エイユウ様の御心 2
「図書館?」
「ってなると、用は調べものか」
近頃秘かに忙しそうにしているフィールを案じ、彼女の動向を監視する俺とアネシィ。
よほど寝不足なのか何度か寝ては覚めてを繰り返した後、彼女が電車を降りて向かった先は図書館だった。
フィールは図書館に入ると一直線に伝記・地誌スペースに向かう。そこで数冊手に取った後、今度は神話関係の本を物色していた。
「なにか調べてるのはわかったけど…わざわざ私たちに隠すようなことかしら?」
「うーん…」
そう、そこだけ見れば別に隠す必要もない些細なことだ。それなら、どこか別のところに理由があるはず。
そもそもなぜ図書館なのか。この世界には人類が生み出した最高の叡智、『インターネット』があるのだ。基本的な情報収集というのはこれ一つでたいてい何とかなってしまう。
ネットで補いにくいものは、かなり専門的な内容か、ネット発達以前に研究された資料。あるいは…
彼女の手に取った本の分類を改めて考える。伝記・地誌に神話…どれも地域や人に根付く文化についてだ。
(ああ…もうひとつあったか)
ワスレナグサを想う。あのときも、琥珀色のワスレナグサについてネットで検索しても出てこなかった。
そのとき彼女はこう言っていた。ハライアの要素が強い文化は、冒険者仲間から聞いた方がいいだろうと。
これはきっと、文化の統合がうまくいっておらず、ハライアに根付いていたものはハライア流の情報収集をしないと出てこない、ということだろう。
そして、ハライアに書物があったのなら。
(フィールは、"ハライア"の何かについて調べているのか…?)
これならある程度つじつまが合う。この世界はあくまで融合したEHであって、アースもハライアも、それぞれが独立して歩んできた歴史はこの世から抹消されてしまった。
アースという世界が歩んだ歴史も、ハライアという世界が歩んだ歴史も、もはや証明する物がどこにもない。アースは俺の、ハライアはフィールの頭の中にしか存在しなくなったのだ。
ただし、俺にもひた隠しにする点が引っかかる。その事情を理解できている唯一の相手のはずだが。
「…装備を整えて出ることもあるってのは、記述されてる場所を実際に訪れるためか?」
「お嬢さん、ずいぶん熱心だね。何を調べているんだい?」
フィールの内心を熟考していると、その彼女に紳士的なご老人が声をかけていた。
紺ベースで落ち着いた色合いの一張羅、片手にはおしゃれなステッキ。自分が歳を取ったらこうなりたいと思うような、理想的なジェントルマン像だ。
…似合わないサングラスをかけて少しだけかっこつけていた数十分前の自分が余計惨めに思える。
「初めまして、瀧本です。いや、最近あなたの姿をよく見かけていてね。ずいぶん深刻な顔で本を読んでいるもんだからつい気になってしまって」
「初めまして、フィールと申します。地域の伝承や神話について、少し」
「何か収穫は得られたかな?」
「いえ、探している内容が少々マニアックで…固有の名称がついていない言い伝えのようなものなので、なかなか見当がつかず…」
「どんな内容なんだい?」
「…異世界からの来訪者について」
「よければ外で聞かせてもらってもいいかな」
逡巡するフィールに対し、老人はフィールの持ってきた本の一冊を指さした。その表紙には小さく、『滝本辰治』と印刷されている。
「もしかしたら、私も力になれるかもしれない」
「何話してるんだ?」
「聞き取れないわね…でもこれ以上近づくのも危険だし……ってこっち来た!」
慌てて姿を隠し彼女らが通り過ぎるのを確認すると、そのまま二人の後をつける。
図書館の外のベンチに腰掛けたフィールらは、話の続きを始めた。開けた場所なので変わらず近づけない俺たちは、遠方から視界に入れることしかできない。
「異世界というと…常世の国なんかもそうだね。不老不死、あるいは死者の住まう国。永遠をつかさどる領域だ」
「ええ。ただ、そのような概念的な、ある種上位階層ともいえる世界でなく、もっとこの世に近い…時空という海を越えた先にある、異国のような異世界についてです」
「異世界に関する言い伝え…民間伝承であれば、たとえば雷駕の神託」
「はい。その雷駕の神託に関わりのあるお話です」
「なんだ、もう見つかっているじゃないか」
「…私が探しているのは、その先なんです。この雷駕の神託を受けたものが、他に遺している伝承はないかと思いまして」
「それは…なかなか骨が折れそうだね。ただでさえ資料が乏しく正確さも欠けがちな民間伝承でか…。フィールさんは、一体どんな伝承を探しているのかな?」
「人ではなく、世界自体がこの現世にやってくる。そんな言い伝えです」
「世界が丸ごと…」
瀧本は、フィールの言葉を咀嚼するように復唱する。
