第四十一話
二人が夜を共にするようになると、家の雰囲気も少しずつ変わっていった。
以前と同じ、何ら変化もないのだが、暖かい感じに変わっていった気がするのだ。
何の変哲もない日常が繰り返される毎日。
イザベラも出来ることが増えてくる。
料理に至っては残念ながら改良の余地はなかったが、それ以外は、何とかマスター出来た。
今では洗濯物を干すのと、部屋の掃除をするのはイザベラだ。
そして、来た当初は緑色が強かったクルミも、茶色く変色して落下し、収穫できるようになった。キノコを収穫したり、森の恵みの恩恵を受けつつ、手をつないで散策することも増えた。夏には、グースベリーやボイズンベリーなどベリーが取れるらしいと聞いて今から楽しみだ。
カークウッドは相変わらずハンターで、美味しい果実を発見しては場所を教えてくれたり、採ってきてくれる。
最近は星空が綺麗なので、寒さに震えながら二人で毛布にくるまって夜空を眺める事もある。
少しずつ、着実に二人で一緒にいる甘い時間が増えていく。
ビショップは相変わらずイザベラに甘く、優しい。
いつだってイザベラを労わってくれる。
寒くなってきた夜に、ビショップの温もりが暖かく泣きたくなるくらい幸せな気分になる。
ふと夜中に目が覚めても、一人でベッドにいるのではない。
そんなことが、こんな心強く、嬉しい事だとは知らなかった。
手を伸ばせば、触れられる。
イザベラはそっとビショップに寄り添う。
ヌクヌクと暖かいベッドの中で、ビショップの背中から彼の香りを吸い込む。
その香りに安心する自分に苦笑する。
一人ベッドで眠る寂しさを思い返すと、自分は我慢していたのだ、という事が改めて思い知らされる。
ルイスとベッドを共にした年月は、2年にも満たないだろう。
その後はずっと独り寝だった。それこそ、ビショップの番になるまで、ずっと。
一人で、ずっと一生懸命だった。
つま先立ちでずっと立っているのを気が付かないで、立っていた。
何かあれば崩れてしまう不安定な場所で平気そうな顔して。
本当は、誰かに助けてもらいたかった。
誰か、ではなく、他でもない夫だったルイスに。
なのに、素直になれず、一人で目に見えない何かと張り合っていた。
それは、周囲の目だったのか、それとも自分のプライドだったのだろうか。
今、イザベラは自分一人じゃないと、思えた。
隣に必ずビショップがいてくれる、と。
助けを求めれば、絶対に自分を助けてくれるのだ、という信頼感がある。
隣でスースーと寝息を立てるビショップを愛しく思う自分がいた。
ビショップが寝返りをうち、無意識だろう、イザベラを抱きしめた。
イザベラは大人しく抱きしめられた。
ビショップの寝息は規則正しく、変わらない。
寝ながらも、自分を抱きしめてくれるビショップの胸にイザベラは目を閉じ、顔を埋める。
今までだって愛してくれる両親がいて、尊敬できる義父母がいて。
そして、ルイス様がいてくれて。
あの時も、自分は決して不幸ではなかった。
恵まれていた、と思う。あれはあれで幸せだった、とも思う。
だけど、ずっと一人だった。
支えてくれてる人は、沢山いたというのに。
一人でずっともがいていた。
支えてくれてる人たちに頼れば良かったのに、それすら出来なかった当時の自分。
頼ってしまったら、負けだと、それは甘えだと、ずっと思っていた。
今の自分がこんなに幸せだと思えるようになるとは、あの時は思わなかった。
番に選ばれた自分の不幸を嘆いた。
ルイス様に愛されない自分を嘆いた。
ここにきて、ビショップと二人で住み始めて、分かったのだ。
本当は自分が番だからビショップに好意を持ったのだろうか、と自分の思いにも自信がなかった。
最初、ビショップを見て、怖いと思った自分。
嫌悪してしまいそうだ、と思った自分。
それから、彼は優しいかもと認識を改めたのも、全部自分だ。
そう、私は、ビショップ様を知ろうとした。
彼の見せる一面だけで判断しないように。
一緒にいる時間の中で、臆せずに色々と話して、聞いて。
そして、ビショップは、自分にきちんと返してくれた。私の事を知ろうとしてくれた。
だから、気が付いてしまった。
自分がルイス様と向き合ってこなかった事に。
いや、ルイス様だけではない。誰にも。
誰とも、向き合ってこなかった。
自分は王太子妃、王妃になるのだから、弱みを見せないように、と。
あのまま王妃になっていたら、自分はやっぱり変わらず表面的な事しか出来ない人間のままだったろう。
そう考えると、自分は王妃の器ではなかったのだ、と実感する。
あの時は、必死過ぎて何も見えなかった。
私もルイス様も、表面を取り繕うことに必死で、お互いを見ることを忘れていただけだってことを。
私は、一番大事な何かを、取り違えていたんだわ。
今なら分かる。
もっと、話しあえば良かった。
きちんと素直に思いを伝えれば良かった。
周囲の目を気にして、勝手に推察して考えて。
ちゃんと、ルイス様の気持ちを確認してからでも遅くなかった。
なのに、プライドが邪魔して、傷つきたくなくて。
周囲の目に、自分がどう映るかだけしか考えてなかった浅はかな自分。
最後の最後まで、結局私達は何一つ自由に話せなかった。
何もせずに、唐突に終わりを告げてしまった夫婦の時間。
もっと、きちんと話せば、何かが違ったのかもしれない二人の時間。
今更、だ。
ルイスと、ビショップは違う。
それこそ、身長、顔、髪の長さ、硬さ、体型、手の大きさ、全て。
だけど、愛していた。
ルイスを。
婚約者として。
夫として。
一人の男性として。
「番って、なあに?」
私が首を傾げながら聞くと
「僕もよくわからないのだけど、夫婦仲良しなんだって。
このメスって決めたら、一生そのメスと共に生きるんだって。
もし、相手が死んだらずっと一匹で生きていくそうだよ。
その相手だけを好きなんだよ。」
「そうなんだ、じゃ、私達も番になるの?」
「勿論だよ、だってイジーは、僕のお嫁さんになるんだもん。
それに僕はイジーが大好きだもん。
大きくなってもずっと大好きだよ」
幼い私と、幼いルイス様の声が聞こえる。
幼い二人の、小さな世界。
ただ単純にルイス様と幸せになることを信じていたあの頃。
無邪気で素直だった、愛しい時間。
思い出すと、辛くて、苦しくて悲しかった。
ずっと、ずっと。
大切な思い出なのに、大切だからこそ、あの頃思い描いていた未来と違った現実が辛かった。
だからこそ考えたくなかった、思い出したくなかった。
あの当時の自分は、自分なりに、必死にルイス様を愛していた。
それが、空回りだったとしても。
愛していたのだ。
そう、それでいいではないか。
辛かったことも、楽しかったことも全て全て。
果たせなかった約束は、甘く切ない思い出に変わる。
イザベラは半身を起こしてビショップの寝顔を見つめる。
無防備で、安心して眠っているビショップの顔が、そこにあった。
イザベラの口角が自然に上がる。
優しい手つきでビショップの髪を梳きながら、起こさないように小さな声で心を込めて呟いた。
その言葉は、誰に聞かれることもなく闇夜に溶けていった。
 




