第六話「春日の出会い」
大和国の国教・神門道は多神教だ。その中でも最上にして最高神と崇められ、人々に深く信仰されているのが大照天神如来である。
そして、多くの東国武士たちの信仰心を集めているのが、賀嶋桓門宗の御影任宮尊。通称・御影様と呼ばれている。
この神は神門道の一柱であり、東国を守護する武神として崇められている。そして、御影様は武をもって死者の御魂に巣くう邪気を払い、天上界に君臨する最高神・大照天神如来の下へ誘う。不徳者は輪廻の輪へ戻され、徳を積んだ者は天界へ昇天すると信じられている。
更に特筆すべき点があるとすれば、この神は武勇を重んじる武士の需要によって誕生した神であるということだろう。御影様の神具は宝剣。
武士は皆、如何なる状況下においても戦えるよう武芸百般の修練を欠かさず行う。その中でも特に重要視されているのが剣術だ。
切先に魂が宿ると考えている武士は、刀と精神性を結び付けている。いくら残虐な武士であっても所詮は人間である。何人も殺せば精神がおかしくなり、終いには病んでしまうか狂ってしまう。そこで武士は刀と精神を融合させた剣術を生み出したのだ。剣術とはただの殺人術ではなく、何人殺しても動じない、より優れた精神力を養い鍛えるメンタルトレーニングも兼ねているのだ。
そしてそんな刀に注目した宗教勢力が、新たな信徒獲得のために作りだしたのが御影様だ。
この神はまさに武士にとって理想の神である。宝剣を手にし、悪を討ち邪を払い、最後には魂を救済する。この神の性質は武士たちに殺戮を大っぴらに行える大義名分を与えた他、殺人の後ろめたさから心を救ってくれる存在なのだ。
まあ、一種のアイドルとなり、すっかり定着した神様であると思し召されよ。
後世、『極東見聞録』を執筆するエルフ族の宣教師・エメルダは、彼ら大和人の宗教観についてこう記す。
――大和に住む者は皆、人であろうと多種族であろうと神と先祖を崇拝する、信心深い民族である。
――神門道が国教であるが、そこから複数の宗教が派生している。また地方へ下向すると土着信仰もあり、それらと習合しては新たな神が誕生するなど、考え方も自由な気風がある。
――我々と違い死んだら主の御座す天国へ召されるのではなく、輪廻転生という生まれ変わりを信じている者が殆どである。
――また普段から残忍で、戦を好み殺生を行う武士は、戦が終わると死者の為に祈る。慈悲の心と信仰を大事にしているが、その相反する二面性に我々は困惑した。
【――足城郡・春日荘・三富郷――】
賀嶋桓門宗の末社へ移った悪羅丸は、この神社の宮司に面会していた。
先ず彼は礼儀良く挨拶し、なるべく目を合さないように努めた。自身の両目が気味悪がられているのを、彼は誰よりも知っているからだ。
「我主が大森宮司様の仰せられた悪羅丸なる悪童か? 面を上げ目を見せよ。我主が祟り憑きであることはこの文にて判っておる。今更、気を使う必要無し」
意外な宮司の対応に悪羅丸は些か驚いた。もっと邪険に扱われるのかと思っていたからだ。言われた通り恐る恐る顔を上げた。
宮司は見た所、大森宮司よりも若かった。坊主頭だからか、この宮司の頭が尖っているのが目立つ。
(まるでドングリのようじゃ)
――と悪羅丸は思ったのが、それ以上に頬や手の甲に細かい刀傷に目がいく。恐らく、この方も武士と何度か戦ったことがあるのだろう――と悪羅丸は見当をつけた。
そして別段、悪羅丸を恐れているような雰囲気ではない。むしろ好奇心があるのかじっと悪羅丸の両目を見つめていた。
じっと両目を見つめられるのに慣れていないこの童は、思わず先に目を背け俯いた。