「はい。ですので、まずは伝承そのものより神託を受けた者に縁のある地から洗おうかと思っていたのですが…。海底遺跡なんてありませんし、水辺の伝承が残る建造物なども調べたのですが手詰まりで…」
「予言者が雷駕の神託を受けた場所…海底遺跡か。ちょっと視点が変わってしまうが、いいかい?」
「お願いします」
フィールの話を聞きながら考えを巡らせていた瀧本は、自身の推察を語り始めた。
「うん。私は異世界と聞いて最初に思いついたのが常世の国だったんだ。常世は霊石や神木といった境界を越えた先にあるという一説がある。一方で、日本神話では常世は海の彼方にあるとされていたんだ」
「言い伝えなんてのはそれが生まれた時世がよく反映されるものでもある。認識できない領域を見果てぬ海の先ととらえるのが主流のときもあれば、長寿の巨木や巨大な岩石を神の依り代とみて、それこそが別世界との境界線だ! なんて発想がうけた時代もある」
「だから地理的な要素だけでなく、観念的な…法則性を読み解くと、案外別の場所にあったりするかもね」
「青き静寂と心を見通すような煌き…海底遺跡を取り巻いていたもの…」
「海底遺跡が異世界を海の先ととらえた説に則ったものなら、異世界に近い地理という要素もあるかな」
「それらの要素を満たしそうなのは…」
「たとえば、山の上にある天文台。青は空、煌きは星々、見果てぬ先に一歩でも近い場所だ」
「柄深山天文台ができた地には、かつて占星術師が星詠みを行っていた物見の塔があったといわれている。範囲を拡大したらこれも対象に入るかもしれない」
「天文台…」
俺は耳にした言葉をポツリと繰り返した。
何とかして話の内容を聞けないかと考えた結果、アネシィの強化魔術によって聴力を強化することで聞き取りに成功。内容も推測通りハライアについてのものだろう。
「ありがとうございます。これからの行動のヒントになりそうです」
「いや、私は可能性の一つを示しただけで合って根拠も何もないからね。…もっと明確な答えを出せたらよかったんだが、不甲斐ない」
「そんなことありません。瀧本さんのおかげでより広い視野で考えられるようになりました」
フィールは瀧本にあいさつを告げ別れる。彼女の向かう先は…おそらく七美丘にある柄深山天文台だろう。
だが、まだみえない。彼女はなぜ、この件を俺に話さない?
アネシィにはわかる。彼女の生きてきた世界は"EH"であって"ハライア"ではない。
"ハライア"の世界滅亡を前提とした転生と改竄の話は、何も知らないアネシィにとっては荒唐無稽であり、それを真とした場合には自身の記憶の信憑性が揺らぎ、やがてはアイデンティティーの崩壊を起こしかねない。
しかし、改竄を認識できている俺は違う。彼女の苦悩を理解し、彼女と痛みを分かち合うことができるはずだ。
疑問を抱えたまま、再びアネシィとともにフィールを尾ける。電車に揺られ、一本遅れたバスに乗り、柄深山天文台へとやってきた。
この柄深山天文台は、巨大な惑星模型や宇宙のしくみ・誕生の軌跡を書いたパネルのある展示室、スタッフの丁寧な説明が人気の大きなプラネタリウム、そして特大望遠鏡が備え付けられた天文台だ。
真っ白で綺麗な外観や近くにある開放的な公園、そして中身の充実さから、山の上にありながら人気な七美丘の名物スポットである。
「このマーク…海底遺跡…ケネセスの…!」
先にやってきていたフィールを何とか見つけることができ、引き続き監視を続行する。
彼女は一階の宇宙展示室を巡っていると、何かに気づいたようにその場を去る。階段に向かったので二階に上がるのかと思いきや、彼女は階段奥にあるドアの中に入ってしまった。
おそらく客の入る場所ではないだろうスペースに足を踏み入れたフィールに、二人で顔を見合わせて困惑しながらもついていく。音がしないように慎重にドアを開け中に入ると、道が二つに分かれていた。直線はスタッフ用の出入り口で、緩く曲がるような通路は倉庫に続いているようだ。
倉庫に続く通路を慎重に歩いていくと、先の方からフィールの声が届いた。
『音無の祭壇にて深き瞳で覗き込むは、理と情念に導かれし因果なり』
彼女の合言葉が紡がれると、ゴゴッ…と何かが動くような音が聞こえた。彼女の足音が遠くなるにつれじりじりと歩みを進めていくと、二つの入り口に出くわす。
一つは倉庫の扉。もう一つは…地下へと続く階段。石レンガで作られた階段は、白基調でスマートなデザインの天文台施設とかけ離れた異彩を放っている。
間違いない。これは"ハライア"にあった文化的遺跡…話に出ていた海底遺跡なのだろう。
「あぁ…懐かしい。海底遺跡・ミスリルメイズ…ここも、ちゃんと転生の範囲に入ってたんだ…」
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