第五話「立志」
有無を言わさず、弁明の余地なく。悪羅丸は呆然としながら部屋へ戻った。彼は部屋の中央で力無く腰を下ろすと項垂れる。
廊下から慌ただしい足音が何度も響くのが聞こえた。急いで梟を弔う準備を進めているのであろう。今更ながら、自身がとんでもないことをしてしまったのだと気付き、申し訳ない気持ちになる。それと同時に悔しくて堪らなかった。
――何故、祟り憑きというだけで誰も俺を信じてくれんのだッ!?
昨日までは例え両目が赤かろうとも気にはしなかった。しかし、今朝の仕打ちは流石に応えた。
(矢張り俺が祟り憑き故か……)
少年は悲しく、そして虚しさが心を占めた。
ふと懐に手を入れ、普段から肌身離さず持ち歩いてる数珠を取り出した。
(何故、母様は俺を産んだのじゃ……? 何故、俺は生を受けた――?)
片手に握る数珠を見つめながら自問自答を繰り返した。しかし、いくら問いかけようと、答えなど返ってこない。次第に彼には猛烈な怒りが込み上げて来た。
何故、俺だけ斯様理不尽な仕打ちを受けねばならんのだ!?
望んで祟り憑きとして生まれたのでは無い!
赤目が左様悍ましいか!?
手にする数珠を勢いよく床に叩きつけてやろうと思い、寸での所で思い止まった。この数珠は母が名前と共に残してくれた形見の様な物である。これを乱暴に扱えば、それこそ神罰が下るだろう。
自分以外誰もいない静かな部屋で、彼は虚しく時を過ごした。宮司の呼び出しが来るまでの間、永遠の時が流れているように感じた。
しばらくすると部屋に僧侶が一人、襖をスッと開いて付いて来るよう告げる。どうやら大森宮司様は梟の弔いの前に、悪羅丸に話があるらしい。
悪羅丸は大人しくとぼとぼと重い足取りで後に続いた。
僧侶とは決して目を合せなかった。再びあの恐ろしい者を見るような目付きで、睨まれたくないからだ。彼は人の視線に敏感になっていた。
途中まで案内されると、後は一人で宮司の部屋へ行くよう言われる。
悪羅丸は今まで以上に緊張した面持ちで、宮司の待つ部屋へと向かった。
* * *
「宮司様。悪羅丸に御座りまする」
「入れ」
部屋の襖を開き、そっと閉じると、悪羅丸は目を合さないよう俯きながら大森宮司の目の前に着座し、平伏した。
周囲には誰もいない。部屋には自分と宮司だけである。
外は未だにバタバタと慌ただしい音が響くが、この部屋までは届いてこない。
暫くすると静寂が訪れる。まだ朝も明けたばかりで気温も低い。腰を下ろす床は冷たく、冷気が自身の身体を伝って来るのを感じた。
口火を切ったのは宮司であった。
「悪羅丸――我主、今の心境を正直に申せ」
「心境、に御座りまするか?」
「左様じゃ」
静かに落ち着いた声で話す宮司を初めて不気味に感じた。いっそのこと大声で怒鳴り、叱りつけてくれた方が幾らかマシだ。悪羅丸は罰を欲していた。
「そ、その……。御神木を穢し、不殺を破ったことを悔いておりまする――」
「そうではあるまい」
かぶりを振った宮司が冷たく言い放つ。
「わしは今朝、御神木の前で呆然と立ち竦む我主を見た。その砌、わしは我主が何処か嬉しそうに見えたのじゃ。ここは神々の御座す御社じゃ! 嘘八百能わず! 偽りなく申せ!!」
宮司の大声が部屋一杯に鳴り響き、わずかに反響までした。
悪羅丸は一瞬、肝を冷やしたが我慢出来なくなり、自分の感情をぶちまけた。
「然らば差し応えまする! 今朝方、御神木の下で死んだ梟の亡骸を見し砌、俺は〝してやったり〟――と思いました」
「してやったり――とは如何?」
「俺は…強うなりたい。将来は立派な僧兵に、それが叶わねば御社の門前を守護する衛士と成りて周りを見返してやりたいと思うてました。然れど、あの梟を見て思いました。俺はもっと強い武人に成れると――! あの御神木に使わされた梟は俺に武人に成れという、きっと神の思召しに相違無しと――!!」
興奮しながらこの赤眼の小坊主は告白する。しかし今度は「然れど……」と力無く続ける。
「俺は祟り憑きに御座りまする……。あの梟は神が俺に身の程を弁えよと告げに参らせたのじゃと、そうも思うておりまする……。祟り憑き故、俺は立志能わずと――」
何度も言い淀み、言葉を詰まらせる。誰も俺を信じてはくれない。助けてくれる者などいない。そう思うと彼は悔しくて堪らず両拳を握りしめ、歯をギリリと食いしばった。
「渇――ッ!!!」
突如、轟いた一喝に悪羅丸は驚き見上げた。その時、初めて宮司と目が合った。大森宮司の瞳は彼が想像しているほど恐ろしいものではなく、むしろ優しく自分を見つめていた。その慈愛の眼差しに、悪羅丸の心は落ち着きを取り戻した。
「ようやく面を上げたの。我主、妙に気を使ってわしと目を合そうとせんかったじゃろ?」
