第七話「Let's Go 乱取り!」
新たな社での初日、悪羅丸は今までの習慣通り、朝も明ける前に起床し、布団を畳んで、境内にある井戸で顔を洗った。
するとそこへ昨日紹介された巫女見習いの八雲が姿を見せる。
「まあ。朝も早うから感心じゃ」
そう呟く彼女に軽く会釈した悪羅丸は、ササッと側に寄り早速訊ねる。
「春日様にお訊ね致したきことが御座りまする」
以前、大森宮司から、女人の名を軽々しく口にするは無礼であると教えられていた少年は、彼女を上の名で呼んだ。
しかしどうした訳か、恭しく頭を下げ訊ねる悪羅丸に、八雲は酷く不満そうに漏らした。
「こりゃ悪羅丸。昨日、宮司様は我主にこの妾を実の姉と思召せと斯様申された。なれば遠慮は無用ぞ。妾のことは八雲姉様と呼ぶが良い」
驚いた悪羅丸は目を丸くする。今までは彼を見るなり皆恐れ、汚いものを見るように睨みつけていたからだ。距離感が掴めない相手に、悪羅丸はどう対処して良いか判らないでいた。
それを察したのか八雲は優しく告げる。
「妾はこれより我主を、『我殿』と呼ぶが良いな?」
我殿とは我主よりも相手に親しみを込めた言い方である。
今まで同年代からは汝と呼ばれ続けていた為、何やらわどのという響きが新鮮でならず、何処かむず痒かった。しかし、目の前で八雲がジッと不安そうに見つめるので、悪羅丸は気恥ずかしさもあったが口にした。
「さ、然れば八雲姉さま……」
その言葉に八雲は嬉しそうに微笑んだ。この神社には八雲よりも年下は居ない。初めて弟分が出来た少女は満足そうに頷き、ニコニコと笑みを浮かべ話を続ける。
「うむうむ。良い響きじゃ! して、我殿は如何なることをお訊ねなるや?」
「昨日、八雲姉さまはこの春日荘の御領主様の姫御前と斯様仰せられました。其はまことに御座りまするか?」
「まことじゃ。妾の実家である春日家はこの三富郷を領しておる故、三富春日家と呼ばれております。家は我が父が領民を治め、兄・三富次郎が次期当主で在らせらるる。妾の姉上は皆、他家へ嫁ぎ立派に役目を果たし、そして妾も仕来りに倣い、巫女としてこの神社にて修行の日々を送っておるのじゃ!」
可愛らしくドヤっと誇らしげに胸を張り、家族を自慢するように話す八雲。
それを見た悪羅丸は、何とも確りした人だなと感心した。
実際に八雲は確り者であった。幼少期から親元を離れ、寂しさを押し殺し、家の伝統を守るために懸命に使命を全うしようとしている。
そんな彼女に悪羅丸は続けて訊いた。
「然らば、重ねてお訊ね致します。武家とは、武士とは何者に御座りましょうや? 俺はこれまで、以前いた飯綱荘の御社より出でたことがありませんでした。故に世間に疎いのです」
「ほう、左様か。以前、我殿が御座した御社では何と聞いたのです?」
「知り合いの僧侶が申すには、武士とは殺しを好む野蛮な者共と。…たしか蛮東武者と聞き及びました」
途端、八雲は不機嫌そうに眉間に皺をよせ、悪羅丸を叱った。
「こりゃ、悪羅丸! 蛮東武者とは東武者を謗る御言葉じゃ! 我殿も東男なれば斯かる暴言決して口にするでないぞ!」
「も、申し訳御座りませぬ!」
「はぁ――。よいか悪羅丸。武家とは真誇り高く、気高き存在じゃ。悪態や謗るなど以ての外。必ずや報いを受けまするぞ?」
「報いとは如何様な?」
少年の純粋な問いに、八雲は毅然と答えた。
「無論。斯かる慮外者は、問答無用で斬り候う。武士は家名と名誉を傷付ける者を決して許しはせん。必ずや相手を手打ちに致す」
言い過ぎに聞こえるが、これは冗談では無い。この時代の人間は、武士だけではなく、庶民までもが皆、己の面子を大事にする。そして、相手をバカにしたり、恥を掻かせるなどすればそれだけで十分、殺人の大義名分が成立するとんでもない時代だ。決してナメられるなかれ。これが大和人の常識である。
「付かぬことを伺うが悪羅丸や。何故、我殿は以前御座した御社を出で給うた?」
余り褒められた内容では無いが、悪羅丸は答えることにした。別に隠すほどでもなく、それで自身を恐れ避けるのであればそれでよい、と彼は思ったからだ。