すると宮司は笑みを浮かべる。
「かか! 御神木の梟を射殺したというが、まだほんの童ではないか! 悪羅丸と申したな? わしは大森宮司様の教えを受けた元弟子の一人でな。名は片倉稔侍じゃ」
言うと宮司はすっと立ち上がり、悪羅丸に付いて来るよう言うと、ササッと部屋から出た。
悪羅丸は急いで後に従う。その途中、彼は少しこの新しい神社を観察した。
以前いた飯綱荘の神社よりも境内は狭い。御社の本殿も、来る途中くぐった鳥居もボロい。しかし、外側から一見すれば廃れているように見えるこの神社だが、中で勤める神人たちは何故かギラギラとした目をしていた。どこか物々しい雰囲気であることを彼は察した。
途中、片倉宮司が訊ねる。
「悪羅丸。我主、何者に成りたいと欲す?」
「無論、武人に!」
大声が響く。面白い返事が返って来たのか、宮司は増々笑みを浮かべる。彼は顎を撫でながら続けた。
「ときに我主、年はいくつじゃ?」
「十一に御座います」
「うむ。ではあやつに任せようかの」
言うと宮司は境内の掃除をしている一人の少女に声を掛けた。
「八雲。是へ……」
「…………」
八雲と呼ばれた少女が側に寄り跪くと、宮司は悪羅丸を紹介した。
「八雲や。是なるは悪羅丸。以前まで飯綱荘にて神門道の御社に御座し、修行していた小坊主じゃ。訳あって今はこの賀嶋桓門宗に帰依致し、御影様を崇め奉る信徒じゃ」
悪羅丸は八雲に恭しく挨拶する。ごく普通の巫女見習いに見える。垂れ目で小顔、綺麗な黒髪を尼削ぎした大人しそうな少女だ。以前いた神社でも巫女見習いは多くいた。しかし、自身の両目が原因で、誰も近付こうとはしなかったが。
「悪羅丸。是なる巫女見習いは八雲。我主より年は一つ上じゃ。是よりはこの八雲を姉と思い、何事も相談するが良いじゃろう。八雲や。悪羅丸めにこの社の仕来りを教えよ。弟と思い、親身にしてやるが良いぞ」
「はい。宮司様」
確りと責任感のある声で返答した八雲は、悪羅丸に視線を移す。
「妾はこの三富郷の領主・春日太郎三郎時信が三女、春日八雲と申す」
八雲という少女はこの春日荘の豪族の娘である。春日家は熱心な賀嶋桓門宗徒であり、土地の寄進と、親族を代々神社の神人として出家させるなどして宗教勢力と繋がりを持つ。そして彼女、春日八雲もまさに春日家の伝統に倣い、巫女と成るべく社に出家させられた少女である。
「よいか、悪羅丸。早朝、蔵にある武具を着付け、拝殿に参れ。『邪払い』に参る」
「邪払いとは如何なる神事に御座りましょうや?」
邪払いという単語も神事も聞いた事が無い。自身が以前いた神社には無かった。
気になった悪羅丸が訊ねると、宮司は不敵な笑みを浮かべる。
「其は明日、教えてつかわす。八雲、御許は邪払いに参る前に、こやつに蔵にある武具を与えてやれ」
「承りまして御座りまする」
片倉宮司はそれだけ言うとその場を後にした。
残った二人は互いに見やった。そして最初に八雲が口を開いた。
「我主。悪羅丸と申したな? その両目が赤いのは生れ付きか?」
「ハッ! 実にも。是は生まれついてのものにて、俺は祟り憑きと呼ばれておりまする」
「左様ですか。邪払いは早うからの出発じゃ。仔細は妾の口からは申せぬよって、明日、宮司様からお聞き給れ。では、部屋へ案内致す。今日は早うお休みあれ」
悪羅丸に対し、どこか恐れた様子もなく八雲は淡々と告げた。どうやら見た目よりも堂々とした少女のようであり、彼女は大の大人ですら気味悪がるこの小坊主の面相を、真正面からじっくりと値踏みするように観察し眺めた。余りの気不味さに悪羅丸が目を逸らしたのは言うまでもない――。