それは杏奈も分かっているはずだ。
(分からぬ……)
唇を尖らせてムスーッと真希は半眼で二人を眺めた。
もちろん杏奈の変化も気になるところではあるが、それ以上に今まで以上に杏奈が日葵と一緒にいるせいで真希が日葵を愛でる時間がほとんどなくなってしまったというのが問題だった。
そして夕食時。
「お兄ちゃんっ!あ~ん!」
「ぐふっ」
突然杏奈がフォークで刺したウィンナーを隣の日葵の口元に持って行ったので思わず真希は咳き込んでしまった。
(あ~んて!)
いくらブラコンの真希とてあ~んはそうそうできるものではない。料理中に日葵に試食してもらう時とか、日葵が風邪をひいた時とか、そういった理由づけをちゃんとしないとおいそれとできるものではないのだ。逆に言えば、チャンスがあったらすると言い換えることもできるが。
「え、ええ?い、いいよ自分で食べるよぉ」
不意打ちのあ~んに日葵も驚いて目をぱちくり。次に苦笑しつつやんわりと断った。流石の日葵もこうも一日中べったりだと疲労の色が見てとれる。相手が気の置けない家族だろうが、誰かと一緒にいる時は常に相手を気遣う優しい日葵の性格が裏目に出た。人間誰しも一人の時間が必要である。
「こら杏奈。仲がいいのはいいけど、夕飯ぐらい落ち着いて食べなさい!」
流石に母親にそう言われては杏奈も引き下がるしかなく、不満ながらもウィンナーを自分の口へと運んだ。
「杏奈、さ」
意を決して姉は口を開いた。
「最近ちょっと、変だよ……?どうしたの……?」
「変……?どこが?」
本当に分からないと首を傾げる。
「どこがっていうと、ちょっと難しいけど……とにかく大丈夫?無理とかしてない?」
「うーん?お姉ちゃんが何を言いたいのかよく分かんないけど、私はいつも通りだよ?無理なんかしていないよー」
ひらひらと手を振って姉の心配は杞憂だという。
「そう……」
杏奈がそう言うなら、真希としてはもうそれ以上言及はできない。
本当に、杏奈の日葵のへの愛情が溢れた結果がこの状態だというのなら問題は……問題はあるが……ともかくまだいい。だがそうではなく、何か意味があって無理をして日葵に好かれようとしているのだとしたら、そんなことは必要ないよと言ってあげたかった。
無理などしなくとも日葵は杏奈のこと家族として大切に思っている。それは姉の真希が保証する。今のままでは、寧ろ逆効果だ。
べったりの杏奈に日葵は苦笑を浮かべているが、その苦笑の中に疲労が混じりつつある。今までの杏奈ならそんなことすぐに気づいたはずだ。
今の杏奈に、それが見えているのだろうか。
そして、決定的な出来事が起こった。
夕食を終え、しばし。相変わらず妹にくっつかれた状態でリビングでくつろいでいた日葵に母親から声がかかる。
「お風呂できたから入っちゃってー」
同じくリビングのソファでくつろいでいた真希には日葵が少し安堵したのが見て取れた。日葵にとっては待ち望んでいた一人の時間だ。理由なしに離れてとは日葵の性格では言いづらい。
「じゃあ僕入ってくるね」
ようやく訪れたくつろげる時間。そう思って日葵が立ち上がった矢先だった。
「――私も一緒に入ろうかな!」
「うええぇ!?」
思わず真希は咳き込んだが、それ以上に弟のそんな声を姉は初めて耳にした。
「さ、流石にそれは……」
しどろもどろになりつつも、日葵が助けを求めるように真希を見た。
「そ、そうだよ!二人とももう中学生なんだし!私が中学生の時は……ハルとお風呂入ってたけど……」
「お姉ちゃん!?」
とは言っても、真希が中学生だった時ということは日葵は小学生だ。流石にそれと今の状況を同じとするには無理がある。片方が小学生であるのと双方中学生では大きな問題がある。いや、前者とて人によっては問題があると捉えるかもしれないが。
ともかく、どれほど仲の良い兄妹でも普通はしないことであることは事実だ。
「お姉ちゃんはよくて私は駄目なの……?」
「いやだってそれは……僕はその時小学生だったし……」
