第三十九話
イザベラがオズオズと遠慮がちに抱きしめ返したのを驚いたのは、ビショップだけではなかった。
抱きしめ返したイザベラ自身も、戸惑ってしまった。
挨拶のための、親愛の抱擁とは違う。
あの発言を聞いたとき、体が先に動いた。
彼は、妖精だ。
分かってる。
多分、自分よりも、いや、人間なんかよりも強いだろう。
だが、あの優しい発言が、声音が、なぜかとても心細く感じた。
守ってあげたい、と思ってしまった。
だから、思わず手を伸ばして抱きしめ返してしまった。
イザベラの心臓が急速に早鐘をうつ。
自分の心臓の鼓動がビショップに分かってしまうだろうか?
抱きしめあって、何分たったろう?
もしくはほんの一瞬の出来事で、そんなに時間もたっていないかもしれない。
イザベラの耳に、トクン、トクンとビショップの心臓の音が聞こえる。
規則正しい音だ。
その音と併せる様に呼吸をすると、少し落ち着いた。
イザベラは背中から手を離し、離れようとしたが、ビショップに更に背中をきつく抱きしめられた。
息を吸い込むたびに香るビショップの匂い、当然体躯も違う。
どうしても、どうしてもルイスと比較してしまうのだ。
比べてはいけない、と思うのだが、ダメだ。
頭では、もう自分はビショップの番として生きていく、と覚悟は決めていた。
心は、まだ踏ん切りがつかない。
ビショップに抱きしめられるのは、嫌ではない。
イヤではないけど…
なぜだろう?
流されてしまえば楽なのに。
だって、彼は番だ、私を、裏切らない。
私だけを、見てくれる。
今だって、彼は、私が傍にいてくれて嬉しい、と言ってくれているのに。
もう、ビショップ様を怖くはない、のに。
いいえ、違う。
違う、そうじゃないのだ。
彼にとって私が番でも。
私にとって、彼は、まだ何者でもないから、だから。
だから。
…だから?…私、はどうしたいの?
イザベラの相反する想いとは別に、ビショップは、イザベラの華奢な体を抱きしめつつ、安堵していた。
怯えられていない、それが嬉しかった。
イザベラが自発的に抱きしめ返してくれたことに。
恐怖の目で、自分を見なかったことに。
ぎこちないが、自分に笑顔を見せてくれることに。
畏怖の目で、恐怖の目で見られることを、覚悟していた。
一番最初にイザベラを見た時、かすかに香る匂い。
かすかだが、間違えようがない、その匂い。
その微かな匂いを感じたビショップは、イザベラから視線を外せなかった。
生きて、動いている。
それだけで、こんなに嬉しいのだ。
イザベラが動くたびに、ほんのりと、香る。
自分の番の香り。
自分は、一生涯、この香りに捕らわれる。
人間を番に選んだ自分を恨んだことも、ある。
だが、失って、また出会えた時のこの気持ちは何とも言えない幸せの時間だ。
失ってから出会うまでの時間の辛さも、寂しさも、この香りに会えば、なんてことのなかった時間に思える。
イザベラが自分を見る瞳に、たとえ恐怖の色が宿っていても。
どんな短い時間でも良い、自分の傍にいてくれるなら。
凝視していると、夫だという者がイザベラの傍に来て彼女を連れ去っていった。
だが、夫だ、という者から香るのは彼女ではない他の女の匂い。
人間でいう夫婦は、我らの番みたいなものだ、と思っていたが違ったのだろうか。
そして、イザベラからは夫だという男の匂いがしない。
人間というのは本当に面白いものだ。
今も、自分の腕の中にいるイザベラから香るのは、自分の為の香りだ。
願わくば死を迎えるその日まで、このまま番と共に一緒に生きていきたい。
叶わない願いを、何度胸に抱けば良いのだろう。
だが、今は。
せめて今は。
手を伸ばせば、触れられる幸せを味わおう。
最後にもう一度、強く抱きしめてからイザベラを自分の腕から解放する。
ユックリ名残惜し気に手を離す。
顔が真っ赤になっており、瞳には戸惑いの色が隠せない。
自分から視線を外す様に、キョロキョロと周囲を見回すイザベラを見ていると、自然に笑みが浮かぶ。
「無理はするな、そちは移動でかなり体力を消耗したはずだ。
今日はもう部屋で休め」
そのまま、ビショップとイザベラは無言のまま外を歩き、室内に戻った。