「お、俺の面相は不吉と――」
「バカモン!」
宮司は優しく諭すように告げる。
「以前も申したはずじゃ。わしは我主の両目を恐ろしゅうと思うたことは、一度たりとて無いとな。――それよりも悪羅丸、人は皆、母の胎内より苦しみながら生まれ出る。生きていく上で、苦しみから逃れること能わず。然ればよ、人とは一体何の為に生まれ、そして生きていくのか? 我主には判るか?」
いいえ、と悪羅丸はかぶりを振った。
宮司は続ける。
「人が生きる理由は今生にて何かを成す為じゃ。自分とは何者なのか、何故生きているのか。その答えを見つけ、人生に意味を与えるのは他ならぬ己じゃ。悪羅丸。我主は己が生に何を与えたい? 何者に成りたいと願う?」
その問いに悪羅丸は即答した。
「武人に成りとう御座りまする――!」
「なれば我主が致すことはくよくよと落ち込み、己が面相を嘆くことに非ず! 人は皆、与えられた物のみで生きねばならぬ! 武人に成りたくば成れば良かろう! 悪羅丸。赤眼が何じゃ、祟り憑きが如何した! 其は我主の一面也! 己が価値は己で決めよ!」
目が覚めるような思いだった。まさかこんなにも自分のことを励まし、背中を押してくれるとは、思いもしなかった。気付けば胸の内が暖かくなり、勇気をもらっていることに、悪羅丸は気付いた。
「悪羅丸。我主の名前の悪とは本来、悪しき意味では無く、強いという意味が込められておる。そして羅とは羅漢を指す。悟りを開きし高僧じゃ。我主の母はの、我主に将来、強く高潔に生き抜いてほしいと願い、その名を授けたのよ」
「母様が……」
「左様。我主は先程、あの梟は武人に成れと神が使わしたと申したな? 実にもそうであろう!」
今度は違う意味で悪羅丸は驚いた。普段から信心深く、難しい顔して神々の説法と理を説く宮司と、目の前の笑みを受かべ爽やかに問題発言する宮司が同一人物とは思えず、少年は恐れ多くなり、只々見つめるしか出来なかった。
宮司は暫く目を瞑ると、小さく溜め息を吐く。
「――矢張り血か……」
「今何と?」
小声で聞き取れなかった悪羅丸は訊ねるが、宮司は答えてはくれなかった。その代わりにとこの赤眼の小坊主に告げる。
「悪羅丸。今日から我主はこの社を出でよ」
「――ッ!?」
「驚くことはあるまい。御神木を穢し、梟を殺めたのじゃ。最早、是以上この社に留まること能わず。場所は春日荘の末社へ移るが良かろう。既にわしが文を認めておる故、それを持って今日より出でよ。――二度とこの神社の鳥居をくぐるでないッ!!!」
自身に旅立てと言っているのだ。それくらいこの童にも理解できる。
徐に部屋を出ようとする悪羅丸を、宮司が制止した。
「暫し待て。悪羅丸」
突然呼び止められ、再び座るよう言われる。
悪羅丸はそれに従うと、優しく暖かい声色で宮司が言う。
「今よりわしが我主に勾玉を授ける。有難く受け取るがよい」
宮司は神棚に祀ってあった首飾りを手に取り、法力を込め神々に祈り終わると、それを悪羅丸の首にかけてやった。翡翠の勾玉の首飾りだ。
「此は霊験あらたかなる翡翠の勾玉じゃ。是には武神・天甕槌様の霊力が込められておる。きっと我主を守り給うことじゃろう。是よりは賀嶋桓門宗へと改宗致せ。さすれば武神・御影任宮尊様の御加護にもあやかれるはずじゃ」
「……宮司様。過分な御計らい、まこと忝く存じます! 此度の仕儀、まこと申し訳御座りませぬッ……! 今迄の御恩は決して、決して忘れません――!」
感極まった悪羅丸は大粒の涙をボロボロ落とし、平伏した。大罪を犯した自分に十分過ぎるほど親切にしてくれた。これ以上何を望むことがあろうか。十分だ。十分過ぎるほどだ。例え周りが自身を蔑み信じずとも、本当の親のように接してくれた宮司様の気持ちだけで十分だ。
俺は果報者だ――と悪羅丸は只々、感謝と申し訳ない気持ちで一杯であった。
「わしは是より亡き梟を弔い奉る故、見送り能わず。然れど童一人では道中剣呑じゃ。門前にて末社までの案内人を待たせておる故、そやつと共に向かうがよい。……是より武人となる男が、左様無様な泣き顔を見せるでない!」
最後の説教を聞くと、悪羅丸は深く一礼して部屋を出た。直ぐに荷支度を済ませて門前へ向かうと、そこには宮司が手配した案内人がいた。
悪羅丸は短い挨拶を済ませると鳥居をくぐり、神域を出る前に、振り返り最後に神社へ向けて平伏した。
これはただの謝罪ではない。これまでの無用な思いを全て残し、新しい門出へ向うためのケジメである。
彼は心の整理を付けると、スッと立ち上がり、案内人に付き従う。彼が鳥居をくぐり下山する間、決して振り返ることは無かったという――。