理想の未来。
付き合ってわずか数日の彼女が亡くなった。
交通事故だった。
大学のゼミで出会って約十年、
長く積もらせてきた思いが、
叶ったその矢先の事だった。
喪服を着るのは曽祖母が亡くなって以来だ。
彼女はまだ生きているんじゃないか。
僕はまだ悪い夢を見ている途中なんじゃないか。
事態をありのまま受け入れることなど、到底できなかったが、呆然と考えを巡らせたところで、心情にも事実にも何ら変化があるわけじゃないと悟った。
重い気持ちを引きずりながら、葬式場へ向かう。
「これからは私の席だね」といたずらに微笑んだ彼女が、嬉しそうに車の助手席にのせた可愛げのある柄のクッションと、初デートで行ったゲーセンで取ったストラップがミラーにぶら下がり、心の隙間に無言の圧力を放つ。
友人としての付き合いはそれこそ長くなるが、恋人になってわずか数日、周囲からの認知は当然、ただの友達だ。
会場に着き、他の大学の同期や友人達と同じように、来客としての当為を淡々とこなす。
ふと、彼女の眠る場所の前に人集りが出来ていることに気がつく。ひときわ大きな声で彼女の名前を呼びながら泣き叫ぶ男がいた。皆その男を慰める為に集まっているらしい。
男の顔には僕も見覚えがあった。
彼女の元彼だ。
同じ大学の先輩で、彼女との交際期間は八年余り。
二人は長く同棲していたし、互いの家族との交流も深く、入籍はいつになるか、と周りはいつも噂していた。
周囲には順風満帆そうに見えていただろう。
それでも実状は、元彼の酷い暴力と浮気癖に彼女は頭を抱えていた。友人としての付き合いの長い僕と、他数人の近しい友人だけがその事を知っていた。
彼女は周囲の誰にも助けてもらう事無く、気づかれる事なく、長い間苦しんでいたのだ。
だからこそ、ひと月前に喧嘩して出て行った彼女が、元彼の所に戻ってくることを誰もが信じてやまなかった。
もちろん、目を腫らして泣き崩れているその男だって、彼女が二度と自分と戻るつもりなどなく、ましてそのまま逃げるように僕と付き合い始めた事など知る由もない。
長い長い喧嘩の最中に、最愛の恋人を亡くなったとばかり思っている。
彼も、その取り巻きも、彼女の両親も、彼の両親も…。
いや、僕以外の誰もがそう思っている。
どんな心持ちで目の前の光景を眺めたら良いのか分からなかった。大きな声で、彼女は僕の恋人になりましたと叫べば、何か変わるかと一瞬頭によぎるが、そんな気力も、度胸も僕にはなかった。
ただ呆然とその他大勢と同じように、他人事のように目の前の状況を見つめるしかなかった。
周囲では口々に彼女の死を惜しむ声や、彼女の生前を語る声が聞こえたが、こんな気持ちでは、僕にはその全ての会話が雑音でしかなかった。
それでも唯一、はっきりと自分の中に落ちてきて、彼女が亡くなって何年経っても忘れられない言葉がある。
「彼女、お腹に赤ちゃんが居たらしいわね」
たった数秒間、
決して口にはしていないが、
僕は思ったのだった。
君が死んでよかった。