ブラコンお姉ちゃんは妹と協力したい。(4/4)
カーテンの隙間から西日が差し込み始めていた。傾いた陽ざしに目を細めた小和がぐっと伸びをすると、それに気付いた日葵も顔を上げた。窓の奥にある夕焼け、壁にかかった時計と順に目をやった日葵は今日の勉強会の終了を宣言した。
「そろそろ暗くなってくるし、今日はこれぐらいにしておこうか」
言いつつ日葵もずっと同じ体勢で凝り固まった身体を解す。
(本当にずっと勉強しちゃうんだもんなぁ……)
予想していたとはいえ、意中の相手の真面目っぷりに小和は気付かれないように小さく溜息を吐いた。予想と希望は違う。もう少し何かあってもよかったのでは、というのが本音である。
ほんの些細なことでよかったのだ。例えば、勉強を教えてもらう時に距離が近くてドキッとするとか。何となく無言に耐えづらくなって雑談に花が咲くとか。そういう、少しだけ二人の距離が近くなるような些細な出来事を期待していた。
まったくそういったことがなかったわけではない。ただ、日葵が小和を女の子として意識していたかと問われれば首を傾げざるをえない。
女子と二人きりの空間に緊張している素振りは一切なかったし、ノートを覗き込んだ時に距離が近くなってもまるで動揺している様子がなかった。
(やっぱ恋愛とか興味ないのかなぁ。単純に私が眼中にないだけなのかなぁ……)
そう思うと、小和を溜息を吐かざるをえなかったのだ。
もっとも、日葵が恋愛に興味があるかどうかはともかく。女子と距離が近くなることについては日葵の耐性は同年代の男子を遥かに凌ぐ。それもこれも、日頃姉と妹による過剰なスキンシップの成果(?)なのであるが、それを小和を含め学校の女子が知ることはない。
多少手が触れた程度では日葵の心の水面に波紋を立てることさえできないのだ。
(それに……そもそも途中からそういう雰囲気にできなくなったし……)
テーブルの上のノートを立ててトントンと揃えた小和は、ノート越しにそういう雰囲気にできなくなった要因にジトッとした視線を向けた。
同じようにノートを整理していた彼女は、小和の無言の抗議を理解したのかしていないのか、ニコッと笑って首を傾げて見せた。
杏奈である。
(確信犯だ……)
一時間ほど前に、再び日葵のドアがノックされたかと思うとそこには妹の杏奈がいた。
杏奈は自分も一緒に勉強したいと兄に頼んだ。一人でするより誰かと勉強したほうが捗るのだと。その気持ちは小和にもよく分かった。特に家で一人で勉強している時など、不意にスマホを手に取ったばかりに勉強が滞るなどよくあることだ。
小和にそれを断ることはできなかった。
だが三人で勉強を始めて少しすると、杏奈の本当の目的が勉強以外にあることが小和には分かった。
警戒されている。
小和の行動や発言に杏奈が気を配っている。そしてぴったりと兄に寄り添って、時に兄の意識を自分に向けて小和を兄に意識させないようにしている。当の日葵は妹のそんな意図などまるで理解していないだろう。女子同士の牽制は男子には見えないのだ。
つまり杏奈は、兄と小和がいい雰囲気にならないように妨害しにきた。そういうことなのだろう。
(妹ちゃんには意識されてるってことかな……)
大事な兄に虫がつかないように。
「今日はお疲れ様。やっぱり一人でやるより誰かと勉強したほうが捗るね」
その兄は屈託のない笑顔でそんなことを言うのだから、小和の想いが成就するまでの道のりは長く、険しい。
「佑真がいたら途中で飽きて遊んでたかもしれないし、もしかしたら二人だけになってかえってよかったのかもね」
「――確かにそうかも」
実際小和も日葵の友達である佑真にはやんちゃな印象がある。彼が何時間も座って勉強している様子はあまり想像できない。
「あ!そ、それじゃあ……!」
小和が思い切って最後の一勝負に出る。
「日葵君!今度また二人で勉強を――」
「お兄ちゃん!今日はありがとう!おかげで勉強しっかりできたよ!お友達の人も!」
小和の言葉を遮って声を張り上げた杏奈に、日葵は少し驚いて目をぱちくりさせながら頷いた。
