ブラコンお姉ちゃんは妹から弟を取り戻したい!(1/2)
私の弟は可愛いなぁ……。
と、瀬野真希はその二十年の生涯で何度目かまるで分からないほどに繰り返した感想を脳裏に抱いた。たまに脳裏に抱くだけに留まらずポロリと口から零れてしまうこともあるのだが、今回は我慢できたようだ。
何がどう、と聞かれるとまずは何と言っても外見である。
真希の弟、名前は日葵。真希はハルと呼んでいる。今年で十五歳の中学三年生。身長はどちらかというと小柄な方。姉の知る限り特別なことはしていないはずだが、白く、きめ細やかな肌。常に触っていたいし、永遠に頬摺りできると真希は思っている。
そしてその顔立ちは身体つきに合わせるように実年齢よりも幼く、かつ美形であった。クリッとした目に女子も羨むような長い睫毛、桜の花びらのように色づいた唇にちょこんと乗っかった小鼻と部分部分の作りが丁寧だ。
整った顔立ちはえてして中性的になりがちだが、日葵の場合、そこに幼さも加わって服装を変えればメイクなしでも完成度の高い女装ができそうだ。歳をとるにつれそれがどうなっていくのか、真希には期待半分、心配半分といったところ。
その整ったな顔立ちは血に依るところが大きい。何せ姉の真希も対外的に見ればかなりの美人である。
ただしそのベクトルはかなり異なる。童顔で可愛らしいという本人にとってはコンプレックスになりかねない日葵とは違って、姉の真希は大人っぽく綺麗な、という同性が羨む容姿なのだ。すらりと伸びた脚にくびれた腰、出るところは出た曲線美。流れるような黒髪は腰まで伸び、切れ長の両眼は鋭くも美しい。まるで弟と違うようだが整っているという点では同じであり、横に並べれば細かな部分が似ていることに気付けるだろう。二人は確かに血の繋がった姉弟なのだ。
「……うふふ」
その美貌が崩れる。だらしなく両眼と口の端が緩んで内から湧き上がる幸福感が気の抜けるような笑い声となって口から漏れる。
大人っぽく綺麗な容姿、ただし、口を開かなければという前置詞が付属する。
「お姉ちゃん?」
下から投げかけられた声にハッとして姉は我に還る。若干名残惜しくは思いつつも、そそくさとやりかけだった作業に戻る。
「はい!うんうん可愛くなった!」
「可愛くじゃなくてかっこよくの方がいいんだけど……」
そう言って口を尖らせる日葵があまりにも可愛すぎて、一瞬、抱きしめてもみくちゃにしてやりたい衝動に駆られた真希だがなんとか抑える。そんなことをすればせっかく今櫛で梳いて寝癖を直していた日葵の髪がまたぐちゃぐちゃになってしまう。
「ハルはどんな格好しても可愛いよぅ!」
抱きしめる代わりに手櫛で日葵の毛先を整える。
「だから可愛くじゃなくて……むぅ……」
文句を言おうと口を開いた日葵だったが、姉のこういう態度はいつものこと。こそばゆそうに目を細めて口を閉じる。
その様子がまた可愛く、真希の口から変な声が漏れそうになったが(ちょっとだけ漏れた)心の中に留める。日葵はある程度真希の行動に理解を示してくれてはいるが、あまりにも奇行を繰り返して弟に嫌われるのは姉としても避けたい。
いつまでも髪を梳いているわけにもいかないので、最後に寝癖の直った弟の頭をぽんぽんと撫でて真希は、日葵とテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰かけた。
「うふふ……」
テーブルに両肘を立てて両手に顎を乗せる。
登校前の朝の時間に日葵の髪を梳いてあげる時間が、真希にとって至福の時間であった。このために真希は毎日早起きして日葵を起こしにいく。あどけない天使の寝顔も拝めて早起きは三文どころか数万円の価値がある。この役目だけは生涯誰にも渡したくはない。
なお弟の独り立ちについては考えないようにしている。
――ちょうど十年ほど前になるか、真希と日葵の母が病で亡くなったのは。
日葵にとっては五才の頃、もうあまり記憶には残っていないかもしれない。真希の悲しみも風化してしまっていたが、思い出と温もりだけはいつまでも胸に残り続けている。
その母親から真希はまだ幼かった日葵を託されたのだ。思えば、真希の日葵に対する溺愛もその頃から始まった。
守っていくべき存在であり、誰よりも愛しい存在。
もっとも、過去の出来事から芽生えた偏愛感情だと同情されるのは真希の望むところではない。過去の別れがあろうとなかろうと、日葵は真希にとって大事な家族であるし、こんなにも可愛いのだから愛でて当然の存在なのである。
(このちょっと照れて目を逸らすのがまた……)
朝から溺愛全開の姉の視線を素直に受け止められないお年頃。恥ずかし気に目線を動かす様がますます姉の情感を刺激する。
(あ、涎が……)
危うく零れかけた残念な雫を手の甲で拭う。美人ではあるが、弟のこととなるとどうもこの姉は外見ではカバーできないほどの残念さを隠し切れない。
いわゆるブラザーコンプレックス、略してブラコン。それも極度の。
例え何人であろうとも、この至福の時間は邪魔させない。
――そう思っていた。
9/14 文章微改訂。