ずいっと迫る杏奈に日葵が一歩引く。
何か、何かおかしい。
「ちょっと杏奈!ほんと、どうしたの!?」
自分の失言を取り戻すためにも真希が間に割って入った。
「ハルの誕生日の時からちょっと変だよ……?誕生日知らなかったのは当然だし、教えてなかった私が悪かったというか……ハルだってなんにも気にしてないし……」
日葵が頷いて見せる。
だが、問題はそういう部分にはなかったのだと、当時の二人には分からなかった。
「ねぇ……お姉ちゃん。夕飯の時にも言ってたけど、変って何が?どこか変なの……?教えて?」
「それ、は……」
真希は言葉に詰まった。
普通の兄妹ならそんなにべったりしない?それを自分が言っていいものなのか?真希は羨ましいとさえ思っているのに。
自分はいいのに杏奈は駄目。それでは道理が通らない。
答えに窮してしまった真希ではなく、杏奈の問いかけが日葵に向く。
「ねぇお兄ちゃん。何が変なの……?」
「それは……」
姉と同じように弟は言い淀んだ。言葉を探した。
その言葉を探している時間に真希が適切な言葉を先に発するべきだった。
「もっと、普通の兄妹みたいに……」
悪気があったわけではない。悪気などあろうはずがない。
だがそれは、その言葉は、彼女の努力を全て否定する言葉だったのだ。
「――――」
小さく息を飲み、杏奈が身体を引いた。
日葵が失言だったと気付いた時にはもう遅い。
「……普通って、何?」
俯いた杏奈が小さく呟いた。
「普通の兄妹って、何?」
一人っ子だった杏奈には、分かるはずのないもの。
「私分かんないよッ!!」
そう叫んで駆けだした杏奈を、姉も弟も止めることができなかった。
階段を駆け上がる音、そして乱暴に閉まる扉の音。その距離と閉まった扉は、彼女と姉弟の隔たりを示していた。
「ちょっとなぁに?どうしたの?」
入れ違いに何事かと母がやってきた。杏奈とよく似た顔だちに困惑の色が浮かんでいる。
「杏奈の大きな声が聴こえたけど……あの娘が大きな声を出すなんて珍しいわね。何かあった?喧嘩、とか……」
不安げに母は尋ねた。
子供たちが折り合いをつけられるかどうかは、母にとっても大きな懸念事項だった。自分達の都合で彼女らの生活を大きく変えてしまった。そういう負い目が母にはある。
「喧嘩……喧嘩、なのかな……」
杏奈を傷つけてしまった。そのことは日葵にも分かった。
だが、あれ以外にどう言えばよかったのだろう?何が駄目だったのだろう?それが日葵には分からない。
「お姉ちゃん……僕は、どうすればいいのかな……」
困惑と不安、そして後悔がない交ぜになった表情で日葵が真希を呼んだ。
日葵が真希に助けを求めるのは、本当にどうすればいいか分からない時だけだ。母を亡くした時、日葵の母替わりになろうとした真希と同じように、日葵もまた強くあろうとした。歳相応よりも大人であろうとした。
その日葵が、歳相応に姉に助けを求めていた。
「――ッ」
その声に応えられないことが悔しくて真希は歯噛みした。こんな時自分がしっかりしなければならないのに。
だが真希にも分からなかったのだ。
真希にとっても、杏奈は初めてできた妹なのだから。
なんとか仲を取り持たなくては。だが、どうすれば……。
満ち満ちた沈黙に誰もが言葉を失った中、間が抜けるようなチャイムの音が響いた。
「――こんな時間に、誰かしら」
母がパタパタと玄関に駆けていく。玄関で何やら話し声が聴こえた後、足音が戻ってきた。ただし一人分ではなく二人分。
そして未だ黙したままの真希と日葵を、聞き慣れた優しい声色が包み込んだ。
「すまん。遅くなった。急いだんだが、日葵の誕生日には少し間に合わなかったな」
長い脚。だが痩せ型というわけではなく、健康的で贅肉の少ない体型。
真希によく似た目元、だが全体的な顔つきは日葵に似ている。当然だ、何せ血が繋がっているのだから。
「お父さん……」
父、その突然の帰還に真希と日葵は顔を見合わせた。