お友達の部分が特に強調された言い方に小和はぐむむと唸る。
だが、すぐに口元を緩めた。
「――そうだね。日葵君。今日は勉強教えてくれてありがとう。おかげでテストは大丈夫そう」
乙女にとって恋愛は何よりも優先すべき関心事。だが、勉強が大切なのも事実だ。とりわけ三年生の小和たちにはなおさら。その点今日はすこぶる有意義な試験対策ができた。
「僕の方こそ。英語ちょっと不安だったから、新田さんが教えてくれて助かったよ」
そう言って日葵が微笑んでくれる。それだけで今日はとても良い日だったと言える。
微笑みを交わす二人。期せずしていい雰囲気になってしまい、今度は杏奈がぐむむと唸った。
「それじゃあんまり長居しても悪いし」
片づけも済んだので小和が立ち上がる。日葵と杏奈もそれに続いた。
玄関まで降りてきて小和が靴を履くと、なぜか日葵も同じように靴を履いた。
「日葵君……?」
怪訝に思った小和が尋ねると、
「家まで送るよ」
「ええ!?いいよいいよ、そこそこ距離あるし!」
突然の申し出に思わず小和は断った。そこまで治安が悪いでもなし、嬉しいがそこまでしてもらうのは気が引ける。
だが、日葵はトントンと爪先で玄関の床を鳴らして外へ行く体勢を整えた。
「じゃあ途中まで。僕が送りたいんだ。いいでしょ?」
そう当然のように言う。
そんな言い方をされたら、断れない。
(……全然気のある素振りはしてくれないのに、こういうことしちゃうんだもんなぁ……ずるいなぁ日葵君は)
小和の頬が赤いのは、開いたドアの隙間から差す西日が移ったからだけではあるまい。
「わ、私も……!」
慌てて杏奈も同行しようとするが、
「杏奈は待ってて。じゃ、ちょっと行ってくるね」
ガチャリと締まるドア。玄関には、杏奈だけが残された。
「……………」
少しの間無言で立ちすくむ杏奈。その背後から階段を降りる足音が響く。
「――ハルってさぁ、あの子のこと好きなのかなぁ……どう思う?」
姉が妹の見解を問う。
「……分かんない。お兄ちゃんって、学校じゃどんな女の子にもあんな感じだし」
ふぅむと真希は腕を組む。
日葵は優しい。そんなことは百も承知。ただ日葵の場合、本当に誰にでも優しい。思春期の少年にありがちな異性に接するのが照れくさい、優しくするのが気恥ずかしいといった感覚がない。だからこそ、異性に優しく接していたとして、それが好意からのものなのかそうでないのか分からない。
(……ハルってばけっこうたらしなのでは……)
羞恥なく優しくしてくれるだけで、同年代の女子からすれば大人びて見えるだろう。そのうえあの整った容姿だ。
(むしろ惚れないほうがおかしいんだよなぁ)
姉は心中で断言した。
もっとも、容姿が整い過ぎているが故に女子に同性と見られている節も日葵にはあるのだが。
「ともかく、だ」
一つ頷いて真希は杏奈に向き直った。
「杏奈、今日はありがとう。私一人じゃ、穏便に邪魔することはできなかったかもしれない」
穏便に邪魔をするという奇妙な言葉の連なりはともかく。
過度に勉強を妨害せずに、かといって二人っきりにさせない。それを自然に達成するのは難しい。その点、杏奈が一緒に勉強をしてくると申し出てくれたのは最適解だった。真希がそれをやるのはさすがに無理がある。
杏奈がいてくれたからできたのだ。
「――兄妹なら、これが当然なんだよね……?」
「もちろん!ハルに余計な虫がつかないよう、私たちがしっかり目を光らせてないとね!」
よくできた妹だと、真希はその自分の胸あたりにある頭を撫でた。
日葵と共に過ごす時間を奪い合う相手ではあるが、決して敵ではない。もちろん嫌いでもない。ことさら同じ目的の上で共同戦線を張った今となっては、かつてないほどの絆を真希は感じていた。
――だから、気づかなかった。
「……そうだよね!お兄ちゃんは誰にも渡さないから!」
その戦友の不適な笑顔に、同じく不適な笑顔を返しつつ。姉と妹はハイタッチを交わした。
弟を守るという目的以上に、姉妹の仲が深まった一日だった。