「御社の御神木に止まりし梟を射殺しまして御座りまする」
「ほう! 梟ということは暗闇の中を射たと斯様申されるのじゃな? されば我殿は弓の腕が御達者と?」
以外にもこの話題に食いついた八雲に、悪羅丸は些か驚く。こんな話題、御社の中では普通タブーである。しかし、この幼い巫女見習いは武士の家系である為か、武勇優れる者に興味を持った。
「是は是は、何とも面白い小坊主が妾の弟分と成ったものよ!」
楽しそうに笑い声を八雲は上げた。
「然らば悪羅丸や。武人に成ろうと欲する我殿の腕を、妾に見せ候え」
「ぞ、存じていたので?」
「あれほど大声で叫べば、誰であろうと聞こえまする」
悪羅丸は照れくさそうに笑う。そして八雲の誘いに潔く頷いた。
嬉しい気持ちであった。初めて共通の話題が出来た同志の存在に、悪羅丸はスッカリと打ち解けていた。
「邪払いより舞戻られし砌、再び妾に御声掛け候え。妾とて武人の娘じゃ。多少の心得は存じておる故、稽古をつけてしんぜようぞ」
その言葉に悪羅丸はかぶりを振る。
「あいや、それには及ばず。俺は一人で鍛錬致しまする」
「如何?」
問い返されたので、悪羅丸はいつもやっているように的を狙い射ると答えたが、八雲は少し苦笑した。
「それだけでは意味があるまい。そうじゃの。後日、蔵の裏手に参り候え。妾が狩りに連れて行ってしんぜようぞ?」
「はっ!?」
悪羅丸は驚き、思わず自身の耳を疑った。試しに「今何と?」と聞い返すと、なおも返事は同じであったので改めて驚いた。神社の巫女見習いが、戦の備えのため武芸の稽古もすることは、前の神社にいる時に知っていたが、まさか狩りをするとは思ってもみなかったからだ。
「良いな、御忘れ無きようにの? もし万一、我殿が失念せし砌は、妾に恥を掻かせたと左様思召しあれ」
大人しそうな見た目とは裏腹に、迫力ある凄みを利かせる八雲に、悪羅丸は内心たじろいだ。
「ハッ! 必ず御声掛け致しまする!」
その後、悪羅丸は八雲に案内され、蔵に保管されている武具を装備した。
彼はすでに身体も大きかったので、腹巻を装備しても何の違和感も無い。頭を裏頭で包み、腰に古い太刀を佩き、憧れていた僧兵の姿になった彼は気分が高揚する。天甕槌様の御加護がある翡翠の勾玉の首飾りを光らせ、片手に弓を持ち、早速、拝殿へ馳せ参じた。
* * *
「おお。悪羅丸。我主を待っておったのじゃ」
拝殿には既に片倉宮司が同じように武装し、胡坐を掻いていた。そして他にも数十名の僧兵が物々しい雰囲気で、拝殿に現れた悪羅丸を見やりギロリと睨んだ。
皆が殺気立つ異様な雰囲気に、悪羅丸は一瞬気圧されそうになったが堪えた。彼は腹に力を入れ叫ぶ。
「悪羅丸、御召しにより参上仕り候う!」
最初が肝心とばかりに大声上げる。彼は宮司に軽く紹介され末席に加わり、皆と一緒に祝詞を唱え、神々に祈りを奉じた。
次に用意してあった湯漬けと漬物を急いで食らう。そして行先を告げられることも無く、外へ向おうとするので、気になった彼はそっと片倉宮司に訊ねた。
「宮司様。斯様物々しい格好で行う邪払いとは、まこと御珍しい神事に御座りまするな?」
その言葉に宮司はカカっと笑う。
「よいか悪羅丸。わしたちが行う邪払いとは、ただの神事に非ず。是より春日荘を超えし先にある、邪教の惣村を神の名のもとに成敗致す」
「――――はっ!?」
思わず聞き返した。何をこの宮司が言ったのか理解するのに時間がかかった。
それを察したのか、宮司は重ねて告げる。
「じゃからよ、是より邪教の奴原共を討ち果たし、村に溜め込む金に米を頂戴するのじゃ。かの村は以前から我らと宗旨を異にしておった故、斯かる罰当たりに使われるくらいならば、我らがその金と米を貰い受けるのじゃ。同じく春日荘の各郷村からも合力が参る手筈となっておる。遅れるでないぞ? 信徒共ぉ――! 一攫千金じゃ! 励め――ッ!!!」
片倉宮司の一喝に、多くのが薙刀を天に掲げると同時に叫ぶ。
オオぉ―――――ッ!!!
大勢の僧兵の眼が欲望と歓喜の色に染まり、彼らの履く高下駄が軽快なリズムを刻みながら下山していく。
悪羅丸、最初の乱取り体験の始まりである――。