第三十六話
イザベラが目を覚ますと、見知らぬ部屋のベッドの上だった。
漆喰の白壁、全体的に温かみのある部屋、というのが第一印象だった。
今まで寝起きをしていた王宮の客間に比べたら、素朴な部屋だ。
ベッド脇にはピッチャーと、コップが一つ。
ピッチャーから水を入れて、とりあえず一口飲む。
喉がゴクリとなって、新鮮な水が喉元を通り過ぎる。
少し、目が冴えた。
シーツも上掛けもサラサラとした手触りで、羽のように軽い。
今、自分が寝ているベッドのマットもふんわりとして、イザベラが動くたびに自分の体重をかけた場所が沈む。完全に沈み込むのではなく、ふんわりと緩やかに軽く沈むので寝心地も良かったのだろう。
こんなにすっきりとした目覚めは久々だった、が、なぜ自分がここにいるのか思い出せなかった。
半身を起こして周囲を見回すと、部屋には誰もいないようだった。
鳥の鳴き声が外から聞こえる。
一瞬まだ自分が夢の中にいるのか、と思った。
先ほどまで確かにイザベラは王宮内の、王の間にいたはず、なのだから。
最後にカーテシーをした。
その後、イザベラの泣きそうな顔を隠す様に、ビショップが優しく匿う様に抱きしめてくれた。
ルイスと違う匂いだった。
そこまでは、記憶にある。
それにしても。
一体どうやってここに来たのかしら?
前回、彼がいなくなった時、どうなったか…一瞬目がくらむような光が…
え?それで来たということかしら?私も一緒に?
こんな、急に?
そして、一番の疑問は。
イザベラの記憶では最後に着ていたのはドレスだ。
なのに、今ベッドにいる自分は寝着一枚。
ユックリと、自分の寝着の首元をつまんでみる。
…誰が…着替えさせてくれたの…?
出来ればアメリアか侍女であってほしい。その後移動していて欲しい。
さすがにビショップに着替えさせられていたら、恥ずかしすぎる。
いくら番だ、と言われても。
イザベラは急速に自分の顔が赤くなるのが分かった。
そしてどこかからか、何かのスープの良い匂いがしている。
一体、朝なのか昼なのか。
時間も分からない。
ただ、窓から入る日の高さを見る限り午前中なのは何となく分かる。
自分は、どれくらい寝ていたのか。
しばらく起きたままの状態でベッドの上にいたが、ここが、別の場所なら、自分が起きてジッと待っていたところでアメリアや侍女はいないのだ。
毎日の続き、長年の習慣だったもの。
自分が起きたら当たり前のように侍女が着て世話をしてくれる。
そんな、生活だった。
四六時中、誰かがいる生活が。
ベッドから降り立ち、部屋を見回す。
小さな鏡台の上には、見慣れたブラシや、化粧水が置かれている。
鏡台の引き出しを開けたら、自分の持ってきた宝石がきちんと仕舞われていた。
クローゼットを開けてみたら、持ってきた洋服がきちんと入っていた。
しばらく部屋の中を探索してみると、自分が持ってくる予定だったものは全て綺麗に仕舞われていた。
まさか、…これも…ビショップ様が片づけたというの…???
とりあえず、身支度をして部屋を出よう、イザベラはまずサイドテーブルに置かれていた水桶で顔を洗うと鏡台に向かう。
自分で髪の毛をセットするために梳かすなんて、幼少の頃以来かもしれない。
ブラシを手に取り、髪を梳かす。イザベラの細い髪が何度か絡まるのを四苦八苦して梳かす。
次にアメリアは何をしていたかしら?と思い出しながら、髪の毛をセットしようにも、自分が思った通りに仕上がらない。
何度か挑戦してみて、イザベラは諦めた。
毎朝毎朝、アメリアや侍女は全員その日の服に合った髪型にしてくれていた。
流れるような手際だったから、まさかここまで大変だったとは思わなかった。
彼女たちのプロフェッショナルな仕事振りに、改めて心の中で感謝する。
そして、あまりにも自分が出来な過ぎて苦笑いを浮かべてしまう。
…私は、これから自分のことを自分でしなくてはいけないのね…
フフ、何だか楽しみ。
沢山の事を自分でするのね。
口元には抑えきれない笑みが浮かぶ。
幼少の頃、母の鏡台で白粉を頭から被り、自分で顔じゅうに口紅を塗った自分を思い出した。
母のレースがふんだんに使われた寝着を上から羽織ってドレス替りにして。
そして、自分の大切な人形にも化粧をした。陶器の白い顔は、口紅で真っ赤に染まり、化粧をしたというより真っ赤に塗られていたようだったっけ。
あの時の母の顔は、いまだに覚えている。口紅の赤を血と勘違いして顔面蒼白にしていたのよね。
母が、あの思い出は忘れようとしても忘れられない、あんなに肝が冷えたのは、初めてだったわ、と言って微笑んでいた。
あの時の自分は、自分で完璧に化粧が出来た、と思ってすごく嬉しかったのだ。
今の自分は、あの時の自分と同じような気分だ。
何とも言えない高揚感に包まれながらクローゼットにかかっているドレスで、自分一人で着れそうなのを選ぶ。
アメリアやマリアが選んでくれたドレスは、人の手を借りずに済む簡易な作りで有難かった。
自分一人なら、そこまで考えて選べていない。そんな事、思いもつかなかっただろう。
身支度を整えて呼吸を整える。
鏡に写るイザベラは、化粧気も何もない、綺麗に着飾っていた今までの自分とは、全然違う人物に見えた。
何の肩書をもたない、一人の人間としてのイザベラが、そこにいた。